第5話 船橋戦争――旧幕府軍

 慶応4年閏4月3日、未明、戊辰戦争の第2ラウンドともいえる市川・船橋戦争が始まった。


 松楠らの第二大隊は船橋大神宮を拠点として、北からの攻撃に備えていた。しかし、第一大隊が八幡の新政府軍を急襲するにあたり、前衛部隊を鎌ケ谷方面に展開した。その前衛部隊の1支隊が松楠が率いる小隊であった。


 前進し、馬込沢付近で斥候が戻ってきて、新政府軍が前進を始めたことを知らせた。八幡での戦闘の砲撃音はかなり遠くまで聞こえる。援軍にかけつけようというのだろう。船橋大神宮の本隊に知らせを走らせる一方で、新政府軍の前進速度を遅らせる必要があった。第一大隊の市川方面への攻撃が首尾よくいったかどうかの情報が入ってきていなかったためである。


 松楠は敵戦力を計る必要があった。しかし支隊員は8名しかいない。遅滞戦闘の一手だ。支隊員を木下街道の馬込沢付近に散開させ、狙撃を命じた。


 狙撃のあとは、各々退き、本隊に合流するよう命じた。


 緩斜面の畑作地が広がる中、松楠は馬込沢交差点までよく見通せる地点に潜んだ。都合よく、何かの碑があった。


 エンフィールド銃は前装式の銃である。1発撃ったら、次の射撃まで時間が掛かる。2発撃てればいいだろう、と考える。その後は逃げるしかない。


 朝の静けさの中、木下街道を下ってくる新政府軍が立てているであろう音が、耳に入ってくる。近いはずだ。そして1発、エンフィールド銃の発砲音がした。そして騒々しい音を立てながら、新政府軍は反撃を始めた。発砲音が続いた。数からして100名以上の兵力と考えられた。


 勇気ある初発を撃った部下を褒めてやりたかった。上手く、逃げおおせて欲しい。


 兵が交差点まで前進し、大砲を持ち出してきたのが分かった。砲口は松楠とはちょうど逆の向きを向いている。部下がそちらの方に潜んでいたに違いなかった。部下の逃げる時間を作るために、松楠は大砲を指揮する士官らしき男に向けて銃眼を向け、風向きを確認して修正し、狙いを定め、トリガーを引いた。


 煙が上がり、射撃音が辺り一面に響き渡った。


 そして士官は倒れた。死んだ様子はない。倒れて手を挙げている。上々だ。手当に人を割かなければならなくなる。死ぬより重傷をを負わせる方が効率的なのだ。


 大砲が発射されることはなかった。新政府軍が装備していたのは曲射砲である。指揮官がいなければ、目標に当たるものもあたらないのだ。


 部下たちも続いて発砲したようだ。新政府軍は混乱した。


 松楠は一目散に船橋方面に向けて走り出した。小銃の弾が幾つも飛んできたが当たらない。威力もない。松楠がいるほうは坂の上で、新政府軍は下にいる。射程が違うのだ。計算通りだ。


 しかし向こうの弾数は兵の数よりも確実に多い。噂に聞く連装銃かもしれない。だとすると兵力が違う上に火力が違いすぎる。不味い展開だ。


 耕された畑の中、畝に足を取られながら走る。平行して伸びる道を、新政府軍の兵が幾名か追ってきて、撃ってきた。走りながら当たることはない。とにかく走る。心臓が破裂しそうなほど早鐘を打っても、肺が焼けるように痛んでも、走る。


 新政府軍の兵は1人、2人と脱落していき、最後の1人が止まり、松楠に向けて発砲した。松楠は戦場の勘とでもいうのだろうか、それに従って、振り返ってそいつに向けて走り出していた。

 小銃弾は松楠の頬をかすめた。実際にはかすりもしなかっただろう。衝撃波だけで頬が裂けた。連装銃であっても、次弾までは間がある。その間に掛け、松楠は小銃を構えて突撃した。


 新政府軍の兵はそれを見て腰の日本刀を抜こうとした。親しんだ武器を選んだのだ。しかしその抜刀の間が、勝敗を分けた。刀を抜き終わる前に、松楠の小銃の先端につけられた銃剣の刃は兵の頬から脳へと突き抜けていた。


 これが人を殺すと言うことか。


 松楠は小銃越しに人が死ぬ感覚を得た。

 

 あの日に点った暗い炎が、今、確実に、メラッっと燃え上がり始めたのが分かった。


 平時に人を殺せば罪人になる。しかし戦争において兵の命を奪えばそれは手柄だ。


 松楠は銃剣を抜き、それ以上、何も確認することなく踵を返して船橋方面に走る。先に逃げていた部下数名と合流し、死ぬ気で走る。新政府軍が追ってくる気配はなかった。まだ伏兵がいるのではと警戒しているのだろう。別方面に潜んだ部下が無事であることを祈るしかなかった。


 戦場は、人の命が軽い。その重さの差が、黒い炎を燃え上がらせる燃料となる。


 松楠は人を殺した。だが、それを悔やむことも、悲しむことも、嘆くこともない。ただ黒い炎に身を任せ、戦いを続けることしか、考えられなかった。



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