隣の空席

三鹿ショート

隣の空席

 転校してから数週間が経過しているが、隣の席の人間がどのような姿をしているのかを、私は知らなかった。

 昼食の時間において、友人にそのことを告げると、隣の席の人間は、家庭の事情で顔を出すことができないということだった。

 私が納得しようとしたところで、別の友人が、問題行動によって停学しているのではなかったのかと口を開いた。

 どちらが真実なのかと首を傾げたところで、さらに別の友人が、保健室に登校しているはずだと告げてきた。

 同じ学級の人間であるにも関わらず、何故情報が異なっているのか、私には理解することができない。

 それを伝えると、自分たちもまたしばらく顔を見ていないために分からないのだと、友人たちは同じ言葉を吐いた。

 そのようなことがあるのだろうかと思いながら、私は担任に隣の席の人間について訊ねたが、個人情報は伝えることができないと告げられてしまった。

 それならば仕方が無いと、私は教室に戻ることにした。


***


 それから季節が変わっても、隣の席の人間が姿を見せることはなかった。

 私はその理由が気になって仕方が無いのだが、他の生徒たちは、何故それほど頓着していないのだろうか。

 だが、同じ学級の人間であるために、これほどまでの長期間、姿を見せていないことに対して、心配ではないのかと責めるつもりはない。

 何故なら、この学級に所属することになったのは、自分の意志ではないからである。

 偶然、同じ学級と化した人間たちに仲間意識を持たなければならないという規則は存在していないのだ。

 私がこれほどまでに気にしているのは、おそらく隣の席だからなのだろう。

 私以外の生徒が私と同じような立場と化せば、今の私と同じような疑問を抱くに違いないが、解決方法は無いに等しかった。

 何処に住んでいるのかということさえ分かれば、直接訊ねに向かうことも可能なのだが、これもまた、担任いわく個人情報であるために教えることができないという話だった。

 それでも、私が諦めることはなかった。

 情報は名前と学級だけだが、この学校の生徒たちに訊ねていけば、一人くらいは同じ学校の出身の人間と出会うだろう。

 そうなれば、自宅の場所を知ることができるに違いない。

 手間がかかるが、私に出来ることといえば、これくらいしかなかったのだ。


***


 時間はかかったが、隣の席の人間と同じ学校の出身である生徒から、自宅の場所を聞くことができた。

 これで真実を知ることができると思い、意気揚々と自宅へと向かったが、到着した私は、己の目を疑った。

 其処は、人間が住んでいるとは思うことができないほどに、荒れていた。

 庭の雑草は伸び放題で、窓硝子は全て割れており、其処から見ることができる内部には、塵が溢れていた。

 自宅がこのような状況ならば、隣の席の人間は、複雑な事情を抱えているゆえに、学校に姿を現すことができないのかもしれない。

 自宅の状態から、その事情というものが他者に知られたくはないような内容である可能性が高いために、自身の好奇心は捨て、今後は自分の生活を第一にするべきだと考えながら帰宅しようとしたところで、不意に内部から、大声が聞こえてきた。

 怒りが込められたその言葉は、その対象が私では無かったとしても、思わず身を震わせてしまうようなものだった。

 数秒ほど経過した後、家の中から、一人の少女が出てきた。

 着用しているものが私の学校の制服であるために、おそらくは、彼女が隣の席の人間なのだろう。

 声をかけようとしたが、彼女は私を一瞥しただけで、そのまま足早に何処かへと向かっていった。

 私は慌てて、彼女の跡を追った。


***


 ごった返す駅前で、彼女は壁を背に立っていた。

 誰かと待ち合わせているのだろうかと思っていると、やがて彼女に声をかけたのは、彼女の父親と言っても良いほどの年齢と思しき男性だった。

 下卑た笑みを浮かべる男性と少しばかり会話をすると、二人は移動を開始した。

 やがて到着したのは、宿泊施設だった。

 二人がその内部に姿を消したことから、私は彼女の家庭の事情について、大体の想像がついた。

 おそらく、彼女は乱暴な父親に命令され、生活費を稼ぐために、己の肉体を使っているのだろう。

 しかし、彼女の家の状態を見れば、その金銭は即座に無くなってしまうために、彼女は学校に行く時間よりも、生活費を稼ぐための時間を優先しているに違いない。

 これが、私の知りたかった真実なのだろう。

 だが、私が覚えていたのは達成感などではなく、知るべきではない家庭の事情を知ってしまったことに対する、罪悪感だった。

 この件を吹聴するつもりはないが、他者に明かすような内容ではないということを考えると、私という他者が知ったこと自体が問題なのである。

 記憶を消す方法が無いものかと考えながら、私は帰路につくことにした。

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隣の空席 三鹿ショート @mijikashort

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