アポカリプスを越えて おしゃべりな新人の苦難

和泉茉樹

おしゃべりな新人の苦難

 こんなことになるなんて。

 僕は自動小銃を抱えたまま、巨大な樹木の陰にうずくまっていた。

『何をやっている! カール! こっちへ来い!』

『援護しろ! 亜人どもを近づかせるな!』

『バギーを前に出せ! 早く!』

 ヘルメットの中で仲間たちの通信が飛び交うけど、僕は何も言えず、ただ震えているだけだった。

 なんでもない物資輸送の任務のはずだった。

 新規に設営されるキャンプの建設予定地まで、トレーラー一台をバギー三台で護衛する。通る道は植物が焼却されていて、路面こそ荒れているがトレーラーもバギーも走破することはできる。

 物資を受け取り、僕は仲間と一緒にバギーに乗って移動した。

 それが起こるまで、僕は通信機越しにバギーの運転席にいるクリスティン・ベガ軍曹とおしゃべりしていた。というか、僕が一方的に話していた。

 軍曹は警備兵の中でも地球での活動時間が長く、今回はそれもあってか輸送隊の警備の責任者だった。

 だから、僕が軍曹の集中を削いでいたとも言える。軍曹が時折、煩しげに僕に答えていたのも、新兵である僕に付き合ってくれていたのだろう。

 何かが視界の隅で瞬いた、と思った時にはヘルメットの中で甲高い警報音が鳴り。

 強烈な衝撃の次に視界の全てがぐちゃぐちゃに溶けて、さらなる衝撃に僕は一瞬、気を失った。

 三度目の衝撃で目が覚めたけど、その衝撃はスーツに内蔵されている強制覚醒機能の軽い電気ショックだ。

 フラフラしながら顔を上げると、バギーが横転しているのが見えた。

 軍曹はどうなった? それよりも、何が起こった?

「ベガ軍曹! どこですか!」

 そう僕が声にしても返事はない。ノイズが耳元で不快な音を立てる。

 バギーに近づこうとして、すぐそばの地面に何かが突き刺さった。

 それは、矢だった。

 一本目の次に、二本、三本と続く。僕は慌てて立ち上がり、道を形成している路肩の植物の陰に飛び込んだのだった。肩からスリングで下げていた自動小銃を慌てて掴もうとするが、手が震えていた。

『防御態勢を取れ! 亜人の襲撃だぞ! 軍曹! 聞こえますか? 軍曹!』

 僕は植物の陰から周囲を見た。矢が止むことなく飛んでくる。テキストや訓練で教え込まれた通り、亜人の矢そのものだった。

 僕たち、宇宙移民船から地球へ帰還した現人類は、地球がゲノムハザードと名付けられる破局により激変しているのを目の当たりにした。

 当初、地球上には人類の文明はすでに存在しない、と現人類は推測した。

 しかし、地球上には人類の生き残りがいた。文明のレベルは著しく後退し、人間という種をゲノムハザードの深刻な影響によって逸脱しているが、人類はいることにはいたのだ。

 現人類は彼らを「亜人類」と名付けた。

 亜人類は現人類と対立関係となったが、しかし、技術力が違いすぎる。

 現人類が銃器を持つのに対し、亜人類は弓矢や槍、剣で戦う。

 僕たちを襲撃している亜人の数は、と思ったが、植物の陰から身を乗り出そうとするがすぐそばを矢が掠めていく。

 バギーを横転させたのは火薬を使った武器だろう。亜人が使う武器の中でも高脅威兵器とされているが、もちろん、僕は初めて見た。あれが僕のいるところへ向けられればひとたまりもない。バラバラだ。

『カール、聞こえているか!』

 僕への呼びかけに「は、はい、聞こえています」とやっと答えることができた。

『バギーをそちらへ出す、合流して撤退だ。トレーラーは捨てるぞ』

「で、ですが、ベガ軍曹は?」

『まずはお前だ。いいか、行くぞ!』

 ヘルメットにARで複雑な表示が出る。バギーの位置情報だった。

 路肩の密集した植物の壁を遮蔽して、僕のすぐそばまでバギーが突っ込んでくる。

 そのまま僕の横へ滑り込んできたバギーの助手席で、仲間が手を伸ばしている。僕はとっさに飛びつき、縋り付いていく。

『放すなよ、カール! アラン、引っ張り上げろ!』

『合点承知』

 仲間、アラン伍長が僕をバギーへ引っ張り上げた。その間にもバギーはドリフトして百八十度の方向転換をすると、そのまま加速していく。トレーラーはすでに破棄されたようで、牽引車は分離して離脱しているようだ。

 言葉では言い表せない何かを感じていた僕は、視線を巡らせてベガ軍曹を探していた。

 見つけたのは、偶然だった。

 現人類と一目でわかるスーツとヘルメットの人間が、植物の壁を遮蔽にして走っているのだ。僕が乗るバギーはそれを置き去りにしつつある。

「グレイン軍曹! ベガ軍曹です! 生きてます!」

 思わず叫んだ僕に、グレイン軍曹は即座の応じた。

『こちらのセンサーに表示されない! 位置をデータリンクで共有してくれ! 方角は!』

「五時方向です! データリンクします!」

 僕は体をひねってベガ軍曹を見る。ヘルメットとスーツに装備されている光学カメラがベガ軍曹を捉えた。バギーは激しく横滑りしながら向きを変えたが、僕はその間もベガ軍曹を捉え続け、センサーもロックを継続した。

 バギーが矢が降りしきる中を突っ切り、ベガ軍曹とすれ違うコースに入る。彼女もこちらに気づいている。

「ベガ軍曹! 聞こえますか! ベガ軍曹!」

 僕は思わず呼びかけたが返事がない。代わりにアラン伍長の通信が入った。

『通信機もイかれているんだ! 俺とお前で引っ張り上げるぞ。タイミングを間違うな』

 そんなやり取りの最中にも驀進しているバギーはベガ軍曹とすれ違おうとしている。

 アラン伍長が大きく身を乗り出し、ベガ軍曹がそれに飛びついた。

 強烈な衝撃がバギーにも伝わり、挙動が乱れた。僕も慌ててベガ軍曹とアラン伍長に飛びついていたが、バギーの不規則な反動で危うく二人が落ちかける。それを僕がつなぎとめる形になった。

『新入り! 俺まで殺す気か!』

「す、すいません!」

『放さないでくれよ! さっさと持ち上げやがれ!』

 バギーが急加速しながら強引に方向転換したので、その反動を利用して僕はベガ軍曹とアラン伍長をバギーの上に引っ張りあげることができた。

 アラン伍長が助手席に戻ったとはいえ、バギーの簡単な荷台は僕とベガ軍曹の二人には狭かった。ともすると揺れで放り出されそうだ。

 僕が一息ついているところで、ベガ軍曹はしきりに両手の指先を触れ合わせている。スーツの機能を操作するときの動作だ。どの指を、どの順番で、何回触れさせるかで操作をショートカットできるのである。

 しばらくするとベガ軍曹は小さく首を振り、ぐっとこちらへ身を乗り出して彼女のヘルメットが僕のヘルメットに触れた。そうすると通信機能なしでも声は聞こえる。

「カール、悪いけど、医療班を待機させといて」

 全く普段通りのベガ軍曹の口調だったので、何を言われたか、すぐにはわからなかった。

「負傷したのですか? 応急処置は必要ですか?」

「胸が痛む。バギーを吹っ飛ばされた時に打ち付けたせいでね。一応、意識ははっきりしているし、スーツの診断機能を信じるなら重傷でもない」

 僕はホッとして息をついて、通信をグレイン軍曹につなげようとした。

 ただ、急にベガ軍曹が僕にしなだれかかってきたので、驚いて動きを止めてしまった。

「軍曹?」

 ヘルメット越しの声が聞こえる。

「スーツはどうやら壊れているみたいね。カール、ちょっと、支えておいて……」

 それきり言葉は途絶え、僕は脱力したベガ軍曹を荷台で抱えることになった。急いで通信を繋ぐ。

「ぐ、グレイン軍曹! 大変です、ベガ軍曹が、意識を失いました!」

 通信は共通回線なので、運転席のグレイン軍曹も助手席のアラン軍曹もこちらを振り向いた。前に向き直ったグレイン軍曹がバギーを加速させる。

『カール、クリスティンを放すんじゃないぞ。もしバギーから落としたらお前の命もないと思え』

 殺気立った恫喝にも、僕は真剣に頷いた。

 片腕でベガ軍曹を抱え、もう一方の手でバギーと自分を固定する。アラン軍曹が助手席から離れると、荷台にいる僕を助けてくれた。彼がベガ軍曹のスーツにある小さなパネルで、ベガ軍曹の身体情報をチェックしている。

『軍曹、急いでください』

 アラン伍長の簡潔な言葉に、グレイン軍曹は短く、わかっている、とだけ答えた。

 僕はアラン軍曹とともにベガ軍曹を保持したまま、ひたすら、キャンプに早く着いてくれと念じていた。


      ◆


 キャンプの中心であるドームは、汚染された地球の環境と完全に隔離されている。そこが現人類の地上における唯一の楽園と言える。

 そのドームの中でも医療区画はさらに隔離され、より厳密に環境が整えられている。医務室とは違い、長期の治療が施される患者が医療区画に入れられる。

 僕は身分証を提示し、さらに防護服のような簡易的なスーツを着て医療区画へ入った。

 広いスペースにベッドが並んでいるが、使用されているのは四台だけだ。ベッドは透明なシートで隔離されている。

 視線を巡らせる僕に、胡乱げな顔を向けてくる三人の男性に目礼し、四人目、女性の患者の方へ進んだ。

 彼女、クリスティン・ベガ軍曹は口をへの字にして僕を迎えた。

「軍曹、お加減はどうですか?」

「退屈しているわよ。それ以外にどう見える?」

 返答は実にぶっきらぼうだ。僕は彼女のベッドの周りを見るが、骨董品のような使いこまれた携帯端末があるだけだ。

「もう骨は繋がっているんだし、さっさと自由になりたいわ」

「退院はいつですか?」

「三日後。でも迎えに来なくてもいい。他の連中に笑われるから」

「でも、僕のせいですから」

 ピクピクとベガ軍曹の目元がちょっと痙攣した。

「私の不注意よ。それが以外の何物でもない」

「あの時、僕がおしゃべりしていたから……」

「そういう態度で私が喜ぶと思う?」

 僕は思わず息を飲んでしまい、すぐに答えられなかった。

 答えられない僕に軍曹がそっけなく言う。

「そうやって自分が悪いと口して、自分を責めているポーズをとって楽になるのはやめなさい。本当に自分を責めているなら、これからの行動で示しなさい。いい?」

 はい、と僕はやっと答えた。

 僕はもう何もできず、失礼します、とだけ口にしてベガ軍曹のベッドを離れた。

 医療区画を出て、僕は自分の携帯端末でスケジュールをチェックした。地上では人が少ないこともあり、余裕のある日は珍しい。今日は一ヶ月ぶりの丸一日の非番だった。明日からはキャンプの保全や道路網の点検と、またいつもの任務だ。

 食事まで時間があるので、トレーニングか、自分のスーツの点検でもしよう決めた。

 この日の三日後、大気圏外から送られてくる物資を受け取る任務を完了してドームへ戻ると、仲間が数人がかりでキャンプの周囲の植物を焼き払っているのが見えた。

 バギーの助手席から見ただけで、そこにベガ軍曹の姿があることに気づけた。復帰したその日から任務とは、元気というか、タフというか、すごい人だ。

 キャンプの駐機場でバギーを降り、あとは台車で荷物を倉庫へ運んだ。そこからは別のものが担当する。それでも二人がかりで運ぶ荷箱が十もあるので、倉庫へ運ぶだけでも時間がかかる。

 結局、外で植物を駆除していた仲間たちと同じ頃に撤収することになった。

 更衣室やシャワールームがが混雑して、やっと着替えてドームの中に入ると一緒に作業した仲間に遅いと文句を言われてしまった。不条理な気もしたけど、謝罪して、二人で上官に報告に行く。僕がまだ配属から間もないので、一緒に行くことになっている。

 報告が終わり、上官の大尉のブースを出ようとすると、不意に僕だけが呼び止められた。

「カール、クリスティンが復帰したのは知っているかい」

 僕は何の話が始まったのかわからないまま、訓練生時代を思い出して大尉の前で直立した。

「はい、先ほど、外で軍曹のような方を見かけました」

「そうか。彼女が例の件で上げてきた報告書だが、面白い内容だった」

 例の件とは、亜人の襲撃だろう。

 報告書がどう面白かったか、聞いていいものか。そもそもこの話はどこへ向かっているのだろう?

「カール、またクリスティンと組んでみる気はあるか?」

「え?」

「例えば、だよ。やってみるか?」

 どう答えればいいか、分からなかった。本当にどう答えればいいんだ?

 僕が黙り込んでしまったのが可笑しかったのだろう、大尉は口元を隠しながら控えめに笑うと、「考えておいてくれ、下がっていい」と僕に告げた。

 礼をして、僕は今度こそ大尉のブースを出て、どうするか迷ったけど、まずは腹ごしらえと食堂へ向かった。

 大尉の言葉を反芻しているうちに食堂に入った時、普段より騒がしいのに気づいた。

 視線を巡らせて、食堂の一角に大勢が集まっているのが見えた。

 中央にいるのは、ベガ軍曹だった。

 彼女はどういうわけか、食堂の入り口で立ち尽くす僕に気づいた。

 何の反応もできない僕に、彼女は口をへの字にするが、さっと手を挙げて僕に合図した。

 こちらへ来い、ということか。

 彼女の様子に他の面々も僕に気づき、手招きしてくる。こうなっては引き返すこともできない。

 僕は恐る恐る近づいていき、どんな言葉を向けられてもいいように心構えをしておいた。

 だけど、僕に向けられた声は意外なものだった。

 集団に混ざっていたアラン伍長が言う。

「クリスティンの命の恩人がやってきたぞ! 拍手で迎えよう!」

 え?

 不意打ちでどっと拍手が起こる。ベガ軍曹が迷惑そうな顔をしながら、それでも拍手をしていた。

「私を見捨てようとした奴がよく言うよ」

 ベガ軍曹の皮肉にアラン伍長が胸を張って「救助部隊が来たでしょう」と答えている。事実、キャンプへ引き返す僕たちは救助部隊と遭遇し、それもあってベガ軍曹のキャンプへの移送と治療の開始が間に合った、という側面もある。

「生きているから、水に流しましょう。カール、あなたも席に着いたら。ほら、誰か、彼の料理を調達してあげなさい」

 そんな言葉で、ベガ軍曹は僕を迎え入れてくれた。

 それからは賑やかな食事になり、僕はいろんな人と打ち解けることになった。この時になって、これまでの僕はまだキャンプの中では新入りの、ちょっとした異邦人だったのだとわかった。

 これからは本当の仲間として、ここで彼ら彼女らと生きていくことになるのだろう。

 食事の途中で、ベガ軍曹と話すことができた。

「次の仕事で一緒になる時は、ちょっとだけ口を閉じていなさい。それが唯一の注文だよ」

 了解しました、と僕が答えると、ちょっとだけベガ軍曹は明るい笑みを見せた。

 それだけで、それ以上の言葉はなかった。

 僕はそれから、何度かベガ軍曹と二人で仕事をしたけれど、彼女は時折、僕におしゃべりをするように促してきた。嫌味ではない、とわかっていたけど、僕はその度に困ってしまった。

 話さないでくれ、と言われるよりはマシだろうけど。


(了)

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