サクラサクナ

ヒロ

第1話

 この時期、SNS上には”桜”があふれている。

 喜ばしいはずの報告の数々を見て、息が苦しいような気持ちになるのは、まだ合格が決まらない受験生と俺ぐらいだろう。

 世の受験生たちの投稿を見ていると、あの人の卒業が間近に迫っていることが思い出される。そして桜というのも、今の俺にはツラかった。

 そんなに見たくないならSNSを開かなければいい。そうも思うのだが、彼からのメッセージが来ていないか確認せずにはいられない。もっとも、最後のやり取りは冬休みより前のことで、かれこれ3ヶ月、通知は鳴っていない。

 


 俺と柳先輩が初めて言葉を交わしたのは去年の春のことだ。先輩が3年生で俺は2年生。

 図書委員になった俺は、毎週金曜日の昼休み、図書室の貸出カウンターで本を読んでいた。最近の若者は読書離れの傾向があるというのは本当の様で、利用者はいつも数人程度。そのほとんどが用事が済むとすぐに出ていってしまう。

 そんな中で、1人いつも同じ席で本を開いている人がいた。休み時間が始まると窓側の明るい席に座り、静かに読み始める。あまり進んではいない様だから、この時間だけでなく借りて家でも読めばいいのにと思う。だけど決まって、毎週金曜日、昼休みの短い時間だけ読みに来る。

 なぜ金曜日だけというのがわかるかといえば、その人が有名だからだ。

 柳隼人という名前は1年生のときから知っていた。

 2年生にしてバスケ部のエースで、明るい人柄からいつも人に囲まれている。誰にでも優しくみんなから一目置かれ、先生にも信頼されている。そんな先輩を知らない人はいなかった。

 だから、普段先輩が友達と体育館でバスケをしたりと図書室に行っていないのを知っていた。でもなぜ金曜日だけ、友達と遊ぶのではなく1人で図書室に来るのかはわからなかった。

 俺のように本が友達というかんじの人には、先輩のような人気者の気持ちはわかるはずがない。いつも誰かと一緒にいると一人になりたい時ができるものなのだろうか。

 それを知るチャンスは思いがけず巡ってきた。

 ある金曜日、その日もいつも通り図書室には俺と先輩の2人だけだった。

 「梅原」

 突然呼ばれた俺は驚いて本から顔を上げた。いつの間にか柳先輩がカウンターの前に立っていた。しばらくかかって先輩は俺の名札を読んだことがわかった。

 「はい」

 妙な間が空きあわてて返事をする。

 「ごめん、急に声かけて」

 「いえ、貸出ですか?」

 先輩が片手に持っている本を見ながらたずねる。

 「そういうわけじゃないんだ」

 「?」

 俺の疑問に気がついたのか先輩が笑いながら言葉を続ける。

 「ああ、本当は借りたいんだけどね。借りても貸出期間のうちに読み終わらなくて。オレ読むの遅いんだ。あんまり読む時間もないし」

 図書室での本の貸出は一度に3冊までで、1週間ということになっている。

 それで先輩はいつも図書室で読んでいたのか、と1人納得する。

 「それなら俺がうまいことやっておきますよ。利用者も少ないので、1ヶ月くらい借りてても全然問題ないと思います」

 記録をするのは図書委員である俺の仕事だから、それぐらいのことは容易い。そう思って先輩に提案した。

 「えっ」

 先輩は一瞬驚いたような顔をした。だがすぐにパッと表情が明るくなる。

 「いいのか。それなら頼もうかな」

 そう言って楽しそうに笑った。

 「わかりました」

 俺もつられて笑ってしまった。

 おねがいしますと言いながら先輩が差し出した本は、表紙にドラゴンと戦う勇者が描かれた冒険もののシリーズ小説だった。少し意外に思う。先輩は大人っぽいイメージだったから、もっと難しい本を読んでいるのかと思っていた。そのシリーズは俺が小学生の時に好きだったものだった。

 「子供っぽいだろ」

 先輩が照れるように言った。顔に出ていたらしい。

 「すみません。そんなことないです」

 あわてて言うがこれでは肯定したのと同じだと後から気がついた。

 「別にいーよ。オレこの本小学生の時から好きでさ。図書室にあるの見つけて久しぶりに読みたくなったんだ。でも友達の前で読むのはなんか恥ずかしくてここ来て読んでた。まあ全然進んでないけど笑」

 「俺も好きですよ。このシリーズ」

 「ホントか。なんかうれしーな」

 俺の言葉に先輩は笑顔で言う。俺は先輩の意外な一面を知って嬉しく思った。

 「じゃあクラスと番号教えてもらってもいいですか?」

 貸出手続きのために必要な情報を質問する。

 「名前はいいのか?」

 「知ってますよ。柳勇人先輩ですよね」

 先輩の疑問に笑って答える。

 「先輩は有名人ですから」

 なんだそれと先輩も笑った。

 初めて話したその日から、俺と先輩はしだいに仲良くなった。毎週図書室で言葉を交わし、そのうち学校外でも会うようになった。たいていどちらかの家で俺のおすすめの本の話をしたり、先輩に教えてもらいながらゲームをするなどして過ごした。不思議なことに正反対のように思われる俺と先輩はよく気が合い、話は尽きず、何より気楽だった。

 そんな関係になって1ヶ月がたったころ、俺たちは先輩の部屋で初めて身体を重ねた。

 どういう流れでそうなったのか、気がついたら先輩のベッドの上で横になり、キスをしていた。

 先輩が俺の頬から首筋、胸へと順に唇を落としていく。身体にその柔らかさが触れるたび、体温が一度ずつ上がっていくように感じた。自然と吐息が漏れる。先輩の甘い吐息も耳に触れた。

 先輩はすごく優しく、俺は気持ちよさに夢中になっていった。

 その一方で、先輩が”慣れている”ということに気がつき胸に何かが引っかかるような思いも抱く。その思いにふたをし忘れようと、目の前の先輩に意識を持っていくことに集中した。

 その後、俺たちはどちらかの家に行っては最後に身体をつなげるという日々を過ごした。

 お互いに愛や恋だといったものを示すことはない。友達の延長のようなよくわからない関係だった。

 2人の間になんの変化も起こらず、ずっと同じことをくり返す。変わったことといえば俺の背が伸びたことぐらい。もとは170cmもなかったのが、遅めの成長期なのか半年で5cm以上伸びた。他は何も成長していないというのに。

 そんな状況の中で、俺はどんどん身動きが取れなくなっていくような気がしていた。

 自分がゲイだということを以前から自覚していた俺にとって、柳先輩は魅力的で、そんな人にもとめられるのは願ってもないことだった。

 だけど、先輩はどうなのだろう。俺が1年生のとき、先輩と女子の噂を聞いたことがある。ゲイではないはずだ。バイなのか、俺との関係をどう考えているのか、わからないことはいっぱいある。しかしどれも聞く勇気は俺にはない。自分の中に生まれつつあるものに、俺は怯えバレないように必死になった。

 先輩とはSNSのアカウントを交換してあり、それでやり取りすることもあった。たいてい先輩から送られてくる。会わなかった日はそこで会話をし、会う約束をすることにも使われた。

 だけど、先輩は3年生であり、受験が近づくにつれ連絡は減っていき、ついには0になった。やはり忙しいのか、金曜日に図書室に来ることもなくなっていた。


 そして今、先輩と会うことのないまま明日、卒業式の日を迎えようとしている。

 先輩に会いたいという思いはどんどん強くなる。もうすでに、先輩のことが好きだという気持ちを認めないわけにはいかなくなっていた。

 このままいけば先輩は卒業してしまい、もう会うことはなくなるだろう。そう思うと、なんとしてもこの気持ちを伝えなくてはと思う。

 でも、俺は悩んでいた。

 というのも、最近学校である話を聞いたのだ。先輩に告白する人がいるという話だ。その人は女子バスケ部で、明るく後輩に好かれ、そして先輩の幼馴染なのだという。

 「柳先輩のこと好きだったけどサクラ先輩なら仕方ないわ。ほんとにお似合いだもん」そうクラスメイトの女子が言っていたのを思い出す。

 ”桜”先輩というらしいその人を思い浮かべ、俺は1人苦しくなる。話に聞いているだけでどんな人なのか具体的には何も知らない。どんな外見をしているのか、知ろうとすれば知ることのできるそんなことでさえ何も知らない。やっぱり、桜が似合うようなきれいな人なのだろうか。

 そんな風にもやもやと考えてしまうから、桜の花は見たくない。桜が咲くのを願うたくさんの人の思いが俺にはちがう意味を持って届く。

 俺は怖かった。先輩に好きだと言ったとして、先輩はもう桜先輩と付き合っているのではないか。俺にはドラゴンどころか自分の臆病さと戦う力さえない。

 これでいいのか。結局なにも決められず俺は眠りについた。


 翌日、卒業を祝うのにふさわしい青空が広がっていた。もちろん、俺は先輩の卒業を喜べるはずもなく、心は陰ったままだ。

 卒業式は順調に進んでいく。

 「桜の蕾も膨らみ始め、」テンプレートのその言葉に、胃がキリキリするようなあせりをおぼえる。

 最後に校歌を歌い、式は終了した。

 卒業生は教室へ行き、保護者に見守られながら最後のホームルームを行う。在校生は下校となった。

 俺は、校舎の端にある図書室へと続く廊下を歩いていた。今日は金曜日、図書室は開放されていないが、係として換気をするようにと頼まれていた。学校に残る理由がありよかったと思う。

 1,2年生はみんな帰ってしまったようで、廊下は静かだった。

 鍵を差し込み、図書室の扉を開ける。中に入った瞬間本の香りに包まれた。

 この場所で先輩と過ごすことはもうないのだ。そう思ったら、鼻の奥がツンとし、涙が溢れそうになる。

 この後、先輩と話すチャンスはあるだろうか。30分後にはホームルームが終わる。その後に、最後に一度でいいから直接話したい。

 どうやって先輩に声をかけるか、なんと言って想いを伝えるか。それらを考えながら窓を開けていく。

 図書室は2階にあり、カウンターの横の、本が置かれていない南側の窓の外には桜の木がある。最後にそこの窓を開けた。風に桜の葉が揺れる音が聞こえる。

 換気が終わるまでここにいなければならない。俺は本棚により、一冊の本を手に取った。それは先輩の好きなシリーズの1冊目だ。それを持って机へと移動する。

 先輩がいつも座っていた席、そこに座る。本を開きパラパラとめくっていく。ところどころに挿絵が載っていた。少年漫画のようなタッチで勇者の絵が描かれている。懐かしい気持ちになった。小学生の自分が夢中になって読んでいたことを思い出す。

 もう一度最初から読んでみよう。ふとそう思った。俺は本が友達。読む時間はたくさんある。でも、あえて毎週金曜日にだけ読んでみるのもいいかもしれない。俺は読むのが速いから、それでもすぐに読み終わってしまうかもしれないけれど。

 とりあえず、1話目を読んでみることにした。どんどんページをめくる。

 10分ほどで読み終えた。本を閉じる。そろそろ換気もいいだろう。俺は本を片付けるために席を立った。

 本棚にしまう。その時、あれっと思った。

 そこに並んでいるのは7冊、1から7巻までだった。俺の記憶では確か8巻まであった気がする。誰かが借りているのだろうか。もしかしたら…

 そう思ったとき、まさに今俺が思い浮かべた人の声が聞こえた。それはカウンター横の窓の外からだった。

 驚いて窓の方へ向かう。

 外を見ると桜の木の下に先輩がいた。そして先輩と一緒に、同じく卒業生らしい女子生徒の姿があった。

 ズキンと胸が痛むのを感じる。それが桜先輩であるとすぐに気がついた。なぜなら、さっき俺が聞いたのは、「サクラ、待たせてごめん」という先輩の声だったからだ。

 窓を開けたまま壁に背中を合わせてしゃがみ、外から見えないように隠れた。盗み聞きをするようだが、どうしても気になってしまう。

 「話って?」

 久しぶりの先輩の声に胸が鳴る。

 「わかってるでしょ。けっこううわさになってたみたいだし」

 桜先輩が笑いながら言った。弾むような明るい声だ。

 やっぱり告白するので間違いないらしい。顔は見えないため先輩の反応はわからない。

 「隼人のことが好きです。付き合ってください」

 小さく息を呑む。なんのためらいもなく言ってしまった。それほど自信があるということだろうか。先輩の返事が怖い。祈るように目つむる。

 次の言葉が聞こえるまですごく長く感じた。

 サーッと風の音がする。

 「ごめん」

 目を開く。

 「サクラの気持ちには応えられない」

 申し訳なさのにじむ先輩の声が続く。

 「ふっ、あははは。いいよ。わかってるから謝らないで。好きな人いるんでしょ」

 「うん」

 「応援するよ」

 「ありがとう」

 桜先輩の相変わらず明るい声と、落ち着いた先輩の会話は驚くほどあっさりしており、俺は理解するのに時間がかかった。

 先輩は告白を断った、ということでいいのだろうか。それに好きな人って。

 先輩の好きな人は自分なのではないか。そんな思いが浮かんでは沈む。もしかしたらと思ったり、でも違ったらと思ったり。俺の中は忙しい。

 窓の外を見る。いつの間にか2人の姿はなくなっていた。

 ハッとする。急がないと先輩が帰ってしまう。

 急いで部屋の奥の方から窓を閉めていく。

最後にカウンター横の窓を閉めようとした時、背後で扉が開く音がした。

 驚いてふりかえる。そこにいたのは、柳先輩だった。

 先輩も驚いているように見える。

 「どうしたんですか?」

 平静を装って聞く。

 「あっ、いや。これ返すの忘れてて」

 そう言いながら先輩が片手に持っているものを上げる。それは、さっき見当たらないと思った8巻だった。

 「なるほど。じゃあ俺が預かっておきます」

 本を先輩から受け取る。

 手から本が離れた後も先輩は立ち去る気配がない。

 だからといってなにかを言うわけでもない。俺の方を見ようとせず、考え込むように黙っている。先輩が部屋に入ってきてから一度も目が合っていない気がする。

 俺は沈黙に耐えられなくなって思い出したように言った。

 「柳先輩、卒業おめでとうございます」

 先輩ははっとしたように顔を上げ、ようやく俺の方を見た。

 「あ、ありがとう」

 歯切れの悪い言い方だった。表情も笑っているようだがどこかぎこちない。

 「先輩どうかしましたか?」

 告白するなら今この機会しかないと思うのに、その勇気が出ない。でも、なにかを言って会話を続けないとと必死になる。

 先輩は「あー、いや」とあいまいに返しただけで、ますますぎこちない空気になってしまった。

 さっき、窓の外に見えた先輩はもっと、なんというか、芯があったように思う。それは、みんなの信頼を受け誰からも好かれる、いつも通りの堂々とした先輩だった。

 だけど、今目の前にいる先輩はその姿とはまるで違う。俺の、初めて見る先輩だった。

 なんだかすごく不安になる。俺は、どうしたらいい。先輩になんて言ったら…

 「本当は」

 先輩が唐突に、つぶやくように言った。

 「梅原に用があったんだ」

 「えっ」

 先輩の顔を見る。目があった。が、俺はすぐにそらしてしまった。

 用というのが何なのか、俺は先輩の顔を見て聞くことができずうつむく。そんな俺の反応を見てか、先輩はあわてたように言った。

 「あっ、ほらオレもう卒業したからさ。あいさつしとこうと思って。お別れの…」

 ”お別れ”その言葉に胸が軋む。

 俺は、勘違いするところだった。いや、本当は少し期待していた。先輩も、同じ気持ちなのではないかと。でも、違ったんだ。

 「そうですね。もう、お別れですもんね」

 感情をできるだけ抑えるようにして言った。

 1秒、2秒と先輩の次の言葉を待つ。しかし、いつまで待っても先輩はなにも言わない。

 なんとか笑みを作り、顔を上げながら努めて明るい声で言う。

 「どうしたんですk…」

 俺の言葉は最後まで発せられることなく消えた。驚いて言えなかったのだ。

 先輩は、今にも泣きそうな顔をしていた。たぶん、俺が必死で笑顔の下に隠したのとおんなじ表情だ。

 先輩はあっという顔をしたが、隠そうとはせず、唇をぎゅっと噛んだ。それは、俺の持つ先輩のイメージから大きく離れた幼い仕草だった。

 俺はなにも言えなくなる。自分が今どんな顔をしているのかわからない。

 先輩は俺の後ろにある窓を見た。最後に閉めようとしていた窓だ。

 先輩が小さく口を開く。

 「もしかして…聞いてたか?」

 なにをとは言わない。俺もそれでわかる。さっきの告白のことだ。

 「すみません、換気のために窓開けてて」

 「そっか」

 先輩は伏し目がちに言って頬を掻く。先輩は、なにを…

 「すごいよな。あんなふうに、自分の気持ち伝えられて。怖くないのかな」

 独り言のような先輩の言葉。その声はこころなしか震えているように聞こえる。

 「オレさ、すごく弱いんだ。オレのこと、評価してくれる人とかいるけど、全然そんなできた人間じゃない。周りからどう見られるかって、そればっかり怖くて、必死でみんなと合わせてるだけなんだよ」

 先輩の言葉は止まらなかった。気のせいではなく、先輩は泣きそうに弱々しい声で、それでも話し続ける。

 「サクラは、ちっちゃい頃からオレのこと知ってるから。だから、オレも気楽に話せて、大切な幼馴染だ」

 桜先輩の名前が出てきた。でも、俺は今自分でも驚くほど冷静で、先輩の言葉をただ受けとめようと思っていた。

 「オレ、いわゆる高校デビューってやつなんだ」

 そこでいったん言葉を区切る。そして、すぐにまた話し始めた。

 「中学までのオレなんてダサすぎて、とても梅原には見せられない。今の、高校なってからの友達に、いつかホントの臆病でカッコつけてる自分がバレるんじゃないかって。ずっと怯えてた。そんな人間なんだよ」

 先輩は自嘲気味に笑っているが、必死で話しているのがわかる。内容にまとまりはなかった。ただ思いつくままにしゃべっているという感じだ。泣きそうな顔のまま、肩は震えていた。俺の方を見ることなく、言葉を続ける。

 「サクラは、前からずっとオレの相談聞いてくれたりしてて、高校入ってからもずっと変わらず頼りになって、ほんとうに、大好きなのに…」

 先輩は苦しそうに息を吸う。涙は出ていないがもうほとんど泣いていた。

 「サクラの気持ちに応えられなかった。オレ、オレさ、男が好きなんだ」

 絞り出すような声だった。俺は、どんな思いで先輩が話してるのかを思ってなにも言えない。なにか言いたくても、先輩の言葉の邪魔をしてはいけない気がした。

 「ずっと誰にも、サクラにも言えなくて、周りに合わせようと、告白してくれた子と付き合ったこともある。全部自分守るためだ。自分じゃ告白だって怖くてできないくせに、オレのこと好きだって言ってくれた人の気持ち、踏みにじった。サイテーだ。オレなんて…」

 先輩は自分を追い詰めるように言葉を続ける。俺の方が耐えられなくなってくる。

 「せんぱ…」

 「今だって」

 呼びかけようとした俺の声は先輩の声に消えた。さっきまで頑なに俺を見ようとしなかった先輩と、はっきり目が合った。今度は俺もそらさなかった。

 「オレ、梅原に言いたいことがあるんだ。なのに怖くて、勇気が出ない」

 ほんの数秒前に俺の方を見た先輩の目には、なにか覚悟を決めたような光があった。だけどまたそれは薄れ、不安に怯えたような表情になる。

 「ごめん、オレ、うまく言えなくて。こんな引き止めてるくせに、悪い、ホントに」

 先輩らしくないと思っていたこうした姿も、今はそれが自然に思えた。

 ずっと、俺が怯えていたこと、それは先輩も同じだったのではないか。相手がどう思ってるかわからない中で、必死でなんでもないふりをしていたのではないか。

 今までの俺が、そんな都合のいいことあるはずがないと否定してきた考えで、頭の中がいっぱいになる。

 もし、その考えが正しいとしたら、先輩は、俺がずっと言えなかったことを言おうとしていることになる。

 「オレ」

 言葉に詰まっている先輩。その姿見て俺の中で覚悟が生まれた。

 「先輩」

 俺の予想が違っても構わない。

 「俺も、先輩に言いたいことがあるんです」

 俺は、先輩とは違って人と関わる努力をしないできた。特別1人が好きだったわけではない。友達が欲しくても自分から行動する勇気がなかったのだ。先輩はそれを頑張ってきたのだ。

 周りに気を使いながらも友だちに囲まれているのと、友達はいなくても気を使わずにいること、どちらがラクとかはないかもしれない。

 だけど、俺は今まで頑張らなかった分、そのエネルギーをここで使ってみてもいいのではないか。

 先輩の震える両肩にそっと手を置く。

 「俺、柳先輩のことが好きです」

 目をそらさずにようやく口にすることができた。

 そんな俺を先輩はハッとした顔で見る。

 俺は、先輩の背がバスケ部の割には小柄だという話を思い出した。170cmくらいだろうか。思えば、これまでにこうしてしっかりと向かい合ったことはなかったかもしれない。いつの間にか俺の方が高くなっていたことに今初めて気がついた。

 「ホントか?」

 まだ不安そうな先輩に俺は頷く。

 「はい。やっと言うことができました」

 先輩はほっとしたように笑った。

 「先に言われちゃったけど、オレも好きだ」

 「これで、卒業したからお別れ、なんてことにはなりませんよね」

 気になっていたことを口にする。

 「当然だろ。そうなったらオレ泣くよ」

 さっきまでのあやうさは消え、堂々と、だけど自然な調子で先輩が言った。

 俺達は顔を見合わせ笑いあった。



 家に帰って、ベッドに横になる。

 学校で先輩と別れた後、まっすぐ帰ってきた。先輩は友達と約束があるらしい。

 俺は心地の良い疲れの中にいた。

 なんとなくSNSを開く。先輩の投稿があった。

 「オレの1番すきな花」

 という言葉とともにあげられている写真は2枚のクッキーだった。卒業式で学校側からもらったものらしい。一つには校章、そして手前のほうにプリントされているのは、梅の花だった。

 1番すきな花…

 俺は心が満たされていくのを感じた。

 ふとコメントに目を向けると桜先輩と思われるものを見つけた。

 笑顔の絵文字とともに「よかったね」と一言書かれている。弾むような声と明るい笑顔が浮かぶ。俺はそのアカウントを開いた。

 過去の投稿を何気なく見ていく。そして、自分がずっと勘違いしていたことに気づいた。

 その人の名前は”桜”ではなかった。桜先輩ではなく、佐倉先輩だったのだ。

 自分の勘違いと、桜を見るたびもやもやした思いを募らせていた最近の自分自身に笑いがこみ上げてくる。

 昨日の自分には、今俺がこんなふうに笑っているところは想像もできなかっただろう。

 柳先輩のアカウントを開き、少し前の投稿を見る。

 桜が咲いたと知らせるその言葉に、俺はようやく心からの祝いをおくることができた。

  

 

 

 

 

 

 

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サクラサクナ ヒロ @apple04cherry

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