ないしょだよ。

昼星石夢

第1話ないしょだよ。

「誰にも話さないで」


 そうそう、あれは子供の頃、中途半端に自我が芽生えて、少しでも思い通りにいかないと、ぐずって動かなくなった、そんな頃の話。

 僕は転勤族の父親が運転する車で、ずいぶん遠くまで出掛けたことがある。夜中も走りっぱなしで、僕は後部座席で横になっていたけど、母親が助手席で微動だにしなくて、疲れないのかと心配だった。

 旅行に行くときは、公共交通機関を使っていたし、車で出掛けるとしたら近場のスーパーぐらいだったから、前に座る二人の首筋と、逆さに見える夜道の街灯をよく覚えている。

 知らないうちに眠っていたのか、目が覚めると、空はすっかり明るく日が昇り、どこかの住宅街をくねくねと進んでいた。

「着いたぞ」

 父親のどこか不機嫌な声で、車から出た僕は、その赤い屋根がところどころ錆びた、ため息をついているような家を見上げて、早くも理由わけもなくへそを曲げた。

「どこ、ここ。帰る。今日は裕也くんと遊ぶはずだったのに!」

 そんなことを言って反抗した気がする。

 だが、その家の玄関扉が、ぎい、と不快な音を立てて勢いよく開いたことに驚き、僕は家から出てきた二人の老夫婦とばっちり目が合った。

 老夫婦は僕を無言の無表情でじっと見ていた。

「ほら、行け」

 父親は僕の後頭部をはたいて、家に入るよう促した。僕は老夫婦を警戒するように睨めつけながら、渋々家に上がったんじゃないかな。

 家の中は生活感に溢れていたけど、全体的にすすけたような空気が流れていて好きになれなかった。

 でも二階には見たことのないゲーム機や、ボードゲームが置かれていて、すっかり夢中になっていじくり遊んでいた。

 一階で老夫婦と両親が何を話していたのか知らないが、しばらくすると、母親が僕を呼ぶ声がした。だけど、黒ひげ危機一髪のとりこになっていた僕は、

「行かなーーい!」

 と叫び返した。すると、

「留守番してるのよ! 出て行かないでね!」

 と怒ったような母親の声のあとに、複数の靴音と、玄関扉が閉まる音がして、途端に家の中が静寂に包まれた。

 それまで遊びに夢中だったのに、おいていかれたと思うと、黒ひげへの興味も失せて、狭い和室の真ん中で大の字に仰向けになった。

「つまんない!」

 投げやりに叫んだ、その時……。

「退屈しているの?」

 見たことのない少年が、扉から半身だけ覗いていた。よく覚えていないけど、僕より少しだけ年上の、柔らかな声だった。

「僕と遊ばない?」

 その少年は僕に手を伸ばした。誘うように。

 いくら幼い僕でも、普通そんなことがあったら怖がって助けを呼ぶだろうし、誘いに乗ったりしない。

 でもその時は、少年の手を取った。

 少年はそっと握り返して、僕の腕を引いた。

 僕らは家の外に出て、近くの裏路地や公園を走り抜けた。きっと今の僕なら、いや、僕一人だったなら、なんの面白味もないものだっただろう。

 だが少年に腕を引かれて走ったあの瞬間、冒険心に満ちて、見るものすべてが未知のものに感じた。

「ほら、こっち」

 少年がそう言うと、ふわりと宙に浮いた。そのまま家々と道路を飛び越え、緩やかな小川に降り立った。手を離そうとすると、

「離さないで」

 と少年が言った。

 片手で靴と靴下を脱ぎ、少年と二人で川に足をつけた。

「冷たっ!」

 反射的に声が出て、少年と顔を見合わせた。記憶の映像では、少年の鼻から下がぼんやりと思い出せる程度だが、二人で笑いあったことは不思議と鮮明に覚えている。

 石投げや水掛けをした。手を繋いだまま――。

 それから少年は小川のそばの林へ僕を連れていった。

「見て、鳥がいるよ。トンビだ」

 少年が指さした岩の上を見て僕は言った。

「大きい」

 川の流れる音と、風で葉がこすれる音だけが世界を包む。ずっとここにいたいと強く思った。

「あの虫は? 踊ってるみたい」

 僕が指さした川辺のほうに顔を向けた少年は、なぜか落ち込んだようにボソッと言った。

「カゲロウだよ。ほんの少ししか、この世界にいれないんだ」

 少年は、僕を振り返ると、

「そろそろ帰ろう」

 と微笑んだ。僕はまた、ぐずった。まだ帰りたくない、とか、川の向こうに何があるのか知りたい、とかなんとか言って。でも少年は静かに首をふるだけだった。

「お母さんに怒られちゃうよ」

 そう言って、少年は僕の腕を引いて、家のほうに走っていった。どこをどうやって家までたどり着いたのか、行きのように飛んだりしたのか、はっきり覚えていない。でもちゃんと四人を迎えた。で。それからすぐに家を出た。

 僕はその後、もう少し成長してから、父親にあの日何をしにあの家に行ったのか、あれは誰の家なのか聞いた。

 薄々予想していたとおり、あの家は父親の実家だった。父親は両親と仲が悪く、ほとんど帰ることがなかった。

 僕も祖父母に会ったのは、あとにも先にもあの一回だけだ。

 そして、これは知らなかったことだが、四人が僕を留守番させたのは、お墓参りをするためだったそうだ。

 僕には二歳上の兄がいた。その兄が眠っているそうだ。それまでは気が滅入って近づけなかったそこへ、母親が初めて参ったらしい。だが、結局、僕の知る限り、母親も一回参ったきりだ。


 ふと、当時はなんとなく黙っていた、あの少年との思い出を、両親に話してみようかと思ったのだが、誰にも話さないで、と言われては仕方ない……。

 ――そういえば、僕は誰と話していたんだ?

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