どらねこの、じょうけん

サカモト

どらねこの、じょうけん

 人生が変わった、あの日のことを話します。

 その日、わたしは近所のスーパーマーケットへ買い物に出かけました。安かったので立派なサバを二尾、買いました。今日食べてしまう用、冷凍用にと。

 パック入りで販売はなく、店頭で店員さんお願いすると、小袋に入れてくれるタイプの販売方法です。魚の他にも、野菜、牛乳、冷凍食品など、多くの品々を購入です。

 無人レジで会計を済ませ、自らの手で持参したエコバックへ詰め込みます。ここで、やってしまいました、買い物をし過ぎて、持って来たエコバックにうまく入りきりそうにない。なんとか、検討し、強引につめていきました。魚は、つぶれないように、最後に入れようとしていました。隙間はほんどありません。でも、やるしかない。やるしかねえ、と、わたしは、ぐいぐいと、エコバックへサバ、二尾を詰め込みました。結果、サバは少し、エコバックからはみ出てしまいました。入っているより、突き刺している感じです。サバが落ちないよう、気を付けてエコバックを持ちました。店を出て、自転車のカゴへぎちぎちにつまったエコバックを押し込みます。魚は半分、カゴから出てしましました。アクロバティックな感じです。

 このままでは、ちょっとした衝撃次第では、サバは落下する、その危うさは認識しつつも、出発します。エコバックへ入れ直す手間を惜しみました。

 自転車で町の中を走ります。

 冬が終わり、春も近いためか、風の強い日でした。春の嵐です。それでも空は晴れ晴れとしていて、世界全体がひじょうに明るく、あたたかな日でした。そうなると、気持ちがよくなり、つい、スピードをあげてしまいます。

 やがて、閑静な住宅街へ入りました。危険は人生のしばしば油断した時に訪れます。鼻歌をうたいながら、イージーに走らせていた自転車の前輪が、路面のごくごくささいな突起にぶつかりました。ふだんなら、問題のない振動です、でも、その日は、カゴへ危うい態勢で収納したサバがありました。弱い衝撃で、サバの入った小袋が地面に落ちてしましました。しかも、落ちた先に縁石があり、さらに奇跡的な角度でぶつかり、袋が裂けて、サバが一尾、路上へ飛び出しました。

 そのままサバは自転車から、一メートルほど、先へ滑ってゆきました。

 パニック、ナウです。

 すると、家と家の隙間から、ぬるり、と何かが出てきました。

 猫、です。

 首輪はしていません。茶色に、黒いしましまの柄が入っています。きっと、野良猫です。

 登場した猫は、わたしの落としたサバへと接近します。

 この時、わたしは思いました。

 もしも、あの猫が、あの魚を咥えたとしたら。

 そして、口に咥え、この場から走り去ったら。

 そして、わたしがそれを追い駆けたとしたら。

 お魚、くわえた、ドラ猫―――追跡。

 はっ、となりました。でも、待ってください。

 ドラ猫。

 そういえば、ドラ猫、って、どんな猫のことだろう。疑問に思い、スマホを取り出ました。ネットで検索です。それはもう、かつてないほどの速度のフリック入力で検索でした。すぱぱぱと、入力して検索したところ、ドラ猫とは野良猫が盗みや悪さをした場合、ドラ猫、と呼び変える、的なことがわかりました。

 つまり、あの猫が、わたしのあのサバを咥えて逃げた瞬間に、ドラ猫とになる。

 興奮しました。鼻血が出そうでした。そっと、靴と靴下を脱ぎ、裸足になる準備もしました。

 猫は、わたしの落としたサバを咥えました。そして、動きをとめます。魚を咥えたまま動きません。魚を口からはなさない。

 さあ、行って、行くのよ。と、わたしは願います。これが、狂った願いだとわっていても、願ってしまいます。

 お魚、くわえた、どら猫。

 それを追いかける。そう、追いかけるから、きっと、わたしは、どこまでも、貴方を追い駆けるから。

 心で歌います、そう、ミュージカルを演じるにも似た心境です。いわば、歌劇団わたし、単独にして孤独公演です。

 ついに、猫は魚を咥えたまま、小さな前足を持ち上げます。

 そして、わたしの方へ歩いて寄ってきます。

 サバをわたしの前へ置きます。

 まるで、猫は、あのー、落とし物ですよー、というように、魚を返してくれました。

 とたん、わたしの目から涙があふれました。わたしの心はなんと醜い。己が腐った願望ため、罪もない野良猫へ罪をおわせるワナへかけ、ドラ猫化させようとなどと仕組んだ、なんと、醜い心の人間なのか、わたしは。それに、いや、でも猫が口で直接一度齧った魚を返されても、もうちょっと、無理かなぁ、と、思ってしまう、そんな自分も醜く思います。

 そして、気づいたときには、わたしは両手で猫を拾い上げていました。わたしは、この子をもう、はなさない。そう決め、飼うことにしました。

 その後、この猫との暮らしで、わたしの人生は変わりました。猫の飼える家へ引っ越したので。

 補足。あの日、わたした流した涙は、花粉症のはじまりだったようです。

 ちなみに、共生初日の食事は人間も猫も、サバです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どらねこの、じょうけん サカモト @gen-kaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ