はなさないで KAC20245

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

第1話 はなさないで

 一体いつから、アイツの心は離れていったんだろう。


 とあるゲイバーで声をかけられて付き合うことになった、俺と翔吾。俺よりふたつ年下の、甘え上手な社会人三年目の高身長短髪イケメンだ。


 俺は平凡を絵に描いたような特徴のないサラリーマンだから、どうして俺に声をかける気になったのか不思議で仕方なくて聞いてみた。そうしたら、「目つきの鋭さがセクシーだった」と返ってきやがった。目つき悪いってよく言われるんだけど、これが好きなのか。もの好きもいるもんだ。


 平日はお互い仕事が忙しくてなかなか会えないから、メッセージのやり取りがメインだ。週末にはうちより広い翔吾の家にいってまったり過ごすのが、俺たちのルーティーンになっていた――んだけど。


 ある時から、翔吾の反応が悪くなった。なんというか、全部が上の空。


 あ、これは振られるのも近いかなあと思ったけど、その割には夜は随分とねちっこい。翌日足腰が立たなくなることもしょっちゅうだった。


「なあ翔吾、お前なんかおかしくない?」

「僕? 全然。それより、キスマークもっと付けていい?」


 なんだか昏い目で聞かれたら、ストレスでも溜まってんのかなって思うだろ。可愛い年下の彼氏の願いは叶えてやりたいから、頭をぐしゃぐしゃと撫でながら答えた。


「あんま見える所に付けるなよ」

「……いいんだ、へえ」


 そうしてえげつないほどのキスマークを付けられて、職場で「首に虫刺されありますよ」って言われて焦ったりしてたんだけどさ。


 ある日、やっぱりぼんやりした様子の翔吾に言われたんだ。


「話がある」って。


 こりゃいよいよ別れ話か、好きだったのは俺だけか――なんて悲しくなりながらも、これ以上翔吾を縛り付けておくのもあれだしと話を聞くことにした。


 だけど、内容は俺が思ってたのとは全く違った。


 深淵でも覗いてんじゃないかって目で俺を見ている翔吾の口から語られたのは、全く身に覚えのない浮気の証拠の数々だった。


 ――俺の。


「この日は渉さんの家で手料理をご馳走になったって……これが証拠写真」

「は?」


 見せられた写真には、確かに俺の作った激辛ペペロンチーノが映っていた。一人前の。あまりにも辛くし過ぎて暫く悶絶した記憶がある、先週のやつだ。唐辛子の量を間違えたんだよ。


「こっちはベッドで寝転んでる上半身裸の写真。どう見ても渉さんだよね」

 

 見せられた写真は、ひとりで家飲み後、酔っ払って脱皮しかけたまま半裸で寝ている俺の姿だった。次の日寒くて起きたやつだ。先々週のやつ。三日くらい鼻水が出てた。


 翔吾は、次々と証拠を出してきた。涙ぐみながら。


「妹さんが今度遊びに来るから、部屋を綺麗にしないとだから泊まりにくるのはまた今度って言われたとか」

「ん?」


 ここで咄嗟に、携帯を持つ翔吾の手首を掴む。


「待て。待て待て、それは待て」

「妹さん来るの? 僕は聞いてないのに、あの人には話したの?」


 涙目の翔吾には悪いが、俺は今それどころじゃなかった。


「来る……は来るけど、その話は昨日妹から電話があってしたやつだぞ! まだ誰にも話してない!」

「嘘言わないでよ」


 翔吾は恨みがましい目で俺を見ている。


「嘘じゃない! というか、確かに全部身に覚えはあるよ!?」

「やっぱり」

「違う! これ全部、俺がひとりでいる時の写真とか会話の内容なの! それがどうして外に漏れてんの!? ありえねえんだけど!」


 俺があまりにも恐怖で引きつった顔をしていたのか、ここでようやく翔吾が態度を軟化させる。


「……だって、僕が浮気相手だったんじゃないの? あの人そう言ってたよ。僕が渉さんと付き合ってるの知らない様子で『うちの奴性欲強いから、時折若い男をつまみ食いしてるっぽいんだよな。俺にバレてないと思ってるみたいだから今度分からせてやろうかと思ってる』って」


 俺は髪を振り乱しながら叫んだ。


「あの人って誰!? え、すっげー怖いんだけどっ!」

「渉さん、冗談は、」

「俺は冗談なんか言ってないよ! てっきり最近翔吾が冷たくなったから飽きられちゃって、今日は別れ話をされちゃうのかなーなんて凹んでたのに、ナニコレ!?」


 はっ! まさか今この場面も筒抜けだったりして!? 恐怖のあまり「ひっ!? ひっ!?」と言いながら翔吾の家の中を見回す。


「ちょ……渉さん、待って。本気で言ってるの?」

「そうだけど!? え、怖い! これ盗聴と盗撮じゃん! お前とコンタクト取ってたの誰!? 俺の知ってる人!?」


 あまりにもおかしな俺の様子に、翔吾も何かおかしいぞ、と思い始めたらしい。


 ボソリと答える。


「渉さん、滝沢さんていう人知ってる?」

「滝沢あ? 滝沢、滝沢……」


 やばい、焦りもあって全然思い出せない! なんとなーく聞き覚えがあるな、あ、あれはアイドルだ。俺の知り合いじゃねえ。


「滝沢……記憶がねえ……」


 絶望と共に返すと、翔吾が少し生き返ったような眼差しになって俺に携帯の画面を見せた。


「これ、部署の飲み会の時の写真なんだけど――これ。俺の隣の隣にいるこの人、知らない?」


 翔吾が見せてくれた写真には、老若男女が十名ほど写っている。翔吾の言う隣の隣の奴の顔をじっと見てみた。特に特徴のないどこにでもいそうな顔。まあそれを言っちゃ俺も一緒なんだが、うーん。


「記憶にあるような……? ないような……?」


 首を傾げると、翔吾が眉間に皺を寄せる。


「嘘でしょ」

「嘘じゃないって。うーん、俺の記憶力ってかなり適当だからな……」

「それは知ってるけど」


 即答された。


「……お前さ、付き合って一周年記念を忘れた俺をまだ恨んでるだろ」

「忘れる方が悪い」


 ぐうの根も出なかったので、俺は黙って必死で記憶を探った。うーん、ゲイバー? では見てないなあ。職場……は違うし、となると……。


「大学が一緒だったって聞いた」


 ナイスヒント、さすが翔吾! 俺の頼りない記憶が、大学時代にフォーカスされていく。


「――あー! 滝沢! いた!」


 ぽん、と手を叩いた。いたよ。確かにこんな奴いた。


「一年の時に同じテニスサークルでさ、俺がゲイをオープンにしてたら夏合宿で告白されてさあ。で、ごめんって振ったら、その後サークル辞めちゃったんだよ! そんな十年近く前のちょろっとな話、覚えてる訳ないって!」

「……お付き合いしてるんじゃ」

「はあ? 連絡先も知らねーよ」

「振った理由は?」

「顔が全く好みじゃなかった。お前はどストライク」


 俺の返答に、翔吾は「そうだった……渉さんてそういうところはっきりしてる人だったよな……」とぶつぶつ言ってるけど、大丈夫か。


 だけど、これで分かったことがある。


「てことは、こいつは俺のことが未だに好きで執着していて、どうやってかうちに盗聴器とカメラを仕込んだ、と」


 翔吾が、気味悪そうに続けた。


「……滝沢さんて、僕と渉さんが付き合ってから中途入社してきたんだけど」

「まじかよ」


 俺達は互いに顔を見合わせると、「……警察?」「だろうな?」と頷き合う。


「あ、だけどその前に」


 俺がわるーい顔をすると、翔吾が目を輝かせて耳を寄せてきた。



 警察に届け出る前に、俺の提案で翔吾をうちに招いた。


 翔吾に「会社の人が見せてくる写真が渉さんに似ていて」と泣き真似させるところからスタートし、俺が「滝沢あ? あー、そんなだっせー奴いたかも」と笑い飛ばす。そして不安がる翔吾を俺が慰める為に尻で男らしく抱くところまでを、全部見せつけてやった。


 翔吾が「渉さんの肌をこれ以上見せたくない」と懇願してきたので彼シャツを着せられてだったけど、翔吾の「見られてると思うとちょっと燃える」という呟きのせいで更に盛り上がってしまったのは言うまでもない。


 翌日には業者を呼んで盗聴器とカメラの存在を確認・無害化。結果を警察に持ち込んで被害届を名指しで提出してやった。ざまあみろ。


 週が明けて翔吾が出社すると、滝沢はすでに退職願を出していなくなっていた。すぐに翔吾から報告が入った。


「だけど危険なのは変わらないので迎えに行くから」と言われたので、それもそうかと翔吾が来るまで待った。実際、逆恨みされるんじゃないかってヒヤヒヤだったんだよね。ちょっとやりすぎたのは、俺を煽った翔吾のせいだ。俺のせいじゃない。多分。


 だけど、帰り道で警察から「滝沢を捕まえた」と連絡が入った。仕事がはやい。


 危険のなくなった俺の部屋に翔吾と共に帰ると、どこかホッとした様子の翔吾に抱きついて押し倒した。


「渉さん?」

「……お前さ」

「う、うん」


 ぎゅうう、と力を込めると、翔吾が俺の頭をヨシヨシと撫でる。


「うん、怖かったよね……」

「ああ、怖かった」

「まさかストーカーだったなんて」

「そっちも怖いけど、もっと怖かったのはな」

「……へ?」


 上目遣いで翔吾を見つめると、翔吾の喉がごくりと鳴った。


「……もう突きはなそうとするんじゃねえよ。怖かっただろうが」

「渉さん……」


 翔吾が、俺を抱き締め返す。


「もうはなさない。騙されちゃってごめんなさい」

「本当だよ。罰として、俺と同棲な」

「……それってご褒美にしかならないけど」

「うっせ、いいんだよ。せいぜい怖がる俺を甘やかせ」


 翔吾の唇が、俺のおでこに優しく押し当てられた。


「うん、約束する」


 翔吾の言葉にようやく安心した俺は、しばし翔吾の温かさを堪能したのだった。

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