小さな紙片

闇谷 紅

紙きれ

 それは、「はなさないで」から始まった。


「いや」


 厳密に言うなら一枚の、「はなさないで」とだけ書かれたメモから。


◇◆◇


「なんだ、これ?」


 いつもの多目的鞄。その外ポケットから四つ折りのメモが見つかったのは、残り少なくなったポケットティッシュを引っ張り出して新しいモノに交換した時のこと。


「はなさないで」


 薄っぺらくなったポケットティッシュに巻き込まれて出てきた四つ折りのメモの中身はその六文字だけ。主語もしくは目的語もなければ、書いた人物の名前もない。


「誰の字だ? そもそもいつの間にこんなモノが――」


 心当たりがなさ過ぎて、ホラー小説か何かの冒頭かななんて馬鹿げた考えが頭をよぎる。


「そんな訳ないか」


 頭を振って馬鹿々々しい発想を振り払うと、代わりに浮かんでくるのはならばこれは何と言う疑問。


「紙にも特徴がなさすぎるしな」


 古くなって変色している紙片には六文字以外何も書かれていない。以前どこかで貰ったメモ帳には宣伝か会社の企業名なんかが印刷されていたモノだが。


「A4のコピー紙を何枚かに切り分けたとしてもきっちり切ってあればメモ帳の1ページに見えなくもない」


 結局その紙片が何で、どこで鞄の外ポケットに入り込んだのかをこの時は思い出すことができず。


◇◆◇


「あ」


 思い出したのは何日か経った後のこと。何気なく見ていたテレビのニュース番組。何かのセミナーの1シーンを見て浮かんだのは以前参加した啓発セミナーの光景だった。


「そうか」


 レクリエーションで小さな紙片にいくつかのキーワードを書き込んでゲームをした記憶がある。きっとあれはその時の一枚だったのだろう。


「なんであれが鞄の外ポケットなんかに……」


 思い出して鞄を取りに行って四つ折りのメモを引っ張り出す。思い出せないことが気になり、捨てていなかったからこそこうして確認できるのだが。


「そうか、あの時の――」


 指でつまんで少しだけ胸のつかえがとれると口元は自然と綻んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな紙片 闇谷 紅 @yamitanikou

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ