1-4-6
真尋の瞳に
あぁ、でも、真尋は無事だ――
朔弥は安堵する。真尋が生きている。ただそれだけが、救いだった。
――すまない、真尋。
朔弥は真尋から離れる。怨霊となった者の自我は、長くはもたない。いずれ己も自我を失い、真尋に襲いかかるだろう。そうなる前に、消えなければ。
朔弥は自身に、怨霊を清める術をかけた。
赤い光が、朔弥を包む。
ずっと、守ってやりたかった。
寂しがりで寒がりな息子を。
頭を撫でて、抱きしめて。
安心と希望を与えて。
健やかな笑顔を、守り続けていたかった。
朔弥の魂が、
安らかな闇が、朔弥を迎える。
灯子は、もう、先に逝っただろうか。
すまない、灯子。そなたを、私は守れなかった。
生まれてくる子も死なせてしまった。
朔弥は目を閉じる。黄泉の闇が、朔弥を覆い、沈めていく。
ふと、
ほのかな赤い光。
朔弥は、そっと、目を開ける。
静寂に満ちた闇の中に、微かに、声が響く。
――父上、母上。
真尋の呼ぶ声だ。真尋が呼んでいる。泣きながら、父と母を呼んでいる。
声とともに、赤い光が強くなる。それは闇の中、一筋の光となって朔弥に届いた。
――真尋。
戻れるのか。
還れるのか。
もう一度、妻と子と共に暮らせるのか。
この呼び声に応えれば。
真尋のもとへ行けるのか。
泣き止ませてやれるのか。
抱きしめて。
頭を撫でて。
笑って。
「っ……真尋!」
応える。
光の先に、手を伸ばす。
ただひたすらに、父でありたかった。
子のための父で、ありたかった。
微かに夜風が頬を撫で、朔弥は目を開けた。まだ乾ききらない、血に濡れた板敷の床が、目の前に広がっている。自分は今、倒れているのか。
静かだった。雲間から、傾きかけた月の光が、白々と射している。
そうだ、自分は、北條家の者に斬られて――
「っ、真尋……!」
はっと顔を上げ、視線を巡らす。
「真尋!」
夢中で息子を抱きしめる。
すまなかった。怖い思いをさせて、つらく悲しい思いをさせて……だが、もう、大丈夫だ。もう一度、皆で暮らそう――
「……真尋?」
異変を感じ、朔弥は真尋を見た。真尋の瞳は、ぼんやりと虚空を見つめている。 顔にも表情がない。体は確かに温かく、生きているのに、そこには、なんの意志も宿っていない。
「……まさか……」
朔弥は真尋の胸もとを見る。
千切れた
「……御統を……使ったのか……真尋……」
朔弥は茫然と呟く。喜びの衝動は熱を収め、代わりに広がった冷静さが、残酷な結果を知らしめていく。
朔弥の体に、胸を打つ拍動はなかった。
真尋と自身の状態を、朔弥は悟った。
幼い真尋の力では、蘇りの術は、不完全だった。
御統を使った代償に、真尋は命こそ保ったものの、その身は魂を失っていた。
そして朔弥は、魂こそ還ったものの、その身の命は失われたままだ。
「……真尋……」
真尋の体を抱きしめる。体は温かく、胸の音も伝わってくるのに、真尋の両手は垂れたまま、朔弥の背中にまわることはなかった。まるで人形のように。
「……すまない、真尋……」
真尋の手を握り、朔弥は立ち上がる。
心を失っても朔弥のことは分かるのか、朔弥が手を引けば、真尋は、ぼんやりとついてくる。
月明かりの下、朔弥は真尋と共に、灯子を探した。
灯子は蘇らなかった。
術が不完全だったからかもしれない。
真尋の声が届かないほど、黄泉の深くに逝ってしまっていたのかもしれない。
あるいは聡明な彼女のことだ。真尋の呼び声に、応えなかったのかもしれない。
「……灯子」
桜の木の下に、灯子は、手折られた花のように倒れていた。
最後まで、胎の子を
「……すまない……」
抱き上げ、抱きしめる。
詫びる言葉を繰り返し、朔弥は肩を震わせた。
夜空が次第に藍を薄めていく。
妻と胎の子を
親しんだ都をあとにする。
国は広く、あてもない。途方もない旅が始まる。
だが、行かなければならなかった。
散り散りに飛び去った御統の玉は、落ちた先で
探し出し、再び連ね、封印しなければ。
「真尋」
呼ぶ。表情はなく、瞳も合わず、言葉を発することもない。それでも朔弥が歩き出すと、その後ろに、真尋も続く。
黎明の光が、遠く滲んでいた。
唇を引き結び、朔弥は決意を秘めた瞳で、前を見据えた。
真尋の手を引き、朔弥は歩む。
御統を封印するため、そして、真尋の魂を取り戻し、
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