1-4-5

 闇の中、朔弥は半ば手探りに、真尋を探して彷徨さまよっていた。

 遠く、近く、逃げ惑う人間の声が聞こえる。

 目覚めた頃よりも闇は薄くなり、と、微かに人の姿も見えるようになった。

 北條家の者たちだ。

 真尋を見つけ、殺そうとしている者たち。

 行かせない。

 行かせるものか。

 朔弥は彼らに

 一人、また一人と、朔弥は彼らを捕まえていく。朔弥の手の中で、彼らは次々と腐り、崩れていった。

 真尋は、まだ見つからない。

 真尋。

 まひろ。

 どこにいる?

 怖い思いをしているだろう。

 つらく悲しい思いもしているだろう。

 早く、行ってやらねば。

 助けてやらねば。

 守ってやらねば。

 朔弥は探す。

 さらに腕を伸ばし、彷徨さまよい続ける。

 やがて、蔵の建ち並ぶ一角が見えてきた。

 蔵の一棟が開いている。

 北條の者たちが扉を破ったのだ。

 一人がつるぎを構えている。

 その陰に、灯る光を、朔弥は見た。

 真尋だった。

 闇の中、真尋の姿だけ、内側から灯るように浮かび上がって見える。

 真尋は腕をつかまれ、蔵から引きずり出されていた。

 白刃が、真尋に狙いを定める。

 やめろ。

 朔弥は必死で手を伸ばす。

 その指先が、剣を振り被った人間に届いた。

 剣を握る手が腐り落ち、瞬く間に全身へ広がっていく。

 続いて、もう一人。さらに、もう一人。

 真尋を害する人間すべてを、朔弥は排除した。

 こだましていた声は、ひとつも聞こえなくなっていた。

 このやしきに、もう北條の人間はいない。

 殲滅せんめつしたのだ。

 自分が、一人残らず。

 間に合って良かった。

 助けられて良かった。

 真尋だけでも、守れて良かった。

 朔弥は微笑む。

 怯えた瞳を見開いて、真尋はその場に膝をついている。

 安心させるように、朔弥は真尋の顔をのぞきこんだ。

 遅くなって、すまなかった。

 もう心配いらない。

 真尋は私が守るから。

 そう、微笑んで、真尋を見つめて――

 朔弥は、真尋の瞳に、今の自分の姿を見た。



+



 蔵のひつの中で、真尋は、じっと息を殺して、母の言いつけを守っていた。御統みすまるの光が外に漏れないよう、衣の下に隠して。

 父は無事だろうか。母は。邸の皆は――

 恐怖と不安で、胸が潰れそうだった。嗚咽おえつこぼれないように両手で口を押さえ、真尋は泣きそうになるのを必死でこらえていた。

 静寂の満ちる中、自分の胸と呼吸の音だけが、時を刻んでいく。

 どれくらい経っただろう。

 蔵の外に、足音が聞こえた。何かを話す声がして、蔵の扉が開く。

「おまえは、そっちを探せ」

「幼子だからと、容赦はするな」

 北條の者たちだ。真尋は戦慄する。見つかったら、殺される――

「いたか?」

「いや……」

「自力で隠れられないところも探せ。あの女が隠した可能性もある」

 母上のことを、言っている?

 母上は、どうしたの?

 母上を、どうしたの?

 真尋は、ぎゅっと、体を縮める。

 滲む涙が、堪えきれずにこぼれ落ちたとき、

「っ……や……」

 ひつの軋む音がして、蓋が開けられた。

「いたぞ!」

 大きな手が、真尋を鷲掴わしづかむ。

 声も出せずにすくむ真尋を、彼らは櫃から引きずり出して拘束した。

「ここじゃ狭くて駄目だ。蔵の外へ出すぞ」

「悪く思わないでくれな、坊主。俺たちは北條家に逆らえないんだ」

 太い腕が、真尋を半ば抱えるようにして、蔵の外に連れていく。

 夜空には雲ひとつなく、闇に慣れた目に月明かりは眩しいほどだった。

 一人が剣を抜き、構える。後ろ手に捕らえられた真尋は動けない。

 月の光に、剣先がひらめく。

 真尋は、目を閉じることもできずに、体を強張こわばらせた。

 心の中で、必死に叫ぶ。

 助けて。

 たすけて。

 父上――

 月光に濡れた青い刃が、真尋へと振り下ろされる、瞬間。

 真尋は、その先に、黒い影を見た。

 剣を握る腕が、影に呑まれる。

 肘から先が、腐って落ちる。続いて全身が、瞬く間に、どろどろと崩れていった。

 何が起きたのか、その場にいる誰も、分からなかった。理解する時間さえ、影は与えなかった。

 真尋を拘束していた者も、次々に影に呑まれ、けていく。

 悲鳴さえ上げる間もなく、月明かりの下、影と真尋だけが、残った。

 ゆらり。影が、真尋に向かって、屈むように、背を低める。

 真尋の顔を、覗きこむように。

 真尋の瞳が、影を映す。

 黒い影の向こうに、真尋は、ふと、赤い光を見た。

 ほのかに灯る、緋色の光。

「……父上……?」

 そう、真尋が、呟いた、瞬間。

 影が、ざっと、真尋から身を離した。

 内側から、緋色の光が花弁のように広がり、影をみずから包む。

 光に封じられながら、影は、波が引くように、遠ざかっていく。


――すまない、真尋。


 微かな声を、真尋は聞いた。

 耳を震わせる声ではない。

 魂に響く声だった。

「っ、待ってください! 父上!」

 影を追いかけて、真尋は走る。けれど追いつけない。影は次第に淡く輪郭を失い、透きとおり、緋色の光を瞬かせて消えていった。

 辺りは再び、青い月明かりと静寂に覆われていく。

 独り立つ真尋は、ゆっくりと左右を見渡した。あれだけ多くの人間がいたのに、今は誰もいない。斬られた者と、あの影に呑まれた者のむくろが、広がるばかり。

 ふと、視線の先に、目に馴染んだ色を見つけた。撫子なでしこ色の単衣ひとえ。真尋は駆け寄る。

「母上……っ」

 桜の木の下に、母は倒れていた。衣は血に染まり、まぶたは閉ざされ、体の温もりも失われていた。

 夜の静けさと、冷たさが、真尋を沈めていく。

「……父上……」

 真尋は、ゆらりと、あてもなく歩き出す。

「父上……どこですか……? 母上が、起きてくれません……」

 やしきの中を、真尋は父を探して彷徨さまよう。

 そこかしこが、血にまみれていた。

 辺り一面に、真紅の花を散らしたようだった。

 昨日みた夢を、思い出す。

 赤い、あかい、花嵐のあと。

「……父上…………」

 血の花を敷き詰めた中に、父の姿があった。

 けれど、父の体は、白砂のようにさらさらと崩れ、かたちを失っていた。

 いつか、父に連れられて行った、あばら屋の中の光景が、重なる。

「…………父上…………」

 父の傍に、膝をつく。

「……頭を、撫でてほしいのです……これからも、ずっと、良い子で、いますから……」

 父の衣の袖を、ぎゅっと握る。

「……抱きしめて、ほしいのです……寒くて、冷たくて、凍えそうなのです……」

 いつもみたいに、真尋は寒がりだなと、笑って。

「春になったら、毎年、お花見をするでしょう……? 庭の桜は、まだ蕾です……。花の咲く頃に生まれてくる弟妹とも、まだ会えていません」

 家族は増えこそすれ、減ることなどないと。

 真尋の世界は、ずっと温かいままだと。

 信じていたのに。

「……独りは、いやです……寒くて、寂しくて……凍えそうです……」

 真尋はうつむき、肩を震わせた。

 雲が流れ、月の光がかげり、真尋を闇夜が覆っていく。

 ふと、胸もとに灯る光に、真尋は目をとめた。衣の下に隠していた御統みすまるいざなわれるように、真尋は、そっと、それを取り出す。

 五色の光が、闇の中、真尋を照らす。

 御統は、ひとつひとつの玉が、神の依代よりしろ。強い巫力をもつ者が御統を使いこなすことができたなら、この世のことわりくつがえし、死者を蘇らせることさえ叶うという――いつか学んだ事柄を、真尋は思い出していた。

「……また、一緒に……」

 真尋は御統を握りしめる。御統の光が、強さを増す。

「父上と、母上と、生まれてくる弟妹と、皆で、暮らすのです」

 幸せを、取り戻す。

 取り戻してみせる。

 蘇らせてみせる。

 真尋は目を閉じ、印を結んだ。

「……掛けまくもかしこ黄泉よみの神……」

 唱える祝詞のりとは、おのずと浮かんだ。

 御統が教えていた。

 その力の使い方を。

産土うぶすなの神の厚く広く……瑞穂の国にたてまつりて……」

 こんなことなら、もっと早く、御統を使えば良かった。

 そうすれば、父も母も、邸の皆も、守ることができたのに。

「天の御影みかげ、日の御影とかくし……」

 御統の光が強まっていく。目を閉じていても、まぶたの裏がけそうなほどに。

大神おおかみ達の御恵みを、かたじけなたてまつり……」

 御統の糸が張りつめる。真尋の身に、巫力の負荷が大きくかかる。

 構わずに、真尋は、さらに巫力を込める。注げる巫力の全てを、御統に捧げる。

「……黄泉に向かいし御霊みたまを還したまえと……畏み畏み申す」

 光の奔流の中、真尋は、静かに目を開ける。

 五色の光は混ざり合い、白い光となって、真尋を包んだ。

 刹那、引き絞られた弓弦のように震えていた糸が、ついに切れる。

 光が、はじける。

 御統の玉が、四散する。

 流星のように、夜空を横切り、飛び去っていく。

 収束する光。

 真尋の意識も遠ざかる。

 ちゃんと、できただろうか。

 父も、母も、戻ってくるだろうか。

 目が覚めたら、父がいて、母がいて。

 頭を撫でて、抱きしめて。

 温かくて、幸せな日々を。

 もういちど――

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