1-4-3
父たちが追手を阻んでくれているおかげか、真尋たちは敵に出くわすことなく、邸の裏手に辿り着いた。
「先に私が様子を見てまいります。無事に外へ出られたら、最寄りの家臣へ、助けを求めに行きましょう」
護衛が、
注意深く、外へ出た、瞬間――
風を切る鋭い音がして、護衛は仰向けに地面に転がった。
胸に、深々と、矢が突き刺さっている。
「だ……め、です……囲まれ……て……」
ただ一言、それだけ伝えて、護衛は動かなくなった。
真尋は悲鳴も忘れ、目を見開いた。人が目の前で殺される瞬間を、真尋は生まれて初めて目にした。
立ち
「真尋。こちらへ」
月明かりを頼りに、邸の裏手を進む。
建ち並ぶ蔵の一棟を開け、中に入った。
「ここに隠れるのです。真尋なら入れるでしょう」
使われていない
「母上は……?」
震える声で、真尋は母を見上げる。
母は微笑んだ。
「私は、別の場所に隠れます。良いですね、真尋。助けが来るまで、決して出てはなりませんよ」
母の両手が、真尋の頬を包む。その手は、微かに震えていた。
真尋は唇を引き結ぶ。
守れるように強くなると、誓ったのに。
今の自分は、まだ、子どもで。
無力で。
守られるばかりで。
「良い子でね、真尋」
櫃の蓋が閉められる。
瞳に雫が滲むのを、真尋は瞬きをして堪えた。
息を殺し、真尋は必死で、祈る。
神様。かみさま。
どうか、父上と母上を、守ってください。
皆を、守ってください――
+
血だまりの広がる板敷に、敵も味方も、区別なく、折り重なるように倒れている。
「そろそろ諦めたらどうだ? 敵ながら、よくここまで抗い、持ち堪えたものだが……味方の者たちは皆死んだぞ。きさまも、その傷では、もう長くは動けまい」
満勝が口角を上げる。北條の私兵たちが、朔弥を取り囲み、剣先を向けている。
「神に仕える身で……欲に心を喰われたか、北條」
滲む血に衣を染めながら、朔弥は満勝を
鼻を鳴らし、満勝は口の端を歪めた。
「違うな。我らは神に仕える前に人の身。欲を喰らって生きるのが人だ」
欲は生き甲斐、生きる意味、生きる実感なのだ。
「きさまは、
満勝は喉の奥で笑った。朔弥は血の伝う手で、
「滅べ、南條」
満勝が剣先を朔弥に向ける。それを合図に、朔弥を取り囲んでいた兵が、一斉に朔弥に斬りかかった。
剣と剣のぶつかる音が激しく響く。振り下ろされる刃を防ぎ、素早く
だが、全ては防ぎきれない。
拮抗する刃。背後に迫る白刃が
刹那。
「朔弥……っ!」
身に馴染んだ声が、朔弥の耳を打った。
背中から斬りかかられたはずの刃は、朔弥に届かず、けたたましい金属音が響き渡る。
朔弥の後ろに飛びこんだ人影が、朔弥に打ち下ろされた刃を、防いでいた。
「満継……!」
相対していた兵を
同時に満継も、相手の刃を
「どうして……」
「うるさい!」
朔弥の問いかけを、満継は遮った。
「なぜだろうな……なぜ私は、己が一族に刃向かうなど、しているのだろうな……おまえが全てを失えば良いと、呪ったことさえ、あるというのに…………それでも、私は……っ」
「親友を、見殺しにすることはできなかった……!」
兵の刃が、ふたりに向かう。
背中合わせに防ぎ、拮抗する。
兵の一人を
「おまえは、本当に、一族の出来損ないだな」
満勝の刃だった。唇を引き結び、満継は、それを正面から受けとめた。
「出来損ないで、構いません」
満勝の刃を押し戻しながら、満継は満勝を睨みつけた。父に対する初めての反抗だった。
「こんなことを是とする一族に、私は、もう、認めてもらいたいとは思いません」
あなたが私を軽蔑したように、私も、心底あなたを軽蔑する。
「人の道を外れた身で、神に仕えることなど、どうしてできましょうか!」
満勝の剣を払う。よろめく満勝に向かって、満継は剣を振り被った。
黒い影が一閃したのは、そのときだった。
「満継……っ!」
朔弥の悲痛な声が、響く。
胸から深紅を
満雅だった。返り血で、顔も衣も、しとどに濡れている。
「言っただろう、満継。蔵を出たら、おまえは、もう、北條の人間ではないと」
冷ややかに、満継の
「……最後まで、愚かな弟だった」
その瞳が、ゆらりと、朔弥を見た。
瞬きひとつ数える前に、満雅は俊敏に床を蹴り、朔弥に斬りかかる。
満継の血に濡れた剣が、朔弥の剣と火花を散らす。
「諦めろ」
一切の感情を押し殺した声で、朔弥に告げる。
「きさまの守るべきものは、もうない」
「きさまの妻は、
朔弥の呼吸が、止まる。
見開いた瞳が、凍りつく。
その僅かな隙を、満雅は
「終わりだ、南條」
朔弥の胸を、白刃が貫く。
「清廉ゆえに滅ぶ……願わくは、私もそう在れたら良かった」
「よくやった、満雅。……しかし、南條め……随分と、しぶとく抗ってくれたな。ここまで手こずるとは……
顔を
「……おやめください、父上」
満雅は思わず制止する。
「いくら敵でも、亡骸を足蹴にするのは、死者に対する冒涜となりましょう」
息子に
「
血だまりに立ち、満勝は命じた。
御意、と家臣たちが四方に散っていく。
満雅も目を伏せ、邸の奥へと向かった。
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