1-4-2

 夜。真尋は夢をみた。

 闇の中、真尋は独りで立っている。辺りを見回しても、暗くて何も見えない。

 ただ、赤い光が、真尋の頭上に広がっている。桜だ。それ自体が発光し、満開に咲き誇っている。音もなく静かに、緋色の光の花が、降る。

「父上」

 寂しさに駆られて、真尋は呼ぶ。

 けれど、何度、呼びかけても、返事はない。

「母上」

 呼びながら、真尋は駆ける。

 けれど、どれだけ進んでも、景色は変わらない。

 どこまでも広がる闇と、降り続ける緋色の桜。

 舞い落ちる光の花は次第に数を増し、真尋の視界を阻むほどになっていく。

 ふと、花の一片が、真尋の肩をかすめた。そのまま衣を滑り落ちていくはずの花は、しかし、真尋の体に触れた途端、光を失い、生温なまぬるい深紅の雫となって、真尋の衣を濡らした。血だ。真尋は戦慄する。降り注ぐ花が、さらに勢いを増す。まるで嵐のように、緋色の花が、一斉に舞い、真尋に向かって吹きつける。花の血にまみれ、真尋の全身が、返り血を浴びたように染まっていく――

 上掛けを退け、真尋は飛び起きた。しんと冷えた夜の空気が、熱をもった頬を撫でる。震える肩を押さえ、真尋は深く息を吐く。夢だ。夢で良かった。でも……。全身のざわめきが止まない。日頃、眠りの深い真尋は、夢をみることが滅多にない。だから余計に、恐ろしかった。怖くて、寂しい、悪夢だった。

 胸の音は、まだ大きく、早鐘を打っている。障子を透かして、皓々こうこうと照らす月の光が、朝までの遠さを教えていた。

 そっと部屋を出る。夜冷えの寒さに身を縮めながら、父の寝所に向かう。今夜は、もう到底、独りで眠れそうにない。父に頼んで、一緒に寝てもらおうと思った。



+



 夜が更け、やしきの皆が寝静まった頃。朔弥は、ふと目を覚ました。

 気のせいか、外の空気に違和感を覚える。

 寝所を出て、縁側へ向かうと、先に来ていた灯子と行き合った。

「そなたも……」

「ええ。……なんだか、胸騒ぎがして」

 灯子は不安げな瞳で朔弥を見上げた。無意識にはらの子を守るように、両手で腹部をかばっている。安心させるように、朔弥は灯子の細い肩を抱き寄せた。意識を研ぎ澄ませ、胸をざわめかせるものの正体を探る。

 この土地の神が荒ぶる前兆だろうか……しかし、それとは少し、感覚が異なる。

「父上……? 母上も……?」

 反対側の廊下から、真尋も小走りに、こちらへ向かってくる。

「どうした? 真尋」

 朔弥に飛びつき、しがみついた真尋の背に、朔弥は、そっと手を当てる。

「……夢をみたのです」

「夢?」

「はい。……とても、怖い、赤い夢」

 朔弥の衣に顔を埋めたまま、くぐもった声で、真尋は答えた。その言葉に、朔弥は形の良い眉をひそめる。自分や灯子だけでなく、真尋まで、何か異変を感じている。荒魂あらみたまではない。怨霊でもない。だが、それに近い、魂の揺らぎを――

 はっと視線を上げ、朔弥は庭の先、西の垣のほうを見遣った。

「っ、下がれ!」

 とっさに灯子と真尋を抱きかかえ、板戸の陰に庇う。

 垣の向こうから放たれた幾本もの矢が、今しがた立っていた縁側を貫き、障子を破り、板戸に突き立つ。

 それを皮切りに、門を破り、武装した私兵が一斉に邸へと流れこんできた。

「朔弥様……っ!」

 使用人たちが駆け寄ってくる。一早く状況を察し、武器を携えて。

 素早く身を起こし、灯子を支えながら、朔弥は言った。

「北條家の者たちだ。私が時間を稼ぐ。そなたは真尋と御統みすまるを頼む」

 朔弥の言葉に、灯子は何か言いたげに瞳を揺らしたが、ぐっと堪えて気丈にうなずき、真尋の手を握った。

 灯子と真尋を、朔弥は刹那、抱きしめる。

「……無事で」

 短く願いを託し、身を離す。護衛一人と共に、灯子は真尋を連れ、邸の反対側へと向かった。何度も朔弥を振り返りながら、真尋も手を引かれていく。

 つるぎを取り、朔弥は私兵に向き直った。

 見知った顔を、その中に見つける。

「北條家の当主が、なぜ、このようなことを」

 北條満勝。その隣にいるのは、長男の満雅。

「今宵、南條は、すめらぎの呪殺を企てた罪で、我らに処刑されるのだ」

 満勝が告げる。朔弥は袖の陰で、こぶしを握りこんだ。

「……狙いは御統か」

 剣を抜く。北條を見据える朔弥の瞳には、静かに燃える熾火のような、固い決意が灯っていた。

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