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 見頃となった梅の花が、降り注ぐ雨にこぼれていく。

 人払いをした満勝の部屋。ゆらめく灯台の炎が、満勝と満雅、ふたりの影を壁に描く。

「……まさか、すめらぎに取り憑いているのが、上皇の怨念であったとは……」

 閉じた扇を額につけ、満勝が口を苦く歪める。

 上皇は、皇の異母兄で、数年前に勃発した内部抗争に敗れ、都を追放されていた。配流先で崩御し、怨霊になったのだ。怨みは強く、のろいは強大で、満勝と満雅の二人どころか、北條家が一丸となっても完全に清められるか危ういものだった。

 家の名を上げる好機だと喜び勇んでいた北條家は、一転、力不足をさらす窮地に陥っていた。

 やはり、北條ではなく、南條を頼らなければ駄目か――その言葉が放たれるのを、満勝は何よりも恐れていた。

「なんとしても、清めの術を成功させなければならない」

 満勝が額の汗を拭う。

 灯台の炎が、刻一刻と、焦燥の時間を燃やしていく。

「……父上」

 押し黙っていた満雅が、何かを思いついたらしく、眉を上げて口を開いた。

「神具を使えば、あるいは……」

「っ……禁制の神具か」

 満勝が視線を上げる。

 見開かれた満勝の瞳を見つめ返し、満雅はうなずいた。

「はい。……御統みすまるです」

 御統みすまる――それは、巫覡の氏族の祖である南條家に代々伝わる禁制の神具だ。上代、激甚な大天災をもたらした五大神を鎮めたとき、依代よりしろとして用いた五つの勾玉を連ねたものだという。北條家の人間である自分たちはもちろん、南條家の人間でも、嫡流の者でなければ見ることも叶わない。封印され、南條の邸のどこかにまつられているらしいが、それ以上のことは全く不明だ。

「御統を使えば、どんな巫術も可能になると聞きます。ともすれば、南條の巫術があれだけ強力なのは、ひそかに御統を使っているからかもしれません」

 これを機に、南條から御統を奪い取ることはできないか。

「……たしかに、かねてより私も、御統を我が北條のものにしたいと思っていた。問題は、どうやって手に入れるかだが……」

「満継に命じて、盗ませましょうか。あれは、南條家の当主の友人らしいですから、邸の中にも入りやすいでしょう」

「いや、駄目だ。あの当主……南條朔弥は侮れない。鷹揚おうように見えて、踏みこむべきでない一線には厳格な男だ」

 いくら優秀な家臣に恵まれたとはいえ、たった十五で当主になり、約十年、なんの綻びも出すことなく、南條家の、ひいては巫師の頂点に君臨している。柔和な顔をして、油断できない相手だ。

「……皇に取り憑いているのが上皇の怨念だと知っているのは、まだ父上と私だけですよね」

 視線を巡らし、満雅は、ひときわ声をひそめて言った。

「南條に、皇の呪殺を図った嫌疑をかけることは、できないでしょうか」

 南條家の当主が罪人となれば、御統は、順当に、北條家に委ねられることになるだろう。南條によるのろいを清める名目で御統を使い、上皇の怨念を清めれば、結果的に皇も快復し、真実など誰も疑うまい。

 揺らめく炎に、満雅の瞳が爛々らんらんと光る。その光は満勝にも宿り、口角をいびつに引き上げた。

「……さらに確実な方法がある」

 閉じた扇の先を顎に当てる。額がつくほど満雅に顔を近づけ、満勝はささやいた。

「南條に嫌疑をかけ、捕えさせたところで、申し開きをされてしまうかもしれぬ。全く忌々しいが、いくら根回しをしても、南條への信頼は、簡単には損なえない。南條を信じる者は多いだろう。調べが入り、真実が明るみになっては、終わりだ。ここは我らだけで完結するように計らうのが得策だ」

 嫌疑をかけたまま、南條の口を封じる。

「どうやって……?」

 尋ねた満雅に、満勝は答えた。

「南條がすめらぎの呪殺をくわだてていることを、我ら北條が一早く察知し、阻止したていにすれば良い。死人に口なしだ。朝廷には、説得もむなしく抵抗されたのでやむなく斬り捨てたと報告すれば、咎められることもないだろう。たとえ、事の真偽を疑う者がいたとしても、証拠も証言もなければ、なにもできまい」

 巫力ではかなわずとも、武力なら敵う。

 どれだけ強い巫力があっても、魂を鎮め清める巫術で、人は殺せない。

 殺すのは、武術だ。

「一族を動員し、南條の邸を包囲する。南條に、外へ助けは呼ばせない。袋の鼠だ。そうなれば、多勢に無勢。南條は我らの手に落ちる」


「南條を滅ぼし、御統を手に入れ、我ら北條が頂点に立つときが、ついに来るのだ」


 扇を広げ、父が笑う。

 目を細め、父を見つめながら、満雅は胸中に憐憫が広がるのを感じていた。

 父に命じられるままに、一族の地位を上げるために尽力してきた。

 だが、本当に、二番手では、いけなかったのだろうか。

 同じ巫覡の一族として、南條と盟友になる道は、なかったのだろうか。

 神を祀り、魂を鎮め、のろいを清める巫師でありながら、自分たちの魂は、清らかとは程遠いものに成り果てている。

 神に仕える身であるというのに。

 人の地位にこだわり、罪なき者を殺し、おとしめる。


 北條は、ここまで堕ちた。

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