1-3-4
母の奏でる笛の
「とても上手に舞えるようになりましたね、真尋」
母は微笑んだ。母は舞の名手で、一族随一の舞い手と謳われていた。
「特に今の舞は見事でした。お手本になれそう」
母の言葉に、真尋は顔を輝かせた。弟妹が生まれて、兄になったら、たくさん、弟妹たちの手本になりたいと思っていた。巫術も、剣術も、舞踊も。
「早く弟妹に会いたいです」
生まれてくるのは、弟だろうか、妹だろうか。いずれにしても、とても楽しみだ。
「もうすぐ生まれますよ。桜が花の盛りを迎えるのと、どちらが先かしらね」
母は優しく目を細め、真尋の頭を撫でた。庭の桜は、まだ蕾だけれど、それでも日々少しずつ膨らんでいる。
「桜に祝われて、幸せが生まれてくるようで、すてきです」
もういちど舞おうと、真尋が扇を持ち直したとき、使用人が父の帰宅を告げた。
母とふたりで、門の前で出迎える。
「おかえりなさい」
「ただいま」
父は変わらず穏やかに微笑んでいたが、その瞳にはこころなしか、悲しみの
「なにかありましたか?」
父は目を細め、緩く首を横に振った。
「いや、大事ない。……それより、真尋」
「は、はいっ」
不意に呼ばれ、真尋は、ぱっと顔を上げて、父を見上げる。
「この後、また少し出かけるが、真尋も連れていきたい。巫師として、真尋に教えたいことがある」
「っ、はい!」
思わず背筋を伸ばして、真尋は大きく返事をする。巫師として教えたいこと……それは、一体、なんだろう。真尋の胸が、小さく跳ねた。
雨上がりの冷えた風が吹き渡り、庭の桜の枝を揺らしていた。
+
真尋を一緒に馬に乗せ、父は都の外れに向かった。建ち並ぶ邸は、次第に小さく、粗末になり、空き家と見られる建物も目につくようになった。
あばら屋となった邸の前で、父は馬を止めた。
「真尋」
馬を降り、朽ちかけた門をくぐりながら、父が静かに口を開く。
「
「はい」
「だが、ときに、人の魂も、荒魂のようになることがある」
それが、
強い情念が、呪となり、災厄を
「……怨霊……」
小さく呟き、真尋は父の衣の端を、きゅっと握る。
あばら屋の中は薄暗く、
「そう、怨霊だ。私たちがそれを清めれば、呪われた者は救われる」
だが……と、父は僅かに目を伏せ、歩調を緩めて、続ける。
「呪った者を救うことは、できない」
それが、荒魂と怨霊の違いだ。
鎮められた荒魂は和魂に還り、神として存続するが、清められた怨霊は
「……ここだ」
邸の最奥、傾きかけた
真尋は小さく、息を呑む。
ささくれた畳の上に、色
「怨霊となった者の遺体は、骨も残らず崩れて滅ぶ」
父が、そっと、
「今朝、この者の怨霊を、私は清めた。消滅する刹那、この者の記憶を、垣間見た。この家は、この者が呪った相手から、酷く冷遇されていたらしい。呪いながら自害した結果、その魂は怨霊となってしまった」
「……悪いことをした人が呪われても、清めなければならないのですか……?」
膝の上で、真尋は、きゅっと手を握りこむ。父は静かに
「怨霊の自我は、次第に失われていく。呪いの対象を取り殺した怨霊は、次は周囲の命を奪い、果ては国中に広がってしまう。呪いの連鎖で、新たな怨霊も生まれるだろう。……私たちにできることは、怨霊を清め、それ以上の罪を止め、苦しみを終わらせることだけだ」
願わくは、どうか安らかに。
目を閉じ、手を合わせると、父は
開け放たれた
「父上」
暮れなずむ帰路、馬に揺られながら、真尋は父を見上げた。
「誰も呪わずに生きることは、難しいのでしょうか」
「……そうだな」
馬の手綱を引きながら、父が、そっと真尋の瞳を受けとめる。
「なにも呪わずに生きられたら、それはとても、幸せなことだろう」
誰かを呪いたくて呪う者はいない。呪わずにいられないから呪うのだ。
父も、なにかを呪ったことがあるのだろうか。自分も、いつか誰かを呪うことがあるのだろうか。真尋の背中が、ぞくりと冷える。
「真尋」
様子を察したのか、父は、ひときわ柔らかな声で、続ける。
「私には、真尋と灯子がいる。春になれば、さらに家族が増える。真尋たちがいる限り、私が、なにかを呪うことはないよ」
真尋たちがいるから、なにも呪わずに生きていられる。
「っ……私もです……!」
真尋は少し甘えて、父の胸に寄りかかった。
冷えていた背中が、陽だまりのように温かくなる。
「……ただ、気をつけろ、真尋」
真尋の頭を撫でて、父は小さく呟くように言った。
「巫力を持つ者は、感情が魂に作用しやすい。怨みに限らず、強い情念が
それも真尋たちがいるからできることだ、と父は笑った。
陽の光を浴びて咲く、桜の花のような微笑だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。