【KAC20245】少女と小鬼の逃避行

めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定

私の小鬼さん

「キミは盲目のお姫様でボクはお世話係の小鬼さ」


「小鬼?」


「そう小鬼。あっ……目を開けてはいけないよ。鬼を瞳に映したらキミは家に帰れなくなってしまうからね」


「盲目なのに見えてしまうの?」


「盲目なのに見えてしまうの」


 小鬼と名乗った少年が笑った気がした。

 ここがどこかわからない。

 私の顔には何重にも包帯が巻かれていて、なにも見えないから。

 どうやら私は盲目だったらしい。


「それじゃあ行こっか」


「行くってどこに?」


「この城の外に。今はちょうど他の鬼たちが寝静まっている。抜け出す好機なんだ」


「ここはお城だったんだ」


「お姫様はお城にいるものでしょ」


「うん。あれ……お姫様なのに抜け出すの?」


「君は囚われのお姫様だからね。お母さんとお父さんに会いたいでしょ?」


「お母さんとお父さん? 会いたい……会いたい! あれ? なんで顔も名前も思い出せないの!?」


「ここはそういう場所。長くいると君まで鬼のお姫様になってしまう。そうなったらもう思い出せない。だから早く抜け出さないと」


「うん!」


「それではどうぞ姫君。ボクの手を取って、絶対に離しちゃだめだよ。離したらキミまでボクのような鬼になってしまうから」


「はい」


 私は小鬼さんの柔らかい手を取った。

 小さな手。

 小鬼さんは子どもの私よりも小さいのかもしれない。

 でもとても暖かくて、頼りになって、安心できた。

 私は小鬼さんに手を引かれながらお姫様の部屋を出る。包帯を巻いているのでどんな部屋かはわからない。

 少し見てみたかったけれど、私は盲目なので見てはいけないらしい。

 それよりも歩くことに集中しないといけない。


「ここ曲がると階段だから気をつけてね。ボクの両手を持ってゆっくりと降りよう。はいお姫様」


「はい!」


 真っ暗だけど不思議と怖くなかった。

 小鬼さんが優しく案内してくれるから。

 手をしっかりと握ってくれるから。

 私も手を離さないようにしっかりと小鬼さんの手を握り返していた。


「お母さんとお父さんは元気」


「たぶん?」


「たぶんなんだ」


「お父さんは家でよく寝ているし、お母さんはとても心配性だから」


「心配性?」


「小鬼さんみたいにお母さんも私の手をぎゅっと握ってくれるの。泣きそうな顔で『絶対に手を離さないで』って」


「……そうなんだ」


 小鬼さんの手の握りが少し強くなった。

 柔らかいから痛くはない。

 でもその握り方がお母さんと少し似ていて、気になっていたことを思い出した。


「私にはお兄ちゃんがいたんだって」


「……うん」


「公園で遊んでいてお母さんの手を離して道路に飛び出しちゃって」


「ダメなお兄ちゃんだね」


「お兄ちゃんはダメじゃない!」


 会ったことはないけどお兄ちゃんをバカにされて大声を出してしまった。

 途端に周囲が騒がしくなる。


『子どもの声が聞こえたぞ』


『お姫様が逃げたんだ!』


『急いで見つけ出せ』


 私のせいだ。

 私が大声を出したから鬼に逃げたことがバレてしまった。


「走るけど大丈夫!? 絶対に手を放さないから」


「……うん! 絶対に放さないで」


 小鬼さんに手を引かれて走り出す。

 私たちを追っているのはとても大きな鬼だ。小鬼さんのように小さくない。一歩ごとに床が揺れるから近くにいるとすぐわかる。

 大き過ぎるのか狭い隙間に隠れると見つからない。

 そうやって右に左にときどき隠れて。

 小さなドアを屈んで抜けたら一気に空気が冷たくなった。

 たぶん外に出たんだ。


「ここまで来たらひとまず安心。あの人たちは大きすぎて外に出るのも一苦労だから」


「はぁはぁ……そうなんだ」


 ここで鬼ごっこは終わりらしい。


「ごめんね。お兄ちゃんのことを悪く言って」


「私のほうこそごめんなさい。大声だしてしまって」


「じゃあ、おあいこだね」


「うん。おあいこ」


 ゆっくりと歩きながらお城の庭園を抜けていく。

 草垣が迷路のようになっているのか、右へ左へ行ったり来たり。

 私は盲目だから見えないけれど、見えていても迷ったかもしれない。

 それでも怖くないのは小鬼さんがずっと手を握っていてくれるからだ。

 手を離さないでいてくれるから安心できる。

 その小鬼さんの足が止まった。


「この壁の穴を抜ければ元の世界に帰れるし、自分の名前もお母さんのこともお父さんのことも思い出せるよ」


「思い出せるんだ! よかった」


「うんボクもよかった。お姫様を救うことができて。さあくぐっておいで。ここからは一人だよ」


「……え?」


 小鬼さんと手が離れた。

 暖かい手。

 とても小さな手。

 頼りになる手が離れてしまった。

 途端にこの世界で一人になってしまったような寂しさがこみ上げてくる。


「……小鬼さんは来てくれないの?」


「うん」


「どうして?」


「ボクは迷って、疲れて、さみしくて。途中で包帯を取ってしまったから」


「包帯を取ってしまったから?」


「ここは生死が定かではない子どもが迷い込む世界。子どもの魂は不安定だからね。抜け出せたら元の世界に戻れる。けれど包帯を取ってこの世界を見てしまうと、鬼の仲間入りをしてしまう。鬼になってしまうともう元の世界に戻れない」


「私はまだ小鬼さんの顔を見ていないのに」


「だから見てしまうとダメなの。盲目のお姫様」


「そんな!? 会えたのに! おにい――」


「――ねえ聞こえない? 必死に君を呼ぶ声が」


「声?」


 小鬼さんに促されて穴の方を向くと、確かに声が聞こえてきた。


『……ちゃん! お願いだから起きて! あなたまで失ったら』


『……! 起きてくれ! お願いだから』


「お母さん……お父さん!」


「ほらボクみたいにお母さんとお父さんを悲しませたらダメだよ。だから行って」


 トンッと背中を押されて一歩踏み出す。

 包帯越しでもわかる眩い光と磯の香。

 そうだ……わたしは泳げないのに海水浴に遊びに来ていて……足の届かない場所で浮き輪をはなして。


「ボクのことはお母さんたちには話さないでね。覚えていられないと思うけど」


「あっ……おにい――」


「さようなら。もうこっちに来ちゃダメだよ」


 勝手に足が前に進んでいく。

 光に吸い込まれるように。

 振り向きたい。

 包帯を外して小鬼さんの顔が見たい。

 でもそれはできなくて。


「お母さんたちを笑顔にしてあげて」


 ◆  ◆  ◆


「よかった! ……本当によかった」


「お母さん」


「生きて……生きていてくれるだけで」


「お父さん」


 お母さんもお父さんも泣いていた。

 私は海で溺れたらしい。

 目覚めると自分の名前もお母さんとお父さんの顔もしっかりと思い出せた。

 そして写真でしか見たことのないお兄ちゃんの顔も。


「ねえお母さん……お父さん」


「なに?」


「お兄ちゃんが助けてくれたよ。ぎゅっと手を握って。絶対に手を放さないでって」


 私がそう言うとお母さんは目を大きく見開いて、また泣き始めた。

 その日の夜。

 私はお兄ちゃんの夢を見た。

 お兄ちゃんは私よりも幼い頃に交通事故で亡くなって、私よりも小さくて、頼りになって、プクリと頬を膨らませて、頭に角が生えていた。


『話さないで。そう言ったのに』


「話してないよ。だって小鬼さんは名乗ってくれなかったもの。小鬼さんのことは話してないでしょ?」


 私がそう言うとお兄ちゃんは困ったように苦笑いした。





 




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