素直

森下 巻々

(全)

「こわい……。こわい……」

「今年もその日がやってくる……」

「一二年に一度の……」

「こわい……。こわい……」

「うーん。うんうん、あーッ!」

「あなた、大丈夫? どうしたの?」

「ああ……。ちょっと、夢を見てね……」

「そうなの? わたしもよ」

 近藤と妻の間には幼い娘ヒカリがすやすやと息をしているままである。彼らは布団を敷いて川の字に寝ているのだ。

「こわい……。こわい……」

「今年もその日がやってくる……」

「一二年に一度の……」

「こわい……。こわい……」

「うーん。うううん、はあーッ! はあ、はあ……」

 次の夜も夢の中の同じ声で起こされた近藤が横を見ると妻もまた汗をかき唸っていた。いつもと変わらないのは娘だけのようだった。

 家族は疲れた様子で朝食を食べた。近藤の両親も寝不足のようだった。

 妻の美穂が言った。

「この間から、全然眠れないわ。どうも、大おばあちゃんもそうらしいの」

 大おばあちゃんというのは近藤の父の母タエである。いつもほかの家族より遅く起きて朝食は一人でとるのでこの場にいなかった。

 近藤の父の徹が言った。

「女みたいな声が、いくつも聞こえるだよな。こわい、こわいッて……」

「そ、それですよ! お義父さん」

 近藤の母のかず子も、

「わたしもだよ。おんなじような夢」

「お義母さんもですか?」

「じゃあ、みんな一緒じゃないか? おれもなんだよ……」

 近藤は話しながらもどうしたらよいか全然分からなかった。

 彼がその日夕方に職場から帰ってくると妻の美穂が、

「あなた、あなたこっち来て……」

 和室に連れて行かれて、

「ほら、見てよ」

 床の間の辺りを指差す。

「何だよ?」

「ほら。女性の姿の彫刻がないのよ」

「本当だ……」

 いつも虎の彫刻の隣にそれと同じような作りの女性像があったはずなのだ。

「本当だねじゃないわよ! 大おばあちゃんが言うには、大おじいちゃんが生きているときおっしゃってたんだって。『絶対に虎と女性をはなさないで』って……」

 大おばあちゃんタエが言うにはこうである。大おじいちゃん。つまり近藤の祖父なのであるが彼は或る山奥の村の出身であった。その村の昔話として一二年に一度は娘を一人怪物に差し出さなければならなかったところを娘に扮した旅人がその怪物を退治してくれたというものがある。

「虎の彫刻は怪物を象徴し、女性の彫刻は旅人を象徴しているのか……。考えてみれば不思議なペアだもんな」

「たぶん、そういうことだと思うわ」

 二人が話していると娘のヒカリが女性の姿の彫刻を手にして和室に入ってきて、

「ごめんなさい。おかたづけ間違えた……」

 お友達との人形遊びの際にその人形たちの仲間として扱ってしまったあと今まで玩具箱に入れてしまっていたらしいのだった。

 近藤は思った。勝手に人形遊びに使ってしまったとは言え自ら元に戻してくれる或る意味素直な娘で助かった。

 苦しい夢は収まった。

   (おわり)

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素直 森下 巻々 @kankan740

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