はなしてみないと分からない

関川 二尋

はなしてみないと分からない

「はなさないでーっ、ぜったい離さないでよぉぉ」

「大丈夫、ちゃんとつかまえてるよ!」


 よく晴れた日曜日。近所の公園で北乃君と三奈が自転車の練習をしている。先週も先々週も、三奈が補助輪を外した自転車に乗れるように二人で練習をしてきた。とはいえあまり進歩は見られない。ハンドルはフラフラと揺れ、両足で漕ぎ出したとたんにバランスを崩しては足をついている。


「なかなかうまくいかないもんだね」

 と、おじいちゃんになった父さんがバリトンボイスでそう言う。今日は母さんが編集さんとの打ち合わせで出かけてしまったので、あたしが公園に誘ったのだ。


 とはいえ、さすが父さん。公園に出かけるだというのに、チノパンにジャケットというおしゃれな出で立ちでやってきた。まぁ父さん、実際に今もかなりのハンサムさんなのだ。若い頃はどんだけカッコよかったんだろうと、娘のアタシでさえそう思うくらいだ。


「でもそんなもんでしょ? アレって急にできるようになるから」

「そうだったか? かな子の練習にもずいぶん付き合ったけどな」


 父さんはニッと口の片側だけを上げて、いたずらっぽくそう言う。


「おとーさん、まだ離さないでよぉぉ! あ、あ、あああ」

「大丈夫! ちゃんとつかまえてるよ、しっかりハンドル握って、前見て!」


 北乃君と三奈の声が風に乗って運ばれてくる。

 自転車はフラフラ、三奈は必死にハンドルを右に左にかたむけ、北乃君は中腰で自転車の後ろを押さえながら一緒に走っている。

 三奈は活発な子なのだが、意外とビビりなところがあるみたいだ。それか北乃君に思いきり甘えて安心しているだけなのか。


「お前もあんな感じだったぞ」

「そうだったかなぁ……」


 ちょっと昔を思い出してみる。初めて自転車に乗れるようになったのは……うん、ここじゃないけどやっぱり父さんと練習していた時だった気がする。細かいことはあんまり覚えてないんだけど、ちゃんと自分でペダルをこいで、自転車がスッと前に走り出した感覚は覚えている。あの瞬間はなんか特別だった。風の中に溶けていくような、新しい世界に入り込んだような不思議な感覚。

 その驚きと感動を伝えたくて振り返ったら、父さんはとっくに手を離していた。

(え? なんで? なんで勝手に離してんの? いつから離してたの?)

 そんな疑問がグルグルと渦巻いたが、父さんは腰に手を当て、ただにこやかにサムズアップを向けていた。


「思いだした! 父さんすぐ手を離してたじゃん」

「そうだったか?」

「そうだよ、思い出した。父さんすぐ手を離してた!」


 それから父さんはフッとまじめな顔になった。


「でも乗れるようになっただろ? 大事なのはむしろ離してやることなのさ。あとはそのタイミングを見極めること」

 キザなことにウィンクで決めてみせた。まったく父さんたら。


 でも確かにそうなのかもしれない。いつまでも守ってあげることはできないのだ。大事なのは自分一人でペダルを漕ぎだせるように導いてやること。そのためには父さんの言う通り、ちゃんと手を離してあげることも必要なのだ。


「そうだね。いつまでも守ってあげられるわけじゃないしね」

「そう、転ぶこと、転んだら立ち上がること、そういうことを教えてやるのも親の務めなんだ」


 一陣の風がグレイになった父さんの髪を揺らす。そういえば自転車の練習のあとはいつも絆創膏を足にいっぱい貼ってもらったんだった。ちょっと厳しかったけれど、やっぱり懐の深い優しい父だった。


 と、北乃君が腰を押さえながらベンチに引き上げてきた。


「あ痛たたた、いや、ちょっと休ませてもらったよ」

「お疲れ様、北乃君」


 父さんがベンチのスペースを開けて、隣にキタノ君が座る。


「いやぁ、子供の体力は底なしですね」

「そうなんだよね、ましてこっちは中腰だろう?」


「ええ。もう腰が痛くなっちゃって」

「かな子もそうだったよ、乗れるようになるまでやめないんだよ」


「三奈もまったく一緒です、もう腰が痛くなってきて」


 え?

 父さん、さっきの話はなんだったの?

 すごく良いことを言ってた気がしたんですけど?


 そういえば……父さんはそういうところがあった。

 なんか真面目な顔をして言うものだから、つい信じてしまうのだ。

 そういえば思いだした。中華料理屋さんに行ったとき、父さんがキクラゲだけを丁寧にわきによけていた。

『どうして父さんはキクラゲ残してるの?』

『かな子はまだ知らなかったか。キクラゲはね、ペンギンのお肉なんだ。わたしはペンギンが好きだから、かわいそうで食べられないんだよ』

 そのせいで、あたしは中学生になるまで、キクラゲがペンギンの薄切り肉だと信じていた。


「ちょっと、父さん! 腰が痛いから、すぐ手を離してた? なんかさっきと言ってること違わない?」


 なんか昔のことを思い出して、ちょっと怒ってみたくなる。


 が、その時だった。


「見て見てぇぇ! あたし自転車に乗れた!」


 三奈の声が届いた。

 まだフラフラしているけど、両足でしっかりとペダルを漕いで走っている。

 そのうれしそうな顔は大人たちの心をたちまちとろけさせた。


「やったな!」

 北乃君が思わず立ち上がって歓声を上げ、三奈のもとへと走ってゆく。


 ベンチにはまた父さんと二人になった。


「言っただろ? 離すことも大事だって」

「そうなんだけど、なんか父さんの言葉っていまいち信用できないんだよなぁ」

「まぁそれはじっくりと話してみないと分からないことだな」

「なにそれ?」

「なんかうまいこと言っただろ?」


 父さんはまたニッと笑ってそういった。

 

 まったくこの人は。

 まぁそういうことにしておきますか。



 ~おわり~

 


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