舞い散る華(後編)

 マリアさんと喫茶店で相席してから、日々の生活の中で挨拶をすることが増えた。お隣さんとしてただ挨拶をするだけのこともあれば、休日にまたあの喫茶店でちょっとブレイクタイムを一緒に過ごすようになったりと、良い友人としての関係を結んだ。転勤してからの職場にも段々と慣れてきて、生活にもある程度の余裕が出てきた頃、ここ半年程は連絡を取っていなかった友人からメッセージ連絡が来た。


『今年はどうする?』


 僕も長年のファンであるゲーム作品のイベントへの誘いだった。毎年、彼と行くのが恒例行事となっている。だが、最後にあった時に気まずい雰囲気で別れてしまったので、てっきり今年はお流れになってしまうものと思っていた。僕は返信の仕方に迷う。彼さえ良ければ、僕は一緒に行きたい。彼の方から誘いの連絡を入れてくれた真意を問い詰めたいが、それは今すべきことではないように思う。


『僕はもちろん空いてる。待ち合わせは去年と一緒で良い?』


 だから、僕は何も気にしていない風にそう返した。向こうが蒸し返して来ないならきっと、僕も同じようにした方が良い。


 ──行平ゆきひらは同じ高校の元同級生だ。一年生の時だけクラスが一緒で、他の友達と一緒で、映画やゲームの趣味が合って、しょっちゅう遊びに行っていた親友だった。

 きっと、彼はずっとそのつもりだった。それを壊しかけているのは僕の方だ。

 僕の彼への感情が、恋と呼べるモノだと気付いたのは高校を卒業してからだ。卒業後も僕らの友人関係は続き、休みの日にお互い気軽に遊びに誘う仲だった僕と行平は、高校の時以上に仲を深めた。そして、彼と過ごす時が増える程に気付いてしまった。

 どんな時も、彼と一緒にいたいと思う自分に。

 いや、きっと高校生の時からそうだった。多分、自分が同性を好きになる人間だとどこかで認めたくなかったのだと思う。僕は彼と同じでありたいと思っていたし、行平に対する感情も、男同士の深い友情に過ぎないと思いたかった自分がいた。けれど、会う頻度が増えれば気付いてしまう。カラオケで行平のテンションが上がって肩を組まれた時にドキリとする自分に。そのまま彼の首筋に腕を巻き付けたくなる自分に。何でもない日に、彼とキスをする夢を見る自分に──。

 だから、僕は行平に全てを打ち明けた。

 別に、そのまま親友として過ごす日々を続けても良かった。彼とどうこうなりたいという感情が、自分の中にないわけでもない。けれど、具体的にどうしたいのかなんてわからなかったし、こんなもの、自分の中に押し込めていれば良かったのだ。

 けれど、思ってしまった。行平がどう思うかを置いても、僕の偽らざる気持ちを彼には知っていてほしい、と。


「好きなんだ」


 その日の帰り際、僕はそんなありきたりな言葉で、自分の気持ちを伝えた。


「冗談よせよ」


 行平は最初、そんな風に笑って本気にしなかった。僕も、そこで彼に同調すれば良かったものを、そうしなかった。僕は無言で彼の瞳を見つめ続けた。心のどこかで、行平は僕の気持ちを拒絶はしないだろうと思っていたことを否定しない。だから、僕に対して引き攣った表情を見せる行平を見た時には、背筋からひやりとしたものが全身に伝わるのを感じた。ああ、これは言葉にするものではなかったのだ、と思った。だって、普通に生きていたら同性からそんな風な気持ちを向けられるなんて、普通思わない。


「ごめん、忘れて。困るよね、そんなこと言われても。じゃあ、ばいばい」


 首筋あたりに嫌な汗をかいていることに気付きながら、僕は早口でそう捲し立てた。それから僕は行平に背を向けて、嫌に鼓動の速まる自分を誤魔化すように走り出した。この動悸を、何か別のもののせいにしたかった。途中でふと振り向いた時、行平は僕の方をただ呆然と見つめていたことも、見なかったことにする。

 彼からの連絡はそれからずっとなかった。今日の今日まで。



📷


 その日は、いつものようにマリアさんのパフォーマンスが終わり、お客への挨拶が始まった。僕も何度か劇場に足を運んでいると、周りの顔ぶれも見慣れてもくる。踊り子ごとの固定客も多いから、マリアさん目当ての客の顔も覚えるし、逆に向こうも僕の顔を見知ってもいるだろうと思う。お互いに挨拶こそしないが、劇場の外で目を合わせたら会釈くらいはする。そういう仲だ。そんな人達の中、僕の見慣れない客の前にマリアさんが立った。


「本日はありがとうございます」


 マリアさんが声をかけると、その客は何かを口にしてマリアさんの腕を掴んだ。僕を含めた周りの人間が少しざわつく。すぐにスタッフが駆け寄ってきて注意をしたが、客はそのスタッフも押し退けてまだマリアさんから目を離さない。これはどうしたものかと僕までも慌ててしまう。


「やめましょう」


 近くにいた別の客がそう言って、その客の腕の方をがっしりと掴んだ。物腰は柔らかそうだが、僕と違って体付きが良い。タイトジャケットを羽織って首にはシルバーのネックレスを引っ提げているその男は、ゆっくりと迷惑客の腕を下に下ろしていく。


「なんだよ」


 尚も文句を言う迷惑客に、男はにっこりと微笑み、スマホを見せた。


「貴方の迷惑行為の証拠は撮ってあるので。出禁は免れないとしても、警察のお世話になるまでは嫌でしょう?」


 迷惑客は腰が引けたような格好になる。何とか掴まれた腕を抜こうとしていたが、男の力は強いらしく、動けない。


「ハルトさん、すみません。後はこちらで」


 スタッフの一人が男に近づいて頭を下げる。男は頷くと、迷惑客をスタッフに引き渡した。僕は壇上のマリアさんはホッとした顔で男の顔を見た。男はマリアさんに向けてひらひらと手を振る。


「ごめん、ありがと」

「ううん。心配だから俺もちょっと見てくる」


 そう言って、男はスタッフと一緒に外に通じる扉に向かった。

 僕はマリアさんを見る。

 彼女の目には見覚えがあった。多分、鏡とかで。朝起きて顔を洗い、行平のことをボーッと考えながら鏡を見ている時の僕の目と同じだ、とそう思った。



🍨


「この間は災難でしたね」


 休日のお昼時、布団を外に干そうとした際に、お隣のマリアさんに僕の方から声をかけた。いつもはマリアさんの方から声をかけてくれることが多いから、マリアさんも少しびっくりした様子だったが、いつものように笑いかけてくれた。


「いえ、珍しくないことですし」

「そうなんですか。僕が行く時はそうでもないような」

「明らかな泥酔客とかはスタッフさんが弾いてくれますし、滅多にないのは確かですけど」

「怖くないですか?」


 思わずそう、聞いて質問を間違えたかな、と悔いた。僕にしては、少し踏み込み過ぎている。


「怖いですよ」


 マリアさんは風でなびいた髪をかき上げる。


「昔はトラウマになったこともあって。他のお客の目線だってそうです」

「……ですよね。すみません」


 それはそう。当たり前だ。服を脱ぎ去って、客に裸を晒す。そのパフォーマンスに向けられる視線には、色々な感情が乗る。


「でも、鈴村さんみたいに私のことを見てくれるお客さんがいる限り、私は踊り続けたいと思います」

「僕はそんな風に言われる価値なんて……」

「私も昔、あの舞台で踊る先輩達に憧れて、こうして踊り子を始めましたから」


 マリアさんは遠くの空を見上げる。その目もまた、あの時に見せたものと同じように感じた。


「マリアさん、今日お時間ありますか? 聞きたいことがあって」


 その目に吸い込まれるように魅せられていた僕は気付けばそう口にしていた。


「はい。良いですよ」


 急な申し出に関わらず、マリアさんは口に手を当てて笑う。その目は、あの男や先輩ダンサーを思って見せた物とは別の物で、僕は何故か、それに少しホッとする。

 僕とマリアさんは、いつもの喫茶店に向かうことにした。


「少し準備しますね」

「ええ」


 僕とマリアさんはそれぞれ、自分の部屋に戻る。勢いでお茶に誘ってしまったが、どうしよう。

 聞きたいことがある、か。マリアさんのあの目を見た時から、ずっと考えていた。マリアさんは自分の立場に悩んだことはないのだろうか。そして、それを理由に何かを諦めようとしたことはないのだろうか。

 ──そう、僕のように。


☕️


 マリアさんの準備ができてから、僕とマリアさんは二人並んで喫茶店まで向かった。道中も何か会話をしようと思いながらも、中々言葉を切り出しにくくて、気付けば喫茶店に到着する。マリアさんも僕もアイスコーヒーを注文した。二人で向かい合い、無言の時間が流れる。今日誘ったのは僕の方だ。僕から切り出さないといけない。


「この間の人って、よく来るんですか?」


 考えた末に、かなりバッサリと本題に入ってしまった。マリアさんはしばらくキョトンとした顔をしていたが、途中得心したように「ああ」と首を縦に振った。


「はい。昔からご贔屓にされている方で、ああいう時もよく助けてくれます」


 注文したアイスコーヒーが届く。マリアさんはあの日と同じように、遠くを見るような眼差しを浮かべて、コーヒーを飲んだ。


「あの人のこと、好きなんですか」

「……ごほっ!」


 僕の問い掛けに、マリアさんが咽せた。またちょっと間違えたかもしれない。少し口に含んだものを吹き出しこそしなかったのは流石だと思う。


「え、えと」


 マリアさんは目を泳がせる。耳は紅潮して、右手を扇のようにしてあおる仕草をした。こんな表情も見せる人なんだな、というのが少し新鮮だが、そんなことを考えている場合ではない。僕は、自分のことばかり考えて少しデリカシーに欠けている言い方を続けてしまっていることを一旦反省する。


「マリアさんの目が、そんな風に見えて……」


 僕はそこで言い淀む。マリアさんがあの日、迷惑客から助けてくれた人のことを好いているのは間違いないと思う。そういう勘は効く方だと自負している。だから、聞いてみたい。マリアさん自身は、あの人のことをどう思っているのか。


「……好きな人がいるんです」


 迷いながら、僕は衒いなく事実を述べた。僕の言葉を聞いて、慌てた仕草をしていたマリアさんは、ぴたりと一瞬動きを止めた。


「その人は、昔からの友人で……。だけど、気付いてしまったんです。僕がその人のことを好きなことに」

「──続けてください」


 いつの間にか、マリアさんは真剣な顔付きで僕を見つめていた。僕はその顔を見て、ホッとする。僕が思っていたように、こういう話をしても茶化したりする人じゃない。


「僕、その人に──彼に告白したんです。好きだって。でも、その人の返事を聞く前に僕は逃げて……」


 ──そう。僕は逃げた。それてまだ逃げ続けている。僕は、行平の気持ちを聞くのが怖い。


「その人は、鈴村さんの告白を聞いて、鈴村さんから離れようとしたんですか?」


 マリアさんにそう尋ねられ、僕は首を横に振った。


「いえ。つい先日、遊びの誘いを受けました」

「じゃあ、鈴村さんのこと、嫌いになったわけじゃないんですよね」

「多分」

「それでさっき」

「ご、ごめんなさい。他に相談できるような友人もいなくて」


 マリアさんは僕を見て、にっこりと微笑む。


「いえ、嬉しいです」


マリアさんは「こほん」と咳払いをした。それから少し言いにくそうに肩を少し竦めた後、すぅーっと小さく息を吐く。


「鈴村さんの言う通りです。私、えっと、あの、あの人のこと──ハルトくんのこと、今でも好きです」

「今でも?」


 マリアさんは誤魔化すようにコーヒーに口をつける。


「あ、えっとですね。あの人とは、私がこの仕事を始める前からの友達で」

「な、なるほど」


 他の客よりも親しげにも見えたのはそのせいか。


「……元カレ、ですか?」


 僕はおそるおそる、マリアさんに尋ねる。けれど、マリアさんは意外にも首を横に振った。


「いえ、友人です。今も昔も、大切な」

「辛くないですか?」


 僕は辛かった。好きだと気付いてしまえば、それを心に秘め続けることが、僕にはできなかった。だから僕は行平に気持ちを打ち明けた。


「辛くないですよ」


 マリアさんは、あっけらかんとそう口にする。


「私もあの人には、告白したことあるんです」

「そうなんですか?」


 じゃあ、マリアさんも僕と一緒だ。自分の気持ちを、好きな人にぶつけている。けれど、マリアさんはその人と今でも付き合いを続けていて、そしてまだ好いている。


「はい。でもあの人には他に好きな人がいて、フラれちゃいました」


 そう笑顔で語る彼女の顔は、思いの外すっきりとしているように見えた。


「女の人は上書き保存、なんて言いますけどそんなの人によりけりですよね。私も当然、それから他の人と何人か、お付き合いしましたけど、ハルトくんへの好きな気持ちが消えることなんてないです」


 マリアさんはそう言うと、僕の目をまっすぐに見た。


「大切なのは、鈴村さんがどうしたいかじゃないですかね」

「僕が……」

「はい。まだ知り合って間もない私に相談したいくらいに、鈴村さんはその人に対してどうしたいか、悩んでる。だけど、好きって気持ちは多分、そう簡単に消えませんから」


 マリアさんの視線が、僕の目を通り過ぎて、脳髄まで貫き通るような心地がした。


「私はそれでも、ハルトくんと友達でいたかった。欲張りって言う人もいるかもしれません。けど、私がそうしたかったんです」


 マリアさんはずっと、真剣だった。急な相談にも関わらず、この人は僕に向き合って話をしてくれている。そのことが、何よりも心強かった。


「だから、それが正しいなんて言う気もないですけど、私は鈴村さんも自分がしたいようにすればいいと思います」

「──そうですね」


 僕は頷く。届いてから一口もつけていなかった、自分のアイスコーヒーを手にとって、ぐいっと飲む。冷涼な液体が体を通り過ぎる。喉につかえていたものが、少しだけコーヒーと一緒に流れ落ちたような気がした。



🚃


「行平、久しぶり。連絡ありがとう」

「ああ、久しぶり」


 僕は勇気を出して、自分から行平に電話を掛けた。心臓が跳ね上がりそうになる程緊張するのを何とか深呼吸で抑えて、僕は行平と話す。


「あのさ、今度のことだけど僕は問題ないから」

「ああ、ありがとう」


 行平の声は、以前と何も変わらないように聞こえる。本当に、僕が彼に気持ちを打ち明けたあの日のことを冗談だと思っているのかどうなのか。


「行平」

「何?」

「この間のことだけどさ」

「……」


 電話口の向こうで、行平が黙った。


「僕はどうであろうと、行平と仲良くしたい」

「……え」

「でも、行平がそれは無理だって言うなら、僕も無理は言わない。だから、あの日のことをなかったことにはしてほしく、ない」


 偽らざる言葉を、ぶつけた。僕もまた、欲張りなのかもしれない。


「どう、かな。僕はまた行平に会えるの、楽しみ」


 言いながら、跳ね上がろうとし続ける心臓を抑えつける為に自分の胸元をぎゅっと掴んだ。


「俺も」


 電話の向こうから、行平の小さな声が聞こえた。


「俺もお前とまた一緒に遊べるの、楽しみ」

「──うん」

「じゃあ、また」

「うん、また」


 そこで通話が切れた。僕と行平、どちらの方から切ったのかは定かでない。



💃


 舞台の上で、裸体が舞う。

 美しく、芸術的で、妖艶。揺れる乳房に目を釘付けにする客も、興奮した様子で目を地走らせる客も、その美貌や優美さにうっとりとする客もいる。

 ──そして、僕のようにその姿に勇気付けられる人も。

 舞台上の踊り子は、音楽に合わせて胸を張り、股を大きく開いて、ちらりと舌を見せる。それを観客の無数の拍手が盛り上げる。

 その姿は、まるで舞い散る華のようだと僕は思った。誰もが賞賛するような咲き誇るものでも、ただ綺麗なだけの造花でもなく。もしかしたら、散り落ちた後に踏みつけにされるかもしれなくても、その姿をもって、見る者を虜にする。

 何度来ても、僕は彼女に魅せられる。舞台の上で舞うその姿を見て、客は色々な意味で元気付けられる。

 音楽が止むと同時に踊り子はニコリと笑いかけ、舞台の照明は暗転する。

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【本編完結】ミサキ・モラル・クライシス 宮塚恵一 @miyaduka3rd

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