舞い散る華(前編)

『ミサキ・モラル・クライシス』スピンオフ

『舞い散る華』単話ページ

https://kakuyomu.jp/works/16818093080211400328


「あ、どうも」

「あら、どうも。また会いましたね」


 休日のおやつどき、近所の喫茶店。珈琲を飲みに行くと、店内に隣に住むマリアさんを見かけた。マリアさんはビクビクしている僕を不審がることもなく、にこにことした表情で挨拶を返す。僕はそのままマリアさんの席から離れて、空いた席を見つけようとする。


「良かったらご一緒しませんか?」


 マリアさんのそんなお誘いに、僕はビクリと肩を震わせた。


「い、良いんですか?」

「はい。鈴村さんなら是非」

「それじゃ、相席失礼します」


 僕はマリアさんのお誘いを断ることなく、マリアさんの座るテーブルの向かいの席に座った。僕は珈琲とナポリタンを注文して、店員さんが運んで来た水を飲んで待ち時間を誤魔化す。


「土日お休みですか?」


 そうしていると、マリアさんの方から話しかけてきた。


「は、はい。そうです。マリアさんは?」

「私は今夜も出勤です。ふふ、鈴村さんもいらっしゃいます?」


 そんな風に笑うマリアさんの顔は僕から見てもとても魅力的であり、夜の彼女のことを否応にも想像させられた。


「はい。今日も観にいくつもりです」

「良かった。今日は新しい演目もやるんです。楽しみにしてくださいね」


 にこやかに笑うマリアさんに、僕も笑い返す。その顔が、気持ちの悪いものでないことだけを願った。




「ストリップ劇場って一回行ってみたいんだよなあ」


 数ヶ月前の東京出張で、上司に連れられて飲み屋を転々としていたら、彼がそんなことを言い出した。俺行ってみようと思うけど、お前どうする? そんな風に聞かれ、はあ確かに僕も少しは興味ありますね、なんて曖昧な返事をする。


「それじゃあ決まりだ。勿論俺の奢りな」


 俺の返事に上司はそんな風に言って、へべれけのままストリップ劇場に俺を連れて行った。こういう時に断ることができないのは僕の悪いところだ。ただ、風俗やソープに誘われたわけでもない。その場合だったら、余計にどうしたら良いかわからず、ただひたすらおろおろしていたかもしれない。僕は女性に興味はない。そのことを知っている人も、上司を含め会社にはいない。

 上司に連れられて来たストリップ劇場は僕がイメージしていたものよりも数段小綺麗で、目を爛々に輝かせたオヤジどもばかりがいるものと思っていたが、客の半数ほどが女性なのに僕は驚いた。若い男女で来ている客すらいる。

 本当にここはストリップ劇場なのか?

 何かの間違いで、別の場所に迷い込んだんじゃないか、とそんなことを思っているうちに、上司と共に案内された席に座る。そして、すぐに演目が始まった。ステージが照らされて、そこに脚もすらりと長く、張りのある胸のストリッパーが登場した。彼女はベールのような薄い布地を羽織りながら、優雅にバレエのような踊りを披露した。音楽と共に躍動する女性の体。照明も彼女のダンスに合わせて色を変え、客を魅了する。その踊りは、ダンスの素人である僕から観てもとてつもなくレベルの高いモノのように見える。やっぱりストリップ劇場なんて嘘だ。きっと上司が間違えて、どこか別のところに来てしまったんだ、なんて思うのも束の間。


 ──彼女が、その柔肌を隠していたベールのような服を脱ぎ捨てた。


 あまりにも自然に脱ぎ捨てられたために、僕は一瞬、彼女が服を脱いだことを認識できなかった。ビシッとした真剣な面持ちで、そのストリッパーは見栄を張るようにピタリと止まる。観客席からわああ、と拍手が鳴り響き、僕もそれに合わせて手を叩いた。

 隣を見ると、赤らんでいた顔をしていた上司からも酔いが引き、踊る彼女の姿に釘付けになっていた。

 彼女は美しいその裸体を見せつけるように、激しく動かして踊る。胸や尻、脇や陰部に至るまで、体の全ての部位を曝け出して踊るその姿は、正に一つの芸術だった。

 音楽が鳴り止み、彼女もピタリと止まる。何にも縛り付けられていない豊満な胸は、彼女が激しく動く度に揺れる。そんなにも激しく踊っているというのに、汗一つかいていないように見える。扇情的な笑みをその表情に称えて客席に見せながら、彼女は惜しげもなく、その美しい裸体を見せつける。女性の体に興味があるかないかは、この際関係ない。この芸術的な姿に魅せられない人はいないだろう。そう感じる程に、洗練された動きに僕も思わず釘付けになる。

 音楽が止む。それと同時に彼女もピタリと踊りを止める。

 そして鳴り止まぬ拍手が劇場を包み、舞台は暗転した。




 会社から異動を命じられたのが一カ月前。東京の西新宿にある支社への異動を命じられた僕は、躊躇うことなく会社の意向に従った。誰に気を使うこともない、気楽な独り身の身だ。仕事も嫌いではない。今回の異動は、支社の重要ポストを任せられるという意味もあり、僕をストリップ劇場に連れて行った上司も、送別会で泣いて送り出してくれた。この人も、付き合うのは面倒だし、他人への配慮もそう高いとも言えないが、悪い人ではない。

 引っ越し先は郊外の安アパートに決めた。これと独り身故の贅沢の一つだ。住むところに頓着はしない代わりに、他に金をかけることにしている。基本的には帰って来て寝るだけなのだから、そこまで良い場所に住む必要もない。僕も年齢にしてはそれなりに稼ぎはある方だが、どうして人は高い場所に住みたがるのか、昔から僕には謎だ。

 見栄だとか色々な理由はあるのだろうけど、住む場所なんて仕事にもそう関係ないし。僕よりも稼ぎのない同期などでも良いところに住みたい欲はあるのがより謎だった。そりゃ、家賃が日々の生活の苦にならないくらいの稼ぎにかって来たら、僕ももう一段良いところに住みたいとは思うけれど、そうでないのにひいこらするくらいなら、服装だとか他人に評価されるところに金をかけた方が効率も良いのに、なんて思う。

 引越し業者に荷物の梱包も開封も全て頼み、特に問題もなく引越しを終えた。隣近所への挨拶の為に菓子折りを買って、まず一件目にお隣の部屋のインターホンを押す。


「はーい」

「隣に引っ越して来ました。鈴村と言います。引越しのご挨拶を」


 少し待っていてくださいねー、とインターホン越しに返答があり、玄関の扉がガチャリと開く。


「わざわざどうもありがとうございますー」

「いえ」


 出て来たのは若い女性で、僕は菓子折りを渡そうとして、その顔に見覚えがある気がしたのを不思議に思った。その時はその既視感がどこから来るのかが分からずに、僕は彼女に菓子折りを渡した後、上の階やアパート周辺の一軒家にもまわって、同じように菓子折りを渡した。

 不在の家はなく、その日のうちに渡すつもりだった隣近所の家には全て菓子折りを渡し終えて、明日の仕事に備えようとした頃、僕はようやく、最初に挨拶に向かった家の女性に何故見覚えがあったのか思い出した。


「あの踊り子に似てる」


 ただ、思い出したその時は、まさかその時は本人だとは思いもしなかった。よく似ている人もいるものだなと思ったし、演技に魅せられたとは言え、またストリップ劇場に行くつもりもなかったから、その既視感は「そんなこともある」と自分の中で終わらせる予定だった。

 けれどまたある日、布団を外に干す際に、たまたま同じタイミングで玄関から出てきた彼女が、僕に会釈をした際に、また同じように思った。

 ──やっぱり似ている。

 二度もそう感じてしまうと、自分の中のモヤモヤがどうしても気になって来る。僕は上司に連れられたストリップ劇場の場所を探して、またパフォーマンスを観に行くことにした。今にして思えば、踊り子の名前も覚えていなかった上、タイムテーブルも気にせず行ったから、僕が魅入らされた彼女の演技を観れるとも限らなかったのだが、運が良かった。

 ワイワイと沸き立つ観客の中、バツンと証明が落ち、最初の演目が始まった。最初の演技は、僕が初めて魅入ったあの踊り子だった。そして僕は思わず、そこで「あ」と小さく声をあげた。

 ──間違いない、彼女だ。

 昔から、人の顔の見分けはつく方だ。髪型や服装の違いにもよく気がつくので、それを同僚や取引先の人間に対して発揮するだけでもウケが良い。

 だから、僕は確信した。今、僕の目の前で踊りを披露している彼女は、舞台の為、厚くメイクもしている。服装だって、脱ぐことを前提としたひらひらとしたドレスで、日常的に着るようなものではない。けれど、そこで妖艶な笑みを浮かべ、僕を含めた観客を魅了する彼女は、間違いなく、僕が引っ越して来た隣に住む、あの女性と同一人物だった。



🩰


「また来てくださったんですね」


 パフォーマンスが終わった後、また服を羽織ってステージに上がった彼女の写真撮影タイムとなり、客の一人一人に挨拶をしていく中で彼女は僕にニコリと笑いかけた。


「どうも」

「私がこういうお仕事してるというのはご近所には内緒で」


 彼女は人差し指を口元に持ってきて、しーっと口を窄めた。その仕草にドキリとする。今のやり取り。彼女、僕の顔を覚えているのか、これだけ人がいるのに。

 彼女は僕に手を振って、また次の客に話しかけに行った。その間も心臓を昂らせながら、僕は思わず彼女の姿を目で追った。

 彼女が再び舞台裏にはけて行くと、またバツンと舞台が暗転し、次の踊り子が姿を現した。その踊り子のパフォーマンスも見事な物だったが、僕の頭の中にはずっと、さっき僕に笑いかけてくれた彼女の笑顔が張り付いていた。

 その日、僕はそのまま夢見心地になって帰宅した。自宅の玄関をくぐろうという際、隣の部屋をチラリと見る。ここに、本当に彼女が住んでいるのか。どうにも現実感がない。僕は家に戻った後、ストリップ劇場のホームページを調べた。

 彼女の名前は、マリアさんというらしい。本名なのか芸名のようなものなのかも僕にはよく分からないが、その名前は僕の深いところにすぐ刻まれた。


 僕はそれからも、劇場に通うようになった。劇場の演目を事前に調べて通ううちに彼女以外の踊り子の名前も覚えていき、マリアさん以外にも何人か贔屓の踊り子ができたが、マリアさんのステージはそれでも、僕にとって格別だった。彼女の堂々とした美しい躍動は、僕の心に何か強いものを落としてくれる。

 布団を干す時やゴミ捨ての時、会社の残業から帰って来た時にちょうどマリアさんと顔を合わせる時は、ただ頭を下げて挨拶するのみで、それ以上の交流はしなかった。僕から劇場の話を振ることもなかったし、彼女からそのことに言及する程の交流もなかった。


☕️


 それだけに、喫茶店で彼女に話しかけられた時は驚いた。ただのお隣さん、お客に過ぎない僕に対して当たり前のように会話を広げる人懐っこさ、これも彼女の魅力の一端なのかもしれない、と思う。


「改めて鈴村さん、何度も足を運んでくださり、ありがとうございます」

「はい、こちらこそ?」

「そういえば、こうして劇場の外でお話するのは初めてでしたっけ?」

「そう、です」


 僕は、ちょうど運ばれてきた珈琲に手を付ける。熱さに思わず手を離した僕の様子を見て、マリアさんがくすりと笑った。


「緊張しなくて良いですよ」

「でも」

「あそこでの私はパフォーマーですが、今は単なるご近所さんですよ?」

「それで良いんですか?」

「何か悪いことありますか?」


 マリアさんはおかしそうに笑う。彼女自身にそう言われてしまえば、返す言葉がない。けれどそもそも、あんなあられもない姿で踊る女性を前にして、緊張するなと言う方が無理じゃないだろうか。


「マリアさんは嫌じゃないんですか」

「嫌って?」

「だって、僕はあなたのお仕事を知っているわけで、そうなるとその、変な感情を抱く可能性もあるわけで」


 自分で言っておきながら、めちゃくちゃな言葉だな、と思った。なんだよ、変な感情って。


「変な感情、あるんですか?」


 マリアさんがテーブルに肘をついて、顎を手に乗せた。


「……ないですが」


 彼女のその眼差しに、僕はたじろぎそうになりながら、何とか言葉を返した。僕が言いたいような感情を、確かに僕は彼女に対して待ち合わせてはいない。


「だったら、それ聞くの変じゃありません?」

「一般論として、です」

「まあ、そうですね。それはそうです。普通は良い顔されないことも多いですからね」


 マリアさんは少しだけ寂しそうな顔をして、自分の分の珈琲を飲んだ。


「でも、マリアさんは本当に綺麗でッ。いや、そうは言っても、マリアさんに対してどうこうというわけじゃなくてですね」


 僕はその顔を見て、思わず慌てて口を開いた。マリアさんはそんな僕を見て、少しだけ驚いたように目を丸めて、それからまた笑った。


「だから良いですよ、そんな固くならないで」

「すみません」

「私は鈴村さんが何を思っていたって、何だって良いと思います。ただ、私は鈴村さん、悪い人じゃなさそうだと思ってるので」


 マリアさんはにこりと笑う。僕はそんな彼女に対して、無言で首を縦に振った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る