これが、終わりの始まり

笛吹ヒサコ

こんな愉快なことはない

 ささくれを治してくれる神様だと聞いたとき、男はなんともいえない微妙な顔になった。


「だから、ササクレ様なんですか?」

「そうそう」


 安直すぎて失礼じゃないかと、男は哀れみをこめて塚を見下ろす。


 江戸時代からの農業用のため池周辺を、昨年コンクリート等で無粋に整備した公園。池を周回するウォーキングコースにビオトープ。五台分の駐車場までできて、それまでろくに手入れされずにいた雑木林の陰気な感じだったのが見違えるほど開放感ある近隣住民の憩いの場に変わっていた。

 その塚は休憩所の四阿の影に溶け込むように佇んでいた。傍らの白い棒に『ささくれ塚』と記してなければ、整備されるときに撤去され忘れた石にしか見えないだろう。よくよく見れば、なにやら文字が刻まれているようだったけれども、判読はできない。

 ウォーキングに来ていた老女が、男の背後の四阿から続ける。


「そう言われてみると、指の形に見えるでしょ?」

「ええ、まぁ……」


 そんなことを言ったら、先が丸くなった置き石がすべて指を象っていることになってしまうではないか。

 否定するのも面倒で、男は曖昧に返事ですませた。


「あ、今思い出したんだけど、あたしのばあさんは水回りを守ってくれる神様かみさんって言ってたわ」

「なるほど、なるほど」


 なんで忘れてたんだろと一人で笑ってる老女に、男はようやく合点がいった。

 水回りを守ってくれるから、ささくれを治してくれるということになったのだろう。そもそも、水回りを守ってくれる神様というのが随分な間違いだというのに。

 せっかくだから、これもなにかの縁と思ったのか、彼女は男の隣になってきて塚に向かって黙って手を合わせた。


「おーーーーーーい! 雨振ってくる前に帰るぞ!!」

「あらやだ。今日は雨の予報じゃなかったのに」


 急に暗くなった空に驚いた老女は、四阿に迎えに来た夫のもとに駆け寄る。


「誰かおったんか?」

「誰かって? 誰もいなかったわよ。何言ってるの?」

「いや、お前、誰かと喋ってただろ?」

「?? ちょっと怖いこと言わないでよぉ」


 老女はなにか不吉な予感に足を止め振り返りそうになったけれども、それを制止するように突然叩きつけるように降り始めた大粒の雨に急き立てられるように夫の後を追う。


 瞬く間に目も開けてられないほどの豪雨となったというのに、男は塚から離れなかった。


「まったく、これだから人というものは」


 それどころかくつくつと笑いだす男の目は、爛々と輝いている。


 何もかもが間違っている。

 江戸時代からのため池などではなく人が住み着く前から太古よりある泉で、ササクレ様を治してくれる神様どころか、水回りを守る神様も笑い草だ。

 どこをどうすれば、そうなる。まったく可笑しい。こんなに愉快なことはない。

 五百年前、荒れ狂う龍を鎮めるために石となった高僧が哀れでならない。哀れで哀れで、愉快だ。

 この五百年、どう恨みを晴らそうかそればかり考えてきたけれども、どうでもよくなった。


「ハハハハッ!! まったく、まったく、ササクレ様とは、ハーハハハッ」


 笑いが止まらない。

 先ほどの老女の人差し指にあったささくれすら治す力もないだろうに。


 男の哄笑に呼ばれたのか、雷が塚を跡形もなく砕いた。男の姿はどこにもなかった。



 地形を変えるほどの未曾有の豪雨の中、救助された人は口を揃えて暗雲を背景に踊るように飛び回る龍を見たと言う。


 雨はまだやまない。やみそうにもない。

 これは始まりに過ぎない。人の世は、まもなく終わるのだ。

 神が人を支配する世が、まもなく訪れるのだ。

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これが、終わりの始まり 笛吹ヒサコ @rosemary_h

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