心に出来たささくれは治らない
帆尊歩
第1話 ささくれ
ドレスとメイクの準備が整うと、父、母、妹が控え室に来た。
「沙樹、おめでとう」
「ありがとう、パパ」
「沙樹さん、おめでとうございます」
「ありがとうございます、お母さん」
「お姉ちゃん、おめでとう」
「沙羅、ありがとう」
あと一時間弱で、結婚披露宴が始まる。
母との関係は、ある程度改善出来るだろうか。
高校に入った日から母は終始私に敬語で接した。
そこに笑顔はない。
気づきにくいが、父と私、妹と私の関係と母と私の関係は明らかに違う。
そしてその違いが分っていて、父と妹の沙羅は何も言わない。
二人は基本、母の見方だから。
この結婚式が終わるまでに、母のほんの少しでもいい、笑顔が見られたら。
いえ、期待するのはよそう。
それはあまりに虫の良い事だから。
母は、後妻だった。
私が九歳の時だからちょうど二十年前だ。
大好きなママが亡くなって、それは九歳の子供にとっては、この世の終わりのような出来事だった。
妹の沙羅は三つ下なので、六歳で小学校に上がったばかりだった。
ママが亡くなって、一年弱で新しいママがやってきた。
それが今の母だ。
当然十歳の女の子としては、そんな事受け入れられるはずもなく、私は妹の沙羅にもあの人はママじゃないからと釘を刺した。
母も多感な娘を相手に、そう簡単に受け入れられるとは考えていなかったようで、初めから本当に優しく、私達の事を第一に接してくれた。
あとで知った事では、幼い姉妹には、甘える母親が必要と父が頑張ったらしかった。
「沙樹ちゃんと、沙羅ちゃんは、何が好きなの。ママ、何でも作るよ」
「何でもいい」と私はそっけ無く言っただけだった。
妹の沙羅はまだ小さくて、そう言われると、オムライスと言いかけたのが分ったので、私は沙羅をにらみつけた。
すると沙羅は首をすくめて、「何でもいい」と私に同調するように言った。
母は毎日うるさいくらいに、私と沙羅に話掛けてきた。
でも、それらを私は基本無視した。
沙羅はまだママに甘えたい頃だったので、母が来て一年もすると、我慢出来なくなって、母の事を受け入れるようなそぶりを見せるようになってきた。
そんな沙羅を見ていて、私も複雑な思いだった。
私だって、ママに甘えたかった。抱きしめられたかった。
でも、それはこの人ではない。
死んだママだけだ。
一度私が学校から帰って来ると、その日はいつもにもまして母と顔を合わせたくないと思ったので、そおっと玄関を入った。
するとリビングから、沙羅の楽しげな声が聞こえてきた。
「今日ね、先生が教室に入る時、転んだんだよ」
「えー、そうなの。先生大丈夫だった」母の言葉は明るく優しい声だ。
「イッターイて、大きな声だしていたの」
「そうなんだ」
たいして面白くもない話を、一生懸命母に話そうとする沙羅。大人からすれば本当にどうでもいい、笑い話にもならないつまらない話を、大スペクタルの映画でも見るように、目を輝かせて聞いている母の姿が、嘘っぽく聞こえて、さらに私は不機嫌になった。
それからも、母は出来るだけ私達に話かけて来たけれど、頑な私の心は、生理的にも受け入れることが出来なかった。
でも、沙羅は少し違った。
沙羅の中では、この人を母親として、認識し始めているようだった。
ただ私のことが恐くて、私の顔色をうかがって遠慮しているのが見て取れたが、私は気付かないふりをした。
沙羅は私がいないところでは、母に甘えていた。
でもその事実を知れば知るほど、私は頑なになった。
母が何か話掛けても、私は無視し続けて、最初は父も怒っていたけれど、段々何も言わなくなった。
中学に入ると、お弁当になった。
母は中学生になった私のために、新しいお弁当箱を買ってくれて、綺麗なお弁当を毎日作ってくれたが、私は持って行くことをしなかった。
お腹が空くというので、父から無理矢理持たされれるようになると、一切手をつけず持ち帰った。
食べないことが、あなたなんかママとは認めない、と言う意思表示だった。
それでも、母は私のためにお弁当を作るので、あるとき私はお弁当にチョークの粉を掛けて持ち帰った。
さすがに母はショックを受けたが、私はいい気味と思っていた。
中一の半ばから、私はお弁当を持って行かなくなり、その変わり父からお金をもらい、学校に行く途中に、おにぎりなどを買って持って行くようになっていた。
その頃になると、沙羅は完全に私を裏切って、母と仲良くなり、この家は、父と母と沙羅の家のようになった。
私は単なる同居人。
もう父も何も言わなくなった。
母は無視されるのが分っているのに、本当に普通に話掛けてくる。
今にして思えば、もの凄い精神力だったと思う。
返事をしない娘に、普通に話掛ける。
母も意地になっていたのかもしれない。
でもそんな母を見て、私は母に申し訳ないとか、自分は何をしているんだろう、とかそういう感情は一切なく、いつになったらこのうざったい声かけがなくなるんだと思っていた。
今にして思えば、私が甘えていただけだったんだと思う。
母は明るく、私の学校の事など献身的にやってくれ、進路指導とかもちゃんと来てくれていた。
でも私はそんな母に、感謝などするわけもなく、ただただウザい存在と思っていた。
高校に入ると、母の対応が事務的に変化した。
余計なことはいっさい言わなくなった。
それまで私のことは「沙樹ちゃん」と呼んでいた。
心の中で、私は気安く呼ぶなと思っていた。
私のことを沙樹ちゃんと呼べるのは、私の本当のママだけだったから。
それが高校に入ると「沙樹さん」と呼ばれるようになり、母は必要なとき以外、私に話しかけることがなくなり、夕食の時も、父と母と沙羅は楽しそうに会話をして食事をするのに、急に私が話さなければならなくなると、敬語に変わった。
私はやっと母の干渉から解放されたと、その時は嬉しかったことを覚えている。
高校もお弁当だったので、友達とお弁当を囲むようになって、私だけがいつも買ってきたものと言うのが段々恥ずかしくなって、私は母にお弁当を作って欲しいと言った。
母は本当に他人行儀に「承知しました」とだけ言うと、次の日からお弁当を持たせてくれた。
高校生用の少し大きい箱に入っていた。
きっと私のために、用意だけはしてくれていたんだということが分った。
高校二年のとき仲の良かった、小夜ちゃんの家にお泊まりで、遊びに行ったたことがあった。小夜ちゃんと小夜ちゃんのママとパパ、そして私四人で食べた夕食はなんて美味しいんだろうと思った。
誰彼関係なく会話が出来るだけで、こんなにもご飯は美味しいんだと思った。
すると父や沙羅はこんな夕食を毎日食べていて、私だけが強情を張り、私だけがご飯をまずくしていたのかなと思った。
そして、いつもママの悪口を言っていた小夜ちゃんが、ママに甘える姿を見て、何処か羨ましいなと感じる私がいた。
なんでママは死んでしまったのと思い、次の瞬間、ママはいるじゃないかと思った。
私に散々話掛けて、世話をしてくれるママが。
どんなに無視しようと、明るく話しかけてくれたママが。
その時気づいた。
私はママに甘えたかったんだと。
頑なに認めなかった新しいママ。
その時、何かが崩れたような気がした。
私もママに甘えたい。
(ママ、今日のお弁当も美味しかったよ。でも卵は甘いのがいい)
(ママ、小夜ちゃんと遊びに行ったところで、キーホルダーのお土産買って来たよ。今度、沙羅を連れて三人で行こう。凄く楽しいところだったよ、パパ抜きで行こう)
なんだ、そんな会話だって出来たんじゃないかと私は思った。
その日、私は一つの決心をした。
あの人をお母さんと呼ぼうと。
それは小夜ちゃんと、小夜ちゃんのママの関係が羨ましくなったから、とは思いたくなかった。
母のことを許してやろう、あくまでも私が歩み寄るだけ。
お母さんと言えば母は、涙を浮かべるかもしれない。
沙樹ちゃんと言いながら、私のことを優しく抱きしめて、ありがとうと言うかもしれない。
私は感動的な和解の現場を想像してた。
「お母さん」
「えっ」と母は戸惑ったように言った。
「これからはあなたの事をお母さんと呼んであげる。これからは仲良くしましょう」思えばなんて上から目線な物言いなんだろうと思うが、その時の私にとっては、精一杯にして最大限の歩み寄りだった。
一瞬の沈黙のあと、私は自分が抱きしめられる事を想像した。
でも。
「別にそういうのはいいですよ。無理しないでください。あなたの事はもう娘とは思っていないので。あなたも私を母親と思わなくていいです」
「えっ」と私は言葉を失った。
どういうことだろう。
想像していた、感動でむせび泣きながら優しく抱き合うはずでは。
(お母さん、これからは甘えてあげる)
(何言っているの、じゃあ甘えさせてあげる)そんな会話も想像していたのに。
母に甘える事は出来なくなった。
でもせめての和解のために、私は毎日のお弁当を食べ終わると、お弁当箱を綺麗に洗ってメモを入れるようになった。
(お母さんいつもお弁当ありがとう。とても美味しかったよ)
(お母さん今日のお弁当もおいしかった。特に唐揚げは最高!)
(今日のおかずは綺麗で、みんな羨ましいと言ってくれたよ)
毎日メモを入れても返事はおろか、何か言ってくれることもなかった。
それどころか、丸めてゴミ箱に捨てられていた。
さすがにひどいと思って、父や沙羅に相談すると、当然だと言う反応しか返って来ない。私が無視していた間、私との関係が改善しないことで、母は毎日のように泣いていたらしい。そんな姿を見ていた父や沙羅は、むしろ私への憎悪を燃やしていた。そして高校に入ったその日から、もう私を娘とは思わないと決めたらしい、だから沙樹ちゃんから沙樹さんに変わり、敬語になった。明るく話しかけることもなくなり、必要以上の会話もない。
そしてそれを提案したのは父であり、妹の沙羅だった。
メモは卒業するまで、欠かさず空のお弁当箱に入れていたけれど、ことごとく捨てられていた。
辛かったけれど、私が母にして来た仕打ちを考えると、仕方がないと思った。
高校を卒業すると私は大学に入るため、家を出て一人暮らしを始めた。
母と離れたので、和解する機会は遠のいたと思う。
事実、引越しや入学式を含めて、母が私の部屋に来たことはなかった。
母が、私と本当の母と娘になろうとしたとき、私がそれを拒否し、私が母に甘えたくなったときは、母がそれを拒否した。
まるで指に出来たささくれのように、こする方向が違えば全然痛くないのに、いつも反対の方向でこすってしまった。
さあ、披露宴が始まる。
披露宴が終わる頃には、少しは何とかなっていないだろうか。
心に出来たささくれは治らない 帆尊歩 @hosonayumu
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