【KAC20245】守る人、守られる人

水城しほ

守る人、守られる人

 それは、わたしが「王立アーリエ魔法使い養成所」へ入学して、半月ほどが経ったある日のこと。

 休日の前日である地の曜日に、わたしは恋人アルヴァの誘いで、ほんの少しだけ遠出をすることにした。そこは小さな山の上にある湖で、満月の夜には光の精霊と出会えることもあるほどに、土地そのものに魔力が満ちた場所だ。

 しかし今夜は新月で、どうしてそこへ誘ったかのと聞くと、アルヴァは穏やかに微笑みながら「勉強のためだよ」とわたしの頭を撫でた。


「新月の夜は、光の精霊が姿を隠すだろう? だから闇の精霊が顔を出すらしいんだよ。滅多にないチャンスだから、今日はぜひ行っておきたいんだ」


 そうなの、と相槌を打つ。だけどますます不思議だった。魔力は人それぞれに、親和性の高い属性がある。王族として生まれたアルヴァは「四大精霊の祝福」という稀有な能力を持っているけれど、それでも光属性と闇属性は苦手としている。わたしは光の精霊との親和性がずば抜けて高く、逆に闇属性は苦手中の苦手だ。


「だからこそ、闇の精霊との交流を試みるのもいいと思ってさ。不得手なものは少ない方がいいからね」


 向上心に溢れたわたしの恋人は、陽の曜日へ変わる直前に飛ぶよと、転移魔法の込められた指輪を手渡してきた。なるほど、平日だと翌日の授業に支障をきたすので「休前日の新月」は確かに「滅多にないチャンス」だ。


 指輪をはめて魔力を込めると、ほんの一瞬で山頂の東屋に出た。

 月の光がない湖を見るのは初めてで、強い魔力は確かに感じるけれど、どこか禍々しさのような感覚も覚えた。これはおそらくわたしの魔力が光属性であるからで、完全に相反する闇属性とは、そうたやすく相容れないんだろう。大丈夫かな、と不安になる。もしも精霊の側もこんな風に、わたしに対して禍々しさのようなものを覚えていたら……?


「ねぇ、アルヴァ。わたし何だか、闇が怖いの」

「怖いのかい? 大丈夫、お化けなんか出ないよ」

「そういう意味じゃなくって……」


 不安の理由を言いかけた時、ひゅん、と頬を何かがかすめた。鋭い痛みを感じて手を当てると、指先には血液が付いている。周囲を見回してもわたしたちしかいない。しかし周辺の木々はざわめき、そして湖の中央に、球体になった「闇」があるように見えた。その禍々しい闇はふわりと浮いたかと思うと、猛烈な勢いでわたしの方へと向かってくる。

 明らかに、標的はわたしだ。一緒にいるアルヴァは完全に無視されていて、わたしだけが闇の精霊に攻撃されている――あんなものが当たればただでは済まない、わかっているのに足がすくむ。ぎゅっと目を瞑った時、アルヴァの叫ぶような声が聞こえた。

 次の瞬間わたしは弾き飛ばされ、勢いよく草むらに転がる。そしてわたしの上へ覆い被さるように、続けてアルヴァも倒れ込んできた。彼の苦しそうな声が聞こえて、わたしはようやく状況を把握した。アルヴァはわたしをかばったのだ。あんなにも禍々しい、あんなにも強力な攻撃を、防御魔法も無しに受けたなんて、生命に関わる怪我をしていてもおかしくはない。

 一刻も早くアルヴァを連れて、ここから逃げ出さなければいけない。

 突き刺さるような敵意に、怖くて身体が震えるけれど、諦めるなと自分に言い聞かせる。わたしが危ない目に合った時、いつもアルヴァが守ってくれていた。だから今度は、わたしが彼を守らなくては――帰還用の指輪をポケットから取り出し、アルヴァを強く抱き締める。とにかくここから飛ばしてほしいと、必死で指輪に祈りを捧げた。


 いちおう、転移魔法は発動した。しかし一人用の指輪で二人を転移させたせいか、帰還先に設定していた自宅ではなく、うっそうと木々が茂る暗闇の中に転がり落ちた。ひとまず逃げ出せたことに安堵しつつ、自分の魔法短杖ワンドに魔力を込めて魔法石を光らせ、ささやかながら視界を確保する。

 すると、アルヴァの背中に大きな傷があることがわかった。ローブには派手に穴があき、背中一面に火傷のような跡がある。その傷跡は黒いもやをまとっていて、闇属性の魔法によって与えられた傷だということを示していた。魔力によってつけられた傷からは、自身の魔力が漏れ出て行く。この傷を塞がなければならないのだけれど……その為には、呪文を唱える「治癒魔法」を使わなければならない。わたしにはまだ使えないし、仮に使えたとしても「見習い魔法使い」の身分での魔法詠唱は法律で禁じられている。

 時間が経てば傷は塞がるけれど、それまでの間、外部から魔力を補充してあげなければいけない。万が一枯渇してしまうと、魔力は永久に失われる。魔法使いとしての人生はそれで終わりだ。あとは「抜け殻」と呼ばれて、普通の人よりも大幅に少ない生命力で、短い余生を生きることになる。そればかりか、急激な魔力の減少は身体にもかなりの負担を与える。体内の組成の再編に失敗すれば、肉体が消失してしまうことも――想像するだけで血の気が引いていくけれど、怯えている場合ではない。

 今すぐわたしが魔力を補充すれば……と、まずは考える。だけど傷が大きいせいで、物凄い速さで魔力が漏れている。わたしが持つ魔力ごときでは、先にこちらが枯渇するだろう。もちろんわたしも魔力が尽きれば、最悪は死ぬかもしれないわけで、さすがに躊躇してしまう。

 やはり、誰かへ助けを求めるしかない。しかし周囲を見回しても、街道どころか獣道すら見つからない。それだけでなく、意識のないアルヴァを抱えて動こうとしても、重すぎてほとんど身動きが取れない。強引に抱えあげようとすると、痛みで意識が戻ったらしいアルヴァが、まるで獣のように低く唸った。


「アルヴァ、気が付いたの?」

「……信じ、られない……まさか、あんなに攻撃的だなんて……」

「ごめんなさいアルヴァ、わたしのせいで」

「違う、エル……これは、僕の落ち度だ……っう、あ、ぐっ」

「アルヴァ!」


 アルヴァは苦痛に顔をしかめて、それでもわたしの頭を撫でようとする。必死に腕を上げようとしているのに、その手は途中から力なく落ちて行く。


「ねぇ、エル、怪我はない、ね……?」

「大丈夫、アルヴァのおかげよ」

「そうか……エルが、無事なら、よかった……」


 アルヴァはまるでうわ言のように、完全に力のない声で、わたしを心配する言葉ばかりを口にした。そんな様子にうろたえてしまい、不安ばかりが湧き上がってくる。どうしよう。どうしよう……混乱する思考を落ち着かせられないまま、わたしは必死に彼の手を握った。だけどこのままでは何も変わらない。放っておけばわたしのせいで、アルヴァの魔力が失われてしまう。


「ここで待っていて、アルヴァ。すぐに助けを呼んでくるから、あなたの指輪をわたしに貸して?」


 アルヴァを抱えては動けなくても、わたしだけなら街道を探して走ることができる。自分たちの位置を確認できれば、アルヴァの指輪を使って街まで助けを呼びに行ける……そう考えて、握り締めていた手を離そうとした。だけどアルヴァは逆に、わたしの手を強い力で握り締め、泣きそうな顔で小さく首を振った。


「離さないで、エル……傍にいて、お願いだ……」


 心細いのか、彼はわたしを引き留めた。一刻も早く魔力の豊かな誰かを呼んで、魔力を補充しなくてはいけないのに……どうせもう間に合わないよと、らしくもない諦めを口にする。


「誰かを呼びに行ったところで、戻る頃にはもう、僕は抜け殻になっているよ……だから、エル、今は傍にいて……」

「駄目よ、そんなの……アルヴァは魔法使いになるのよ、だから養成所に入ったんでしょう?」

「そんなの、どうだって、いい……僕はただ、エルと、同じ景色を見たかっただけ……だから……」


 アルヴァの手から力が失われていって、顔色はどんどん真っ白になっていって――魔力だけではなく、生命力そのものが失われているような気がした。

 これは、最悪の事態に進んでいるのでは?

 魔力が枯渇するだけではなく、その生命も、もしかしたら肉体も、全てが失われてしまうのでは?

 いやだ、そんなの耐えられない。この世界からアルヴァが消えてしまうなんて、そんなことがあっていいはずがない……誰か助けて、と思わず呟く。だけどわかってる、二人揃ってここにいたって、永遠に助けなんか来ない。


「アルヴァ、わたし、やっぱり助けを呼びに――」

「それよりも……少しだけ、魔力を繋いでいてほしい……僕はもう、エルの魔力に、触れられなく……なって、しまう、から……」


 発する言葉が途切れ途切れになって、魔力の枯渇が近いのがわかる。確かに今から駆け出したって、もう助けは間に合わないだろう。


「エル……僕を、離さないで……」


 こんなにも弱気なアルヴァを、わたしは一度も見たことがなかった。

 怖い。このままじゃ、アルヴァを失ってしまうかもしれない。

 それならば、いっそわたしが。

 アルヴァにわたしの魔力の全てを注ぎ込んでしまえば、アルヴァは助かるに違いない。その代わり、きっと、わたしが抜け殻になってしまうけれど……アルヴァを守る手段は、もはやそれしか残されていない。それならわたしが選ぶ道は、たったひとつしかありえなかった。

 意を決して、アルヴァと唇を重ねる。魔力を接触させるのなら、粘膜同士が効率的――それは「魔法使い」ならば、当たり前に知っていることだ。当然わたしの意図を即座に理解した彼は、軽く身じろぎをしたけれど、もう抵抗するだけの力は残っていない様子だった。ごめんねアルヴァ、勝手にこんなことをして。だけど今は、今だけは、わたしの思うとおりにさせて……祈るような気持ちで、彼の中へ魔力を注ぎ込み始めた。

 最初に軽い反発があったあと、アルヴァの中にわずかに残った魔力が、無事にわたしのそれと繋がり始めた。アルヴァの意思はわたしを拒もうとしていて、だけどアルヴァの中にある魔力の「器」は、わたしの魔力を貪欲に吸収していく。枯渇寸前の「器」は注がれる魔力を求めて、貪るように吸い取ろうとしてしまうのだ。それは魔力持ちの本能であり、もうアルヴァ自身の意思では止められない。全てを悟ったらしいアルヴァの魔力は、ひどく悲しみの色に満ちていて……集中しないといけないのに、勝手に涙が溢れ出す。

 アルヴァ、アルヴァ、ごめんなさい。わたしはもう魔法使いにはなれない。それどころか、この世界から消えてしまうかもしれない。それでもわたしは決して後悔なんかしない。ずっとあなたに守られてきた、ひとりでは何もできない子だったわたしが、こうしてあなたを救えるのなら――わたしは、それだけで、いい。

 強烈な勢いで魔力を吸い取られ続けて、意識が朦朧としてくる。だけどその感覚はどこか甘美で、次第にわたしは幸福感に満たされていった。

 ああ、アルヴァに全てを捧げて消えられるのなら、わたしにとっては幸せなのかもしれない。アルヴァはきっと怒るだろうけど……できるなら、あんまり悲しまないで欲しいな。あなたの魔力と混ざり合って、あなたが死ぬまでずっと一緒にいるから。いつだって、どこにいたって、誰よりもあなたの傍にいるから。あなたがわたしではない誰かと共に歩き出しても、わたしはあなたの幸せを、誰よりも強く願えるから。

 ねえ、これでわたしもあなたみたいに、強くて優しいひとになれたかな――そんなことを考えながら、わたしの意識は遠ざかっていった。


 気が付くと、自分の部屋にいた。カーテン越しに光が射して、既に昼だと伝えてくれる。わたしはあたたかなベッドの中で、アルヴァに抱き締められていて……わたしたちの魔力は繋がっていて、ゆっくりと循環をしていた。

 どうして無事なの、と言いかけた。だけどその問いをぶつける前に、ひとつの仮説を思い付く。アルヴァは自分の魔力が安定するや、わたしに魔力を注ぎ返して、二人の魔力が枯渇しないように循環させ続けたのだ。たしかに、お互いに少しでも魔力が残っていれば、時間が経つにつれ魔力は回復していく……理屈ではわかるのだけれど、これは決して簡単なことではない。自分の「器」が持つ本能に抗えるほどの、強靭な精神力が必要になる。 

 そんな偉業を成し遂げたアルヴァは、穏やかな顔で眠っている。

 わたしはこの人を守ることが出来たし、この人もわたしを守ってくれた。そのことが凄く嬉しくて、今はただただ幸せで――絶対に離さないからねと、わたしも彼を抱き締めた。


(了)

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