アオエデ1983―思い出はいつも綺麗なFellow―

gaction9969

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 幼い頃の「思い出」というのは、「記憶」とはまた別のもののような気がする。さんざん言われているが「加齢と共に脳も老化し記憶力は低下する」というのは万人に起こり得ることで、今まさにそれを実感している世代の自分としては、日々失われていく「記憶」とは明らかに別種と思われる「思い出」が、脳内から消えずに残っていることで、それをより強く感じるようになっている。


 薄れるどころかそれらはますます輝きを伴ってきていて。


 楽しかった思い出、それは勿論、残る。ただそれらは年々郷愁というものに磨かれていくのか、キラキラとした光のようなものに包まれ始め、曖昧なものになっている。夏の日の、青空と白い雲、ぎらつく太陽の光、緑の匂い。「何となくだが楽しかった」、それが頭の片隅に浮かんでいるような感じだ。それを反芻しつつゆっくりと辿っていっても、近づくにつれて「楽しかった」がどんどん強調され、元は別の「楽しかった記憶」たちが、合体して収束して、それぞれを補完し合って。何となくのイメージのように再構築されていっているものに辿り着いていっているようにも思える。改めて考え直してみると、どう考えても年齢がおかしい、季節がおかしい、などなど。だがそれを自分の中で咀嚼した状態でぼんやりと置いておく事において、錆びついてしまった脳でも「楽しかった」に簡単にアクセス出来るように脳の機能が仕事をしているのかも知れない。


 一方でやらかしてしまった思い出というのも、忘れようとしても記憶野からは消せない。イレギュラーな出来事であり、身体や心にダメージを喰らったという体験、それらを本能的に生存のための「教訓」としてインプットしているとでも言うのか、「楽しかった」とは厳然に異なる深度にて、脳はしっかりと刻み込み、望んでもないのにふとした時にまるで人生における「過去事例から学ぶリスクマネジメント研修」のようにこちらにその「視聴」を強いるのである。


 三歳くらいの頃、と現在は「認識」している。改めて調べればはっきり分かると思うが、その辺の「何歳のいつ」「幼稚園・小学校のいついつ」という周りの部分の記憶というのは薄れている。そこはもう、何十年と積み重ねてきた記憶のページが、ゆえに境界が曖昧になってきているのではと考えるが。とにかくそのくらいの時。その時の季節感も喪われていて、夏だったか、冬だったかもはっきりしない。


 母親に手を引かれ、どこかへのおでかけだったのだろう、高揚していた自分を覚えている。そして記憶のキーのひとつである、小さな手にしっかりと握った「スネークキューブ」。その形状・色味・質感は今でも脳に残っている。正しくは「ルービックスネーク」というらしく、当時自分の持っていたものは検索しても出てこないピンク色の赤紫色のツートンカラーのもので、もしかしたら純正のものでは無かったのかも知れないが、とにかくその直角二等辺三角柱が二十四個つなげられた、色々な形に変化するそのパズルのようなものが、その時どこに行くにも持って行っていた大のお気に入りおもちゃだった。


 正式な名称では多分無いと思うが、その中のひとつの形「虫メガネ」。ただの四角にした枠に持ち手を付けただけの簡単な形状だが、当時の自分には作ることが出来なかった。国鉄の駅、それもどこかは自分は覚えてないというか知らない。ただ電車に乗れるのが嬉しく、そしてレンズも何も無いそれで、色々なものを観察してやろうという気持ちがあったのかも知れない。つくってつくって、と母親にせがみながら構内を歩いていた。あとであとでと言われながら、電車に乗るまでにもいろいろ観察したかった自分は、ホームへと続く階段をのぼる時になっても、まだ飛び跳ねながら言い募っていた。


 瞬間のことは、二秒くらいの短い動画として脳内に記憶されている。当時の駅の階段の多くは石質板で出来ていて、角が擦り減らないようにか、金属板が段鼻に埋め込まれるようにして露出していた(これは今調べてみてもはっきり分からないので憶測)。


 右手を母親の手に繋がれ、左手にスネークキューブを握ったまま、足を踏み外し、前のめりに倒れ込んだ。ところに金属板があり、こけた瞬間に母親に引き上げられたものの、勢い止まらず頭を打ち付けた。息を呑む音、からの周りの喧噪の音の記憶は無い。そして、


 そこからの記憶は何故か上空から俯瞰したかのような視点で残っている。後から自分で創り出したものなのかも知れない。駅員室、駅長室? に運ばれ、必死の形相で白いタオルを傷口に押し当てている母親に抱かれながら、痛さよりも自分は死ぬんじゃないかとの恐怖で泣き叫ぶ自分。真っ赤になったタオルを代えるところで救急車が到着し、人生で初めて乗ったその車中のことは覚えていない。


 病院に運ばれた後からは、若干の誇張や改竄があるような気がしている。危機から助かったと脳が判断したのでその辺は曖昧となっているのかも知れない。ぶっとい注射器を頭に刺され怪我した時よりも大きな声でギャーと本当に叫んだこと、頭に被せられたネットがメロンみたいだねと言われて鏡で見たら本当にそんな感じで笑えたこと、それらはやけに面白おかしくなっているので多分創作含みだろう。そしてそれから何日かは入院したのだがその詳細、そして何針か縫ったのだが、退院した記憶も抜糸した記憶も、その後どう治ったのかもその辺の記憶はまるきり無い。


 やらかした記憶というのはこうやって厳重にかさぶたのようなもので覆われ、その内「なつかしい」にも変換されていくのかも知れない。ただ自分の立場が変わるにつれて、そのことを改めて振り返ると、また新たなささくれのようなものも現れては、思い出してきゅっとなる新しい気持ちにも襲われる。


 自分の子がいきなりこんなことになったら、パニックになるわー。


 今の僕より若かったお母さん、心配かけてごめんよ。


(了)

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