ささくれだったとはね

タルタルソース柱島

第77話 ささくれだったっけ

「あいたッ」

指先にチクリと痛みが走り、アメリカンチェリーみたいな血が出ていた。

 昔からそうだ。

 指先が乾燥するからささくれが出来やすく、大人になったら治るもんだと思っていた。

「そんな事なかったなー」

水道の栓をキュッと捻ると台所を離れ、戸棚を漁る。

 たしか絆創膏があったはずだ。

 地味に痛いんだよね。


「おかしいな。戸棚にしまわなかったっけ」

文房具、クリアファイル、工具、うん。絆創膏が見当たらない。

 私の手がどんどん奥に進む。

 未使用のメモ帳、タッチペン。

 そして、

「あー、懐かしー。これお気に入りだったんだよね」


戸棚の最奥にしまってあったのはショッキングピンクの塗装があちこち剥げたガラケーだった。

 学生時代にどうしても欲しくて、親の前でギャン泣きし、仰向けにひっくり返り手足をバタつかせ、なんとか買ってもらった記憶の中のささくれが引きちぎられるような黒歴史の一端だ。


 いや、待てよ?

 見目麗しい女学生だった私が仰向けにひっくり返ったなどと記憶違いかも・・・・・・。


 兎にも角にも私にとって青春時代の思い出が詰まったタイムカプセルだ。

「そういえば、あのメッセージも『ささくれないか』だったね」

 笑っちゃうほど前の話。


 忘れもしない2005年7月7日の夕方の事だ。

 軽快な機械音とともにガラケーが震え、ライトがチカッチカッと明滅した。


『ささくれないか』


怪文書の送り主は友人の御堂タクヤだ。

 御堂とは、神田がどうのとかリナリーがなんとかだとか月が、と当時の漫画の話題で盛り上がる程度の仲だった。


「ささくれないか? 短冊用の?」

確かに私の家の裏山には竹林があったから渡せるには渡せるが、七夕当日に笹を欲しがるとは。

『いいよ。今から?』

eメールは料金が高いから、と釘を差されているのでSメッセージでやり取りするのが主流だった。

 それでも文章が長いと料金が上がるのだ。

 よって携帯では超短文を送り、夕食後に家のパソコンからチャットなんかでお話することが多かった。


 再び私のガラケーがメッセージの到着を知らせる。

『笹いらない』

「???」

笹はいらない。

 となるとこいつは、私がささくれに困っているんじゃないかという趣旨の文章を送ってきたのか?

 おまえ、そんな紳士的なヤツだったか?

『心配ありがとう。ささくれないよ』

『無いの?ちょうだい。お願い!』

ささくれが欲しいとは酔狂なやつである。

『だめ。むり』

『え、おねがいします。栞さま!この通り』

これでは埒が明かないと思った私はトドメの一言を送信する。

『茶で話そ』

チャット部屋。略して茶だ。

 当時、LINEなんてものは無かった。

 だからチャット部屋が乱立し、仲の良い人たちや話題の合うグループで盛り上がっていたのだ。


 少し間を置いて返信が届く。

『そうしよう』



結局、怪文書の正体は『ささやきをくれないか』だった。

ささやき、つまりは個人間メッセージのことだ。

略して、ささ。



ガチャ


遠い記憶に思いを馳せていると玄関が開く音がする。

旦那のご帰還である。


「ただいま。栞ちゃん、どうしたの? 嬉しそうだね」

「ふふん。タクヤくんの黒歴史を見つけてね」

「え、こわ。なにそれ・・・・・・」

ふくよかな見た目とは裏腹にチキンハートの持ち主が後ずさる。


あの時、ささくれないか、などと遠回しに迫ってきたこの男こそ今の旦那だ。


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