古都海の修行録 ~俺様退魔師の押し掛け弟子になった私が弟子をやめたいけどやめられない~

縁代まと

古都海の修行録 ~俺様退魔師の押し掛け弟子になった私が弟子をやめたいけどやめられない~

「師匠! 師匠!! 重いです! 物理的に腰が砕けそうです!!」


 坂道を上るのにここまで悲痛な声を上げたのは初めてだった。

 なだらかとはいえ一時間も斜面を上っていれば足腰はもうバッキバキだ。

 ついでに私は師匠に指示されて集めた大量の笹を担いでいた。対して師匠は身軽な様子で、これには心もバッキバキである。


 私、華橋古都海はなばしことみは退魔師に憧れて田舎から都会へと出てきた十八歳だ。

 黒髪おさげで明らかな古着姿。

 今考えるとお上りさんそのものだった。

 ……今も同じ格好なのは貧乏だからである。でもわかっていてやっているのと、わからずやっているのとでは天と地ほどの差があると思うので、今はこれでいい。いいったらいい。


 そして右も左もわからない場所で悪魔――ではなく、悪魔のような悪徳商法のキャッチに引っ掛かっていた私を助けてくれたのが、今ここで師匠と呼んでいる男性、岳見開房たけみあけぶさだった。

 束ねた茶髪に丸いサングラス、黒いシャツに白いベストという怪しい雰囲気の男性だ。

 色素の薄い緑の目はクォーターだからだという。

 柔らかなラインの太眉と野性味のある八重歯が対照的で、好きな人は好きだろうなという顔つきをしている。私としては胡散臭さに警戒心が湧いて仕方なかった。


 そして本当に悪魔のようだったのは他でもない、この師匠だったのである。


 助けたお礼としてお金を要求し、持っていないと知るや否や「じゃあ働いて返してもらおうか!」とタダ同然の雑用係になるよう命じてきたのだ。

 何度か逃げようと画策したものの、この男が曲がりなりにもプロの退魔師だということがわかり、他にツテができるまでの間に技術を吸い取ってやろうと思った――のだけれど、それが運の尽き。


 師匠は無茶ぶりする。毎日する。多分日に二十回はする。

 今日のこの苦行めいた仕打ちもその一つだ。


(しかも徹頭徹尾私を雑用係としか見てない……くうぅ、意地でも師匠って呼び続けてやる~!)


 生来の負けん気を活かしてこうして齧りついていたものの、負けん気だけでは腰を労わってやれない。

 ひいひい言っていると師匠が足を止めた。

 あっ! よく見たらこの人、自分だけ山登り用のシューズ履いてる!


「ふん、俺様についてこれるよう体を鍛えるんだな!」

「退魔師の修行をさせてくださいよォ!」


 半泣きになったが、年頃の娘がそんな顔をしたところで師匠には響かない。じつに男女平等だ。

 こんな師匠だが腕は確かだった。

 けれど――なぜか師匠のもとに舞い込んでくる案件は変なやつばかりで、それも私の悩みの種である。

 今日の仕事もこの山奥にいる「ささ……くれ……」と話す謎の悪霊を退治してほしいというものだった。

 師匠曰くその悪霊はパンダの悪霊で、人を迷わせるが笹を持っていないと知ると谷や川に捨てるという非道な存在らしい。それにしては見た目がファンシーだ。


 そのパンダの悪霊に笹を与えることで隙を作り、封印の術を発動させるのが今回の作戦だった。

 完全に消滅させることができない強力な霊なので、まずは封じて力を削ぐのだという。


 ただ、ここまでの肉体労働になるとは思っていなかった。

 もう帰りたい。

 とっとと他のツテをゲットして弟子をやめたい。正式な弟子にすらなれてないけど!


(そしてもっと優しく素敵な師匠の元で退魔師のウデを磨いて、田舎のお母さんに仕送りを――)


 そう考えていると師匠が「着いたぞ」と親指で前方を指した。

 周りと比べるとほんの少し開けた場所だ。ただ日が落ちてきたので薄暗い。

 師匠は私の持っていた笹の束をひょいと持ち上げる。


「いいか、田舎者。弟子になりたいなら自分からよく動きよく見ろ」

「鍛えろ鍛えろって毎回言われるから、これでも最近色々とトレーニングしてるんですけどォ……」

「俺様は足りない努力を誉めるほど暇してないんだ」

「ンアー!」


 一日でも早くやめたい!!

 そう顔面で嘆く私に背を向け、師匠は笹を持って歩きだした。

 こうなったら肉体労働損にならないようガン見してやる、と熱い視線を送る。あとこの視線で燃えてほしい。


「ほら、笹を持ってきてやったぞ! 姿を現せ!」


 その時、ぐにゃりと空間が歪んだ。

 薄暗くなっていた空に亀裂が走り、そこから黒いモヤが現れる。

 モヤはアスファルトの上をのたうつミミズのような動きを見せた後、師匠の前に垂れ下がり――ささくれだらけの巨大な腕になった。


「……」

「……あれ?」

「……」

「……あの、師匠、パンダは?」


 どう見てもパンダの腕ではない。一番近いのは老婆の手だ。

 しかしあまりにも大きい。腕だけで人間二人分はある。

 師匠はスッと手に持った笹を下した。


「なんか違うっぽいな!」

「笹を持って山登りした私の努力は!? 実を結ばなかったってことですか!?」

「それより耳をよく澄ませ、こいつ何かを言ってるぞ!」


 はぐらかすな!

 しかしこれは反面教師として学ぶチャンスなのかもしれない。少しでも前向きに受け取らないとやっていられないので、力強くそう思うことにして耳を澄ました。

 たしかに口はないのに腕の方から声がする。

 腕と同じく、しわがれた老婆の声だった。


「ささ……み……くれ……。さ……ささみ、くれ……」

「そっちか!!」

「情報も正体も間違ってるじゃないですかぁ!」


 師匠は歯を覗かせて笑う。


「違うぞ、先方の情報が間違っていたから予想が外れたんだ! つまり俺様は悪くない!」

「クソ思考!」

「クソとは何だ、クソとは。しかしどうしようか、ささみなど手元にはないし大人しいうちに術をかけて――」


 その時ぴくりとささくれまみれの指が動き、師匠を鷲摑みにしようと襲い掛かった。

 師匠は「ささみがないとわかってキレたな!」と飛び退く。

 腕の動きは俊敏で、私の頬の薄皮も持っていかれた。爪が鋭いだけでなく乾燥したささくれ一つ一つが切れ味抜群だった。攻撃特化すぎない!?


 しかしささくれはささくれ。

 引っ掛かると腕も痛いのか、余計に怒りを溜め込んで動きが激しくなっている。まずはジッと静かにしてみてほしい。とりあえず痛みはなくなるはずだから。

 しかし呼びかけに応じるはずもなく、小指の第二関節が私の腹にめり込んで吹っ飛ばされる。潰された豚のような声が出たが、切れ味抜群なささくれでなくて良かった!


 吹っ飛ばされた際にウエストポーチがクッションになってくれたことで私はあるものの存在を思い出した。


「ッ……し、師匠! あります! ささみあります!」

「はあ!? 持ち歩いてるのか!? 変わった奴だ……」

「誰のせいだと思ってるんですか!」


 私は咳き込みながらウエストポーチからささみ入りのタッパーを取り出す。

 師匠がトレーニングしろとうるさいので用意してきたものだ。付け焼刃の知識で持ってきたので何か間違っているかもしれないが、ささみはささみである。


 幸いにもタッパーは割れておらず、中身のささみも無事だった。


「ちなみに保冷剤を巻いた水筒の中には卵黄がみっちり入ってます!」

「気味の悪い奴だな、黄身だけに」


 くしゃみをしそうになった。

 師匠は私の反応など気にも留めていない様子でタッパーを受け取り、空気を裂く鎌のような爪を避けながらフタを開けてみせる。


「ほら、ご所望のささみだぞ!」


 ぴたり、と。

 腕の動きが止まり、指だけがうぞうぞと蠢いて師匠の方へ集まった。虫っぽい。

 すると指の先端にぱかりと口が開く。字面は気持ち悪いが、開いた口は猫ちゃんだった。

 指の猫たちはガツガツとささみを食べると満足げに左右に揺れ、そして封印の必要もないほど見事に成仏する。


 まるで何事もなかったかのように静まり返った景色を見ながら師匠は「ふう」と息をつく。


「恐らく老女と飼われていた猫たちの融合した姿だったんだろう。しかしパンダではないとはいえ、強力な霊だったというのに一発で成仏するとは……」

「ふ、ふふふ……美味しいと有名なブランドものの高級ささみですからねぇ! さぞかし美味しかったでしょうねェ、成仏するくらいッ!!」

「高かったんだな」

「はいッ!」


 師匠が特別ボーナスを出してはくれないものかと期待の眼差しを向けてみたが、それは綺麗に空振った。

 いや、まあ形から入ろうと安易に高いものに手を出した私が悪いのだ。

 おかげで貧乏生活に拍車がかかったし。体を鍛えたいならまずは健康的な生活をすべきだったのである。


 しょげていると師匠がサングラスを押し上げながら笑った。


「まァ役には立った。やはり人手はあった方が良いな、選択肢が広がる!」

「学びを得ないでくださいよォ、私なんて結局退魔師については何も学べなかったのに!」


 高いものはシチュエーションが変わってもそれなりに役に立つ、ということを学んだくらいだ。

 その時、嘆く私の視界の端に奇妙なものが映る。

 あれは――腕が出てきた空間の亀裂だ。成仏してもしばらく残るんだなぁ、と思っていると、そこからニュッと何かが顔を出した。


「パ……パンダ?」


 愛らしいパンダだ。

 しかし牙がこの世のものとは思えない鋭さだった。……そう、この世のものじゃない。

 パンダの悪霊は本当にいたのだ。きっと今までささみくれ幽霊がいたから出てこれなかったんだろう。


「師匠!」

「なにを――」


 パンダの悪霊は師匠の真後ろに現れたため、完全に死角になっている。


 思わず師匠を突き飛ばすと一閃したパンダの悪霊の爪が私の袖を裂いた。

 爪に引っ掛かったそれを引っ張り寄せられ、牙が目前に迫ったところで師匠がナックルを嵌めた手でパンダの悪霊を殴り倒す。

 ただの物理攻撃に見えるが、用途に応じて術の発動する刻印が入ったマジックナックルだ。


 術で自由を奪われたパンダの悪霊はまるで縄で捕縛されたかのように体を強張らせ、その際に見せた隙はとても大きなものだった。

 師匠は先ほどとは逆の手、右手でパンダの悪霊を殴るつける。

 右手のナックルは――元々パンダの悪霊を封じるための魔法を込めてきたものだ。


 それを見事なほど顔面に受けたパンダの悪霊はそれでもなお師匠の手に噛みつこうとしたが、しゅるしゅると体が縮んでナックルの中へと吸い込まれていく。

 師匠はベストの汚れを払うと「終わり」とだけ言った。


 すっくとした立ち姿はまさに退魔師そのもの。

 やはり、そう、退魔師としては最高なのだ。性格が最悪なだけで。


「ふふん、お前がささみの代わりになるとはな!」

「囮っていうんですよ、そういうのは……!」

「自分から飛び込んで行ったのはそっちだろう?」


 そう言いつつ師匠は私のウエストポーチから勝手に包帯を取り出して腕に巻いた。

 私の腕に、だ。麻痺していたが先ほどの一戦で血が垂れていた。


「浅いが帰ったら病院に行っておけ、腹の方もな」

「え、優しい。こわ……」

「なぁにを言う! 俺様はお前の暴言に本気で怒らない優しい師匠だろう?」


 暴言を言わせているのはそっちのせいなのだけれど、師匠は随分と得意げにしている。

 ……。

 ん? あれ?


「今自分で師匠って言って――」

「それにお前が死んだら特大の悪霊になって襲ってきそうだからな!」


 クソデカ余計な一言で邪魔された!


 うっかりなのか本気なのかわからないけれど、とりあえずこの人から学ぶことはまだありそうだ。

 手を貸してくれる気がまったくないのか、この後負傷したまま自力で下山する上に恐らく病院代も出ないが。

 ……一応、他のツテ探しは引き続き頑張ろう。


 けれど、田舎のお母さん。

 私が岳見開房の弟子をやめるのは、もう少しだけ先になりそうです。

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