想いを返す日~ホワイトデー~

高鍋渡

そのキャンディは――

 三月十四日。毎年この季節になると思い出す。中学生の頃の恋の話。


「来週バレンタインだけど、チョコ作ってこようか?」


 彼女は何気なく僕にそんなことを聞いてきた。


「え? う、うん。もらえたら嬉しい……」


 バレンタインにチョコなんて生まれてこの方もらったことがなかった僕は、驚きとか緊張とか興奮とか色々な感情が混ざり合ってかなり可笑しな様子で答えてしまった。


「うん」と言いながら微笑む彼女の可愛らしい顔を直視することはできなかった。





 彼女とは中学二年生になるときのクラス替えで同じクラスになって知り合った。


 だがそれより前に僕は彼女のことを知っていた。


 きっかけは一年生の頃に職業について調べてクラスで発表するという授業だ。各クラスで選ばれた代表者が学年全体の前で発表することになり、僕はその代表者に選ばれ、代表者が集められた教室で彼女の姿を初めて見かけた。僕は教室の後ろの方に座っていて、彼女は二つくらい隣の列の前の方に座っていた。


 最初は気にも留めなかった。でも担当の先生が発表会の説明用の資料プリントを配り始めた時、僕は見てしまったのだ。


 彼女が先生からプリントを受け取る時に頭を下げているところ、真後ろの人にプリントを回す時に椅子の上でぎりぎりまで体を後ろ向きにして、両手でプリントを持って「どうぞ」と声をかけながら渡しているところを。


 その丁寧な所作が、控えめな微笑みが、僕の心を揺らした。


 肩にかかるかかからないくらいの綺麗な黒髪、細くて小さな背中、たまに見える横顔、自己紹介をする清らかな声、彼女の書いた発表資料の綺麗な字、その全てが愛おしかった。





 二年生で同じクラスになったのは奇跡だと思った。


 僕は中学生になってから身長が一気に伸び、体格も良くなった。一年生の頃はよく周りから「肩幅広いね」と言われることが増えた。別にけなされているわけではないのでコンプレックスではなかったが、どう反応すればいいか分からないので面倒くさいとは思っていた。


 二年生になって何日か過ぎた頃、彼女が「肩幅が広い人が好み」と言っているのを小耳にはさんだ。もしかしたら可能性があるのではないかと思って、もっと彼女のことを意識するようになった。


 ある日体育館で集会が行われ、出席場番号順に並ぶことになった。僕らの中学校では男子が先で女子が後の順になっていて、僕が男子の最後、彼女が女子の最初だったから僕と彼女は前後に並ぶことになった。


 集会が終わって体育館を出る際、生徒数に対して出入り口が少ないことから、並んだまま待機しなければならない時間があった。


 後ろに彼女がいると分かっていながらも話しかける勇気がない僕が、前を見たままぼーっとしていると、両肩に人の手が触れる感触があった。


「肩幅広いね」


「よく言われるよ」


 もっと気の利いたことを言ったり、話題を広げればいいのにと今になって思うが、ともかくこの時から僕は自分の体格の良さに自信を持つようになった。





 真面目さと茶目っ気を併せ持つ彼女に恋をした。


 少しずつ少しずつ、彼女と仲良くなった。


 一年生の一番最初のテストでは彼女の方が順位が上だったことを知った。彼女はちょっと得意気だった。


 二人とも兄がいることを知った。僕には四つ上、彼女には二つ上。


 誕生日が同じ月であることを知った。星座は違った。


 血液型は同じA型のRh−アールエイチマイナスであることを知った。何かあったら輸血し合おうと誓った。


 僕が生徒会役員選挙に出ることが決まり、誰に頼むか悩みながらクラスの友人に応援演説を頼んだ時「言ってくれればやったのに」と言われた。


 気づくと彼女を目で追っていた。目が合うことは多かった気がする。


 彼女には小学生の頃好きな人がいて今も同じ中学校であることを風の噂で知った。


 僕も小学生の頃好きな女の子はいた。けれど中学生になった時にはすっかり忘れていた。それと同じようなものだったらいいなと思いつつも、その人の名前を聞くたびに、顔を見るたびに胸がざわついた。その人と彼女が話しているところは見たことがない。


 彼女のことを好きな男子は同じクラスの中にも数人いることは気がついていた。


 きっと彼らも僕が彼女のことを好きなことには気がついていただろう。

 




 三年生になる時にないと思っていたクラス替えがあることとか、修学旅行の班が別々になることとか、運命に嫌われているんだなと思っていた時、彼女に「チョコを作ってこようか?」と聞かれた。


 僕はその意図が分からなかった。彼女の気持ちが今どこに向いているのか、彼女は僕のことをどう思っているのか、知りたかった。


 聞く勇気はなかった。


 



 生まれて初めてもらったバレンタインデーのチョコ。お礼を言う前に彼女は去ってしまった。


 お礼を言いたかった。でも、次の日もその次の日も照れくささと心の中のもやもやと、僕自身の臆病さのせいで、言えなかった。


 気持ちを悟られたくなくて、必死でいつも通りを装った。うまくできていたかは分からない。





 三月になると、お返し、ホワイトデーを意識するようになった。


 彼女は「お返しちょうだい」なんて一言も言ってこなかったが、お返しをしないのはありえなかった。でも今までバレンタインデーにチョコをもらった経験がなかったということは、お返しをした経験もないということで、途方に暮れた。


 僕は生まれて初めて母親に恋愛相談をした。


 母親は彼女がどんな子なのか詳しく聞いて、僕の気持ちを聞いて、キャンディを渡すように言った。僕はその意味を知らないまま、母親と一緒に買い物に行って彼女が好きだったキャラクターが描かれた箱に入ったキャンディを買って、贈り物用に包装してもらった。

 

 それから三月十四日までの記憶はほとんどない。どうやって渡すか、それだけを考えていた。





 そして三月十四日、ホワイトデー当日。


 僕は彼女に声をかけることができなかった。臆病さが勝ってしまったのだ。


 もしも過去に戻ることができるのなら、僕はこの日に戻って彼女に声をかけ、お返しを渡して気持ちを伝えるだろう。もし駄目でも、それはそれで良い思い出になったと今なら思える。



 その日の放課後、クラスメイトたちは部活に行ってしまい、教室には僕が一人残った。僕も部活があったのだが、このまま行くわけにはいかなかった。


 やがて教室には吹奏楽部の部員たちが入ってくる。いつもは部活に行っているから知らなかったが、教室でパートごとに練習していたらしい。


 僕はその中で何をするでもなく、一時間程度ただ自分の席に座っていた。何も考えていなかったわけではない。彼女も吹奏楽部だったからもしかしたら教室に来るかもしれないと思っていた。


 真面目な彼女が一時間も遅れてパート練習に来るはずなんてないことは分かっていた。彼女は別の教室で練習していると諦めと納得をしていた時、一人の女子生徒が教室に入ってきた。


 僕の隣の机の中から「忘れ物した」と言いながらクリアファイルのようなものを取り出してから「何してるの?」と僕に尋ねた。


 彼女と同じ吹奏楽部で、彼女とクラスで一番仲が良かった子だった。


 僕はやっと勇気を出すことができた。


「ちょっと……いいかな?」


 その子を吹奏楽部員が数人いる教室から、誰もいない廊下へ連れ出した。鞄も一緒に持って行く。


「これ、渡して欲しいんだ……」


 僕は鞄の中から綺麗に包装されたキャンディが入った箱をその子に見せた。


 その子は彼女の名前を言った。


 僕は頷いた。


「いいよ。まかせて」


 ほっとした。でも、自己嫌悪に陥った。


 彼女は僕に声をかけて放課後に約束し、直接渡してくれた。


 僕は何をしているのだろうか。情けない。意気地なし。臆病者。

 




 翌日、教室で彼女と会うなり声をかけられた。


「昨日はありがと」


 そう言って微笑む彼女に対し、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。





 修学旅行はそれから一ヶ月と一週間後。




 社会人になった今でも、毎年この季節になると思い出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

想いを返す日~ホワイトデー~ 高鍋渡 @takanabew

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画