ささくれ
夢月七海
ささくれ
右の小指に、ささくれが出来ていた。皺だらけの指でも、妙に目立つそれを、ピッと剥いてしまう。
取れたささくれの根元から、僅かな血が出る。躊躇なく小指を口に含むと、分からない程度に血の味がして、私の心は、五十年前に帰っていく――
片田舎の生家の私の部屋には窓があり、その前がバス停だった。いつも、バスがギシギシ言いながら通るのがうるさかった。
中学生の私は、朝一番のバスに乗る隣町の高校の少年に、初めての恋をした。話しかける勇気もなく、バスを待つあの人の背中を、窓からこっそり覗いていた。
帰宅時間が異なるのか、朝だけがあの人を見れるチャンスだった。
窓とカーテンの間に顔を入れて、パリッとした制服の背中を見つめる……そんなことばかりしていたので、今では、彼の顔すら思い出せない。
凍えるような寒い朝のこと。あの人の隣に、一人の制服の女の子が立っていた。
偶然一緒になったのだろうか。そんな、淡い期待を掻き混ぜるかのように、彼女は親しげに、あの人に話しかける。二人が笑う、窓越しでも、そんな気配がした。
一方通行極まる恋だったのに、彼を取られてしまったかのような悲しみに落ちる私の前で、彼女があの人の左手を取った。
自分の右手に、あの人の左手を乗せた彼女は、左手であの人の指を摘まんでいた。ささくれを取ったのだと、瞬時に分かった。
そのまま彼女は、あの人の指を咥えた。直後、ちらりとこちらを見た。
私は、カーテンの下に頭を引っ込めて、彼女と目が合ったのは一瞬だった。ただ、彼女の横顔だけは、はっきりと覚えている。
あまりに美しかった。朝日を浴びて、芸術品のように完璧で、嫉妬心すら湧かなかった。この鼓動は、失恋の痛みとは違っていた。
あれから、あの人を見るのを辞めた。彼女とはどういう関係か分からないけれど、介入してはいけない気がして。
——五十年後の私は、自分の血の味を感じる。
彼女が舐めたのも、これと同じ血の味だったのだろうか。
ささくれ 夢月七海 @yumetuki-773
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