エピローグ ~『宝石の謎』~


 夕暮れの柔らかな光が街の石畳を温かく照らす中、琳華りんふぁと天翔は馬車でゆっくりと街を走り抜けていた。


 窓から見える景色は、盗難事件からの解放を象徴するように平和な世界が広がっており、琳華りんふぁたちにとっては久しぶりの心からの安息となっていた。


「やっとすべてが解決したんだね」


 天翔の声には胸を撫で下ろすような安堵と、琳華りんふぁと共にいられる喜びが滲んでいた。


「天翔様たちの協力のおかげです」


 琳華りんふぁは心からの笑みを返す。事件の謎を解き明かしたことで、彼女の疑いは払拭された。それどころか推理により真実を見抜いたことで、琳華りんふぁの評判はさらに高まり、後宮内での存在感が一層強まる結果となった。


 馬車は馬蹄の音と車輪の軋む音を心地よく響かせながら、街の中心地へと向かっていく。琳華りんふぁは対面に座る天翔と視線を合わせ、彼の目の下に薄っすらとクマが浮かんでいることに気づく。


「寝不足ですか?」


 琳華りんふぁが優しげに訊ねると、天翔はその質問に照れながら答える。


琳華りんふぁとの外出が楽しみでね。昨夜は、あまり眠れなかったんだ」

「ふふ、私もです。一緒に出かけられる日を待ち遠しく思っていました」


 その声は温かみを帯びていて、車内の空気を更に和やかにしていく。時間もゆっくりと流れ、外に広がる景色の変化に二人の会話は盛り上がっていった。


 しかし風に流される雲が琳華りんふぁの目に留まったことで、事件の首謀者である桃梨とうりの人生も今後どのように流れるのかという重たい考えが頭をよぎってしまう。そんな彼女の不安を見抜いたのか、天翔は優しく問いかける。


「何か心配事でもあるのかい?」

桃梨とうり様について気になりまして……自業自得ではありますが、宝物殿での悪行を白日の下に晒したのは私ですから」


 間違ったことはしていないと胸を張れるが、その結果がどのような結末を生んだのか。気にならないと言えば嘘になる。


 天翔は少し考える素振りを見せた後、言葉を選びながら答える。


「後宮の秩序を守るためにも無罪放免とはいかないだろうね。なにせ宝物品のほとんどを盗み出したわけだからね」


 偽物とすり替えられていなかった宝物は数えるほどしかなかったと、天翔は補足する。想定していたことではあるが、後宮の莫大な財が失われたと知った琳華りんふぁは、驚きよりも先に疑問を抱いた。


「売ったお金は一体どうなったのでしょうか……」


 金は使って初めて意味を成す。リスクを背負ってまで大金を欲した理由があるはずなのだ。


「本人は私欲を満たすために使ったと主張しているね。ただ宝物品の価格を考えると、使い切れるはずがないし、彼女の自室からも金品は見つかっていない」

「……尋問ではなんと?」

「厳しい追求を繰り返しているが、口を割る気配がないそうだ。真実を明らかにするのは困難を極めるだろうね」

「そうですか……今回の事件は、他国への密売ルートまで確立されていました。あそこまで大掛かりな仕掛けですから。もしかすると背後に組織がいたのかもしれませんね」

「組織か……」


 天翔が静かに呟くと、琳華りんふぁの意見に納得したのか小さく頷く。


「単独での犯行より信憑性があるかもね」

「宝物を盗んで得た資金の行方も、組織に吸い上げられたなら納得できますからね」


 桃梨とうりは組織に従っていただけで、ただの実行犯でしかなかったとしたら。その考えは琳華りんふぁに新たな閃きを与える。


「もしかしたら首謀者は……いえ、証拠がありませんね……」


 その閃きは一歩間違えると根拠のない中傷になってしまう。思い留まった琳華りんふぁは言葉を引っ込めようとするが、天翔は首を横に振る。


「この場には二人しかいないんだ。思う存分に推理を聞かせて欲しい。ただの憶測であっても、君の意見は貴重だからね」


 天翔に背中を押される。琳華りんふぁは一瞬だけ躊躇うものの、もしかしたら真実の解明に役立てるかもしれないと考えを改め、ゆっくりと口を開く。


「宝物を盗んだ組織の首領は桂華けいか様かもしれません……」

「人選としては十分にありえるね。桂華けいかは四大女官の中でも特に秀でた力を持っている。隣国との人脈も豊富だろうし、組織運営能力も高い。それに何より桃梨とうりの上司でもある」


 桃梨とうりは資金の行先について口を割らず、裏に組織がいたとも認めていない。もし誰かを庇っているなら、それは彼女が忠誠心を抱いている人物ということになる。


 後宮は人の出入りが制限される場所だ。接する機会の少ない人物に罪を背負うほどの尊敬を抱くとも思えないため、派閥の長である桂華けいかは最も疑わしいといえた。


「ただそれほどの忠誠心を抱くに至った経緯は気になるね」


 天翔の疑問に対する答えを、琳華りんふぁは持っていた。深く頷くと、思い出すように虚空を見つめる。


「推理の一環で翠玲すいれん様が桃梨とうり様の情報を調べてくれたことを覚えていますか?」


 天翔は小さく頷く。


 文書管理課に所属している翠玲すいれんは女官の人事情報にアクセスできる。そのため、桃梨とうりの生い立ちについても調べてくれていたのだ。


 その結果、事件解決の直接的な手掛かりには繋がらなかったが、桃梨とうり桂華けいかの関係性については読み取ることができた。


桃梨とうり様は特産品である陶器を販売する商家の出自でした。手作りの精巧なデザインで知られる陶器は、他国の訪問客からも需要が高く、裕福な暮らしをしていたそうです」


 順風満帆な人生を送っていた桃梨とうり。だがその安寧はいつまでも続かなかった。


桃梨とうり様が十歳の頃、輝かしい人生に暗雲が立ち込めます。安価な模造品が広まり、本物の陶器の価値を脅かし始めたのです……桃梨とうり様の家業は大きな打撃を受け、経営破綻の危機に瀕してしまいました」

「話が読めたよ。その危機を救ったのが桂華けいかなんだね?」

「ご明察の通りです。桂華けいか様は資金を援助しました。さらに模造品の流通を規制する法律を制定するために、宰相様との橋渡し役も務めたそうです。その結果、模造品の流通が制限され、市場は安定しました。本物の陶器の価値が再認識され、家業は繁栄を取り戻したそうです」


 この出来事こそが、桃梨とうり桂華けいかに対して深い忠誠心を抱くようになった経緯だった。


桂華けいか様はその忠誠心を利用するため、桃梨とうり様を後宮に招き、宝物殿での職に推薦しました。きっとここから宝物のすり替えが始まったのでしょう。なにせ桂華けいか様が上級女官に昇格したタイミングとピッタリ重なりますから」


 宝物を盗んで生み出した資金は、桂華けいかが権力を得るために利用されたのだろう。金の使い道は多様だ。有力者たちを買収し、自身の意向を後宮の内政に反映させることや、優秀な人間を自分の派閥に取り込むこともできる。そうやって桂華けいかは出世の道を駆け上ったのだ。


「莫大な資金は桂華けいか様の権威を拡大し、隣国の商人まで巻き込んだ大規模な組織へと成長していきました……これが私の仮説です」


 琳華りんふぁの推理を聞き終えた天翔は息を飲む。もし本当に桂華けいかがこのような大掛かりな計画を実行したのであれば、彼女は本物の怪物だ。驚愕するほどの計算高さや、戦略的な行動に実感が伴わない一方で、彼には心当たりもあった。


「その仮説はもしかしたら正しいかもしれない。桂華けいかの金回りの良さは評判だったし、だからこそ四大女官の筆頭の地位にいるからね……しかもその立場は今回の事件でさらに強まろうとしている」

「弱まったの間違いではありませんか?」


 派閥に所属する部下が不祥事を起こしたのだ。普通は権威を衰えさせるはずだ。だが天翔は首を横に振る。


「部下の罪は上司の責任だとして、桂華けいか桃梨とうりの減刑を求めたんだ……その際、今回の被害額の十分の一に相当する大金を皇室に納めている。満額ではないが、それでも相当な金額になる。部下のために身銭を切った彼女に対し、周囲の評価は高まる結果となったんだ……」

「部下を守る義理堅い人格者として下からは人望を、皇室への貢献者として上からの賞賛を受けたわけですね」


 天翔は小さく頷く。桂華けいかからすれば、宝物殿から盗んだ金の十分の一で名誉が得られるなら安いものなのだろう。


 それに何より桃梨とうりに与える影響が大きい。身銭を切ってまで減刑を求めてくれた桂華けいかに対し、彼女はより大きな忠義を抱くだろう。ますます口を閉ざすはずだ。


 結果的には桂華けいかにとって理想的な状況となったのだ。そこまで思考が及んだ時、琳華りんふぁの頭に閃きが奔る。


「もしかして……ですが、まさか……」

「なにかに気づいたのかい?」

「突拍子もない話ですが、桂華けいか様は『私が宝石の謎を解く』と予想していたのかもしれません」

「どういうことだい?」


 天翔の疑問は当然だ。琳華りんふぁは深呼吸をした後、言葉を選びながら慎重に話を進める。


「始まりは慶命様が私を宝物殿の管理人として推薦したことでしょうね。そこから桂華けいか様は、近い将来、宝物殿の謎が解かれるに違いないと予想したのです」


 慶命の人を見る目に対する信頼もあったのだろう。彼がわざわざ送り込んでくるのだから、いつまでも宝物殿の謎を秘密にはしておけないと踏んだのだ。


「宝物品のほとんどを盗み終えた後ですから。役目を終えた宝物殿と、秘密を知る桃梨とうり様の存在は、もはやリスクでしかありません。桃梨とうり様を犠牲にして事件を解決させることが、桂華けいか様にとって最も合理的で最善の解決方法だったのです」


 天翔は思わず息を呑む。そんな中、琳華りんふぁは冷静さを保ちながら話を続ける。


「ただ罪を被せるのも簡単ではありません。桃梨とうり様が忠義を抱いていたとしても、理不尽に罪を着せられてはすべてを白状するかもしれませんから……だからこそ、桃梨とうり様自身の失敗という形に誘導したのです」


 主体的に桃梨とうりを行動させ、謎が解き明かされた失敗を自責させる。もし桂華けいかにそのような狙いがあったのなら、桃梨とうりの不可解な行動にも意味を見出せる。


 その最たる例が明軒による暗殺だ。


 人を殺傷するリスクは高く、誰もが引き受ける仕事ではない。一見すると、琳華りんふぁに恨みを持っていた明軒を下手人に選んだのは筋が通っているように思える。


 しかし保釈金を支払えば記録に残るため、疑いの目が向いてしまうことになる。その事実を教えずに、桂華けいか桃梨とうりを誘導したのだろう。


 結果、暗殺は失敗。明軒や用済みになった商人たちが口を割り、犯人が桃梨とうりであると証明する決定打となった。


「自分に非があると認めている状態で、恩人を裏切れないでしょう。さらに減刑を求め、庇われていますから。きっと今頃、桃梨とうり様は桂華けいか様に感謝しているでしょうね」

「……桂華けいかの冷酷さには寒気を覚えるね」


 天翔の声が僅かに沈む。重々しい雰囲気の中、琳華りんふぁは空気を変えるために口元に微笑みを浮かべる。


「これまでの話はあくまで仮説ですから。証拠もありませんし、桃梨とうり様が単独犯である可能性も残されています」


 現状、確実に言い切れるのは、桃梨とうりが実行犯であることだけだ。


「真相は闇の中……桂華けいかはこのまま野放しか……」

「そうはさせませんよ。今はまだ証拠はありませんが、本当に桂華けいか様が犯人なら、いつの日か真実を白日の元に晒してみせます」


 天翔は琳華りんふぁの決意に驚きながら、その強い心に敬意を表す。


琳華りんふぁのそういうところが僕を惹きつけるんだろうね」

「ふふ、天翔様がいてくれるからこそ、私も前を向けるのですよ」


 二人は互いの存在に感謝する。平穏な時間が過ぎていく中、馬車は広場でゆっくりと停止した。


「今夜はお祭りがあるんだ。少し寄っていこうか?」

「いいですね」


 琳華りんふぁたちは広場に降り立つと、石畳を歩き始める。


 赤い提灯と絹の幕で飾られた広場は、夕暮れの薄紅色の光によって柔らかく照らされている。影を落とした屋台の列からは香辛料や焼き物の香りが立ち込めていた。


「活気に満ちていますね」

「豊作祈願のお祭りだからね。神々への感謝を天に伝えるためにも盛大でないとね」


 豊かな収穫を祈るためか、屋台が提供している食べ物の種類も豊富だった。焼き餅や新鮮な果物、串焼きなどが売られ、行き交う人々を誘っている。


 そんな中、甘い香りが風に乗って広がり、琳華りんふぁの注意を引く。彼女の好物である桃饅頭が売られていたのだ。


 鮮やかな桃色の饅頭は、見た目も愛らしい。


 屋台主は生地を丁寧に整えながら、次々と蒸し器に並べていく。琳華りんふぁはその熟練した手つきを見て、ゴクリと固唾を飲んだ。


 その様子に気付いた天翔は、二つ欲しいと屋台主に注文する。蒸し器から取り出されたばかりの桃饅頭を、天翔は琳華りんふぁに手渡した。


「一緒に食べようか?」

「よろしいのですか?」

「僕から誘ったデートだからね」

「ふふ、ではお言葉に甘えますね」


 食欲を唆る甘い香りに、琳華の口元に自然と笑みが溢れる。一方、天翔は手元の桃饅頭を興味深げにジッと見つめていた。


「もしかして初めて食べるのですか?」

「恥ずかしながらね」

「ならきっと驚きますよ。どんなご馳走にも負けないほどに桃饅頭は美味ですから」


 論より証拠だと、琳華りんふぁはさっそく口にする。甘くて柔らかい餡が舌の上でとろけていった。


 琳華りんふぁはその味に感動しながら、桃饅頭を食べ進めていく。そんな彼女の様子を微笑ましげに見守りながら、天翔は自らも口に運ぶ。


「程よい甘さの餡が絶品だね」

「そうでしょうとも。なにせ私の大好物ですから」


 琳華りんふぁたちは桃饅頭を楽しみながら、他の屋台も巡る。子供たちの笑い声と、笛や太鼓の楽器音が交じり合い、祭りの雰囲気を盛り上げていく。


 夕暮れが深まり、星が現れ始める中、琳華りんふぁと天翔は色とりどりの宝石が並べられた屋台の前を通りがかる。


 宝石と呼べないほどの小粒で安価なものばかりだが、星の光を浴びてキラキラと輝いていた。屋台主は琳華りんふぁの興味を察したのか、親しげに声をかける。


「お祭りの記念にどうだい?」


 勧められるがまま、琳華りんふぁは一粒の石をジッと眺めていた。一見するとダイヤにも見えるが、その正体はモアッサナイトであり、偽物の宝石だった。


「それが気に入ったのかい?」


 天翔が問いかけると、琳華は素直に頷く。


「これはこれで綺麗ですから」


 それを聞いた天翔は、屋台主に代金を支払い、モアッサナイトを受け取る。彼女の目は、小さな宝石の輝きに引き寄せられるように天翔の手元に留まっていた。


「天翔様も宝石に興味があったのですか?」

「違うよ。これはデートの思い出に、僕から琳華りんふぁへの贈り物だ」


 天翔は手の中で光るモアッサナイトをそっと琳華りんふぁの掌に移す。彼女は一瞬戸惑いながらも、その宝石を受け取った。


「この宝石、大切にしますね」

「いずれは本物の宝石を渡す日も……いや、これは余計な一言だったね……」


 天翔は照れながらも自身の言葉を誤魔化すように笑みを零す。


 天翔の心の内に隠された感情が、愛なのか友情なのかはいまだベールに包まれている。ただどちらにしても、琳華りんふぁを大切に想う気持ちだけは本物だ。彼女は宝石に込められた感情を推理し、満足げに微笑むのだった。

---------------------------------------------------------------

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


これから第四章に向けて書き貯めをしますので、

完成しましたら一気に更新させていただきますので、少々、お待ちください


また面白ければで構わないので、

・作品フォローと、

・ページの下にある★★★で称えていただけると、

作者の励みになります!!


また作者のフォローをしていただけると新作通知が飛んでくるので、

是非よろしくお願いします!

https://kakuyomu.jp/users/zyougesayuu

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

後宮の宝石鑑定士は黙ってない! 上下左右 @zyougesayuu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ