第三章 ~『事件の真相』~


 明軒めいけんを警吏に引き渡した後、琳華りんふぁと天翔は後宮へと帰還する。馬車から降り立ち、庭園をゆっくりと歩く彼らの足音が石畳の上で静かに響く。


 陽光が木々の葉を通して美しい模様を描く中、時折、遠くから水のせせらぎが聞こえてくる。穏やかな空間に包まれながら、二人は今日の出来事を思い返していた。


明軒めいけんはこれからどうなるんだろうね?」

「殺人未遂ですからね。無罪にはなりません。ただ約束通り、減刑を申し込みましたから。三年もすれば出所できるでしょうね」


 琳華りんふぁの言葉を受け、天翔は表情に不安を滲ませる。


「彼は君を殺そうとしたんだよ。それなのに三年で出所しても、構わないのかい?」

「三年は短いようで長いです。特に明軒めいけん様は華やかな生活がお好きでしたから……そこから引き離され、労役を強いられる日々はきっと辛い毎日になるでしょう。お灸を据えるには十分な時間ですよ」


 牢獄での生活が苦しければ苦しいほど、再び投獄されることを恐れるはずだ。もう二度と罪を犯すような真似もしないだろう。


「それに主犯は桃梨とうり様ですから。同情の余地はありませんし、するつもりもありませんが、明軒めいけん様は利用されていただけです。私としては三年も反省してくれたなら、それで十分ですよ」


 婚約破棄や借金を押し付けられたことへの怒りと、今回、明軒めいけんが犯した罪は別の話だ。一番に責任を背負うべき人物は桃梨とうりであり、そのためにも真犯人が彼女だと追求する必要があった。


「天翔様、関係者の皆様を夕刻までに宝物殿に集めてもらえませんか?」

「とうとう謎を解くんだね」

「はい。事実を明らかにし、私の無実を証明します」


 琳華りんふぁの力強い言葉に、天翔は大きく頷く。彼は直ちに動き出し、宝物殿での集会を整えるための手配を開始する。


 一方、琳華りんふぁも謎解きの準備に取り掛かる。桃梨とうりの罪が明らかになるように、手筈を整えていく。


 こうして二人は各々の役割を果たし、時間が過ぎていった。夕日が沈む時刻となった頃、琳華りんふぁが宝物殿の扉を開けると、関係者一同が既に揃っていた。


 琳華りんふぁが宝物殿に足を踏み入れた瞬間、彼女の存在に気づいた全員の視線が一斉に集まる。天翔、慶命が期待と好奇心の交錯する表情で琳華りんふぁを迎え入れる中、桃梨とうりだけは驚愕で目を見開いていた。


桃梨とうり様は私が生きていることが不思議なようですね」

「そ、それは……」


 言い淀む桃梨とうりと、鋭い眼差しを向ける琳華りんふぁ。二人のやり取りに、反応を示したのは慶命だった。


「何かあったのか?」

「先ほど、明軒めいけん様に襲われまして……」

「大丈夫なのか!」


 慶命が驚きと心配の入り混じった声で訊ねる。


「私は無事でしたし、明軒めいけん様も逮捕済みです。それに、そのおかげで依頼主の名前を吐かせることもできました」

「それが桃梨とうりだと?」

明軒めいけん様はそう白状しました」


 琳華りんふぁの落ち着いた声が反響する。その言葉に室内の空気が重くなり、桃梨とうりの額に汗が浮かび始める。


「この場に私を呼び出したのも糾弾するためですわね……でも残念。私は依頼なんてしていませんわ」


 桃梨とうりは否定するが、疑念を晴らすには至らない。皆から向けられる疑いの眼差しが強まる中、それでも彼女は罪を認めようとはしなかった。


「ではなぜ保釈金を支払ったのですか?」

「それは……」


 言い逃れできないように事実から浮かんだ疑問を問いかける。監獄への訪問記録は残されているため、保釈金を支払っていないと嘘を吐くこともできない。桃梨とうりは必死に思考を巡らせ、釈明を口にする。


「か、彼が好みの男性だったからですわ」

「馬鹿げてますね。そのような理由で高額の保釈金を支払ったとでも?」

「それほどに魅力的でしたの」


 無理のある主張に呆れてしまうが、感情を理由にされては切り崩すことも難しい。追求を緩めないために、別の観点から問いを投げかける。


明軒めいけん様は桃梨とうり様から指示されたと仰っています。あれも嘘だと?」

「私に罪をなすりつけるために、そう主張しているだけですわ」

「あくまで認めないのですね?」

「証拠もありませんもの。当然ですわ」


 断固とした態度で疑いを否定する桃梨とうりは、逃げるように背を向ける。


「用件は済みましたわね。気分が悪いですし、私は帰らせてもらいますわ」

「まだ終わっていません」

「これ以上、何かありますの?」

「むしろ、ここからが話の本番です。オパールのネックレスが消えた事件、その謎が解けましたから」


 全員の注目が琳華りんふぁに集まる。そんな中、彼女はゆっくりと桃梨とうりを指差す。


「オパールのネックレス喪失事件……その犯人は桃梨とうり様ですね」


 場が静まり返るような言葉に緊張が奔る。だが桃梨とうりも簡単には認めない。震える声で反論する。


「私が犯人? 馬鹿馬鹿しいですわね。私がオパールを持ち出していないことは、琳華りんふぁも知っているはずですわよ」

「身体検査の件ですね?」

「それに鍵も琳華りんふぁに預けていましたわ。故に私に犯行は不可能。可能なのは慶命様を除けば、琳華りんふぁだけですわ」


 あくまで犯人は琳華りんふぁだと言い張る桃梨とうりだが、その反論は想定通りだった。琳華りんふぁは余裕のある態度を崩さない。


桃梨とうり様、密室の謎はすでに解けていますよ。あなたは水槽を利用したのですね」

「――――ッ」


 抑えきれずに声にならない声を漏らし、桃梨とうりの表情が一変する。そんな彼女に対して、琳華りんふぁは淡々と話を続ける。


「事件の日、あなたは部屋を出る際に水槽を持っていきましたね」

「水を変えるためですわ。その中身も確認しましたわよね?」

「ええ。硝子越しに確認しました……ですが、もし水槽にネックレスが隠されていたなら私は見つけることができません。なにせあのオパールは水に浸すと透明になる特性を持っていましたから」


 一部のオパールに見られる現象で、ハイドロフェン効果と呼ばれている。多孔質のオパールが水を吸収することで屈折率に変化が生じ、白から透明へと色を変えるのだ。桃梨とうりはその現象を利用し、身体検査をすり抜けたのである。


 宝物殿に驚愕のざわめきが広がり、桃梨とうりはその場で言葉を失う。その一方で、慶命と天翔は事件の真相が明らかになりつつあることに、期待の表情を浮かべていた。


「このトリックの肝は水が透明であることです。もし濁っていれば、細部まで調べていましたから。透明にして隠し事がないとアピールすることで、堂々と持ち出せたのです」


 水槽の中に手を入れればオパールの存在は確認できたが、そうしなかったのは、鏡越しに中身を確認できるほどに水が澄んでいたからだ。透明性で得られる信頼を桃梨とうりは逆に利用したのだ。


「そ、そんなもの、すべて推測ですわ。私がその方法で持ち出したと証明できますの?」

「できますよ」

「えっ――」

「オパールのネックレスを盗み出したとして、置き場所に困るはずです。部屋に隠しては見つかった時に言い逃れができませんし、第三者に簡単に見つかる場所でもいけませんから」

「…………」

「だから、あなたは井戸の底に沈めたのです。水で透明になれば、オパールは簡単に発見されませんから」


 琳華りんふぁは懐から盗まれたはずのオパールのネックレスを取り出す。これは天翔が皆を集めている間に、井戸の底から掬い上げたものだった。


 オパールの隠し場所が明らかになったことで、天翔は琳華りんふぁの言う証明の意味を理解し、納得したように頷いた。


「なるほどね。犯人が水で透明になる現象を利用してオパールを隠していたのなら、逆説的に犯人は、その現象を知っていたことになるわけだ」


 密室の謎が消え、水槽を利用した桃梨とうりに疑いの眼差しが向けられる。顔を青ざめる桃梨とうりだが、その心は折れていなかった。


「面白い話ですわね。それに説得力もありますわ」

「犯人だと認めてくれるのですか?」

「まさか。なにせ私には動機がありませんもの」


 人が行動するのには理由がある。罪を犯すなら、その事情を説明できなければ片手落ちだ。


「私が犯人だというなら動機を説明してくださいまし! まさか琳華りんふぁを陥れるためだけにオパールのネックレスを盗んだなんて言いませんわよね?」


 そんなリスクに見合わないことはしないと、桃梨とうりは言い切る。


「説明できないなら大人しく諦めて――」

「できますよ」

「え、う、嘘ですわ。なら説明してみなさいな」


 琳華りんふぁにとって動機の説明を求められることは想定の範囲内だ。不敵な笑みを浮かべながら、望み通りに解説する。


「実は私も動機の部分について大きく悩みました。オパールを盗んで売れば、きっと高く売れるでしょう。ですが中級女官の立場にある桃梨とうり様が人生を賭けるにはリスクが高すぎますし、それに何より明軒めいけん様の保釈金を支払っていたら、割に合わないでしょうから……」

「ほらみなさいな。私は無罪で決まりですわね」


 安堵を浮かべながら、桃梨とうりはそう主張するが、琳華りんふぁは首を横に振って否定する。


「いいえ、やはりあなたが犯人です。なぜなら、桃梨とうり様が得ようとした利益はもっと膨大で、オパールのネックレスだけに留まりませんから」


 琳華りんふぁの言葉に皆が驚く。そんな中、慶命は真っ先に勘づいたのか、周囲を見渡して、額に汗を浮かべる。


「まさか……」

「論より証拠です。宝物品を一緒に検品してみましょう」


 目録の中から宝石に関わる品を選んで、皆と一緒に移動する。琳華りんふぁが選んだのは台座に立てられた純金の剣で、ダイヤモンドが散りばめられていた。


 宝物殿の中でも一際目を引く逸品で、剣の柄には精緻な模様が彫られている。実用的なものではなく、権力の象徴として製作されたものだった。


「この剣ですが、おかしいとは思いませんか?」

「儂の目には、ただの絢爛な剣に見えるが……どこが変なのだ?」

「散りばめられたダイヤモンドです。輝きが弱く、とても宝物に使用されるような代物ではありません」


 宝物殿に収められる品であるならば、最高級の素材が使用されているはずだ。琳華りんふぁの店でも扱わないような等級の低いダイヤが散りばめられているはずがないのだ。


「この剣が偽物……まだ実感が沸かんな……」

「なら手にしてみるのはどうかな?」


 天翔が慶命を促す。宝物に触れることを躊躇いながらも、慶命は恐る恐る剣を握り、軽々と持ち上げる。


「純金の重さではないな」

「やっぱりね。ダイヤモンドが偽物なら、この剣の黄金もメッキに変わっていると思ったよ」


 金属の光沢だけ真似できても、その重量までは偽造できない。慶命が剣を静かに台座に戻すと、琳華りんふぁは推理を続ける。


「この純金の剣は私が無作為に選んだものです。きっと他にもすり替わっている品があるでしょう。そしてこれこそが、今回の事件の動機でした」


 桃梨とうりはオパールのネックレスだけが欲しかったわけではない。彼女の狙いは宝物殿に眠る品すべてを手に入れることだった。


「最初から説明しましょう。宝物殿の財宝を盗み出していた桃梨とうり様は、贋作品を用意して誤魔化していました。しかし素人ならともかく、鑑定の知識がある者なら見破られるかもしれない。だからこそ、桃梨とうり様は私を仲間にスカウトしたのです」


 優秀と評判だからというのはただの建前で、本当は不正に取り込むために自分の派閥へと誘ったのだ。


「なるほど、ありえるな」


 慶命は心当たりがあったのか反応を示す。


「宝物殿の新しい管理人に琳華りんふぁを推薦するため、上層部には事前に話を通していたからな。そして、その場には桂華けいかもいた。琳華りんふぁが後釜になると事前に知っていたのだ」


 状況証拠が積み重なっていく中、琳華りんふぁは結論付けるように話を続ける。


「ただ私はスカウトを断りました。このままでは検品で不正が明らかになるのは時間の問題です。だから桃梨とうり様は水槽のトリックを利用して、私に罪を被せようとしたのです。これがこの事件の全貌です」


 琳華りんふぁの推理に桃梨とうりは反論もできずに立ち尽くしていた。静寂が広がっていくと、それを打ち壊すように慶命は拍手を送る。


「さすが琳華りんふぁ。見事な推理だ」

「ありがとうございます」

「だがどうして宝物が偽物と入れ替わっていると見抜けたのだ?」

「以前、慶命様に紹介していただいたホワイトサファイアのおかげですよ」

「あの偽物かっ!」

「はい、ですが、贈り物にわざわざ偽物を渡す必要はありませんから。渡した瞬間は本物で、宝物殿の内部ですり替えられたのだと気づけたのです」


 その仮説を証明したのが、骨董品店主の証言だったのだ。


琳華りんふぁがいなければ、この悪事が今でも続いていたのか……だが始まりはいつからだ?」

「少なくとも二代前の管理人の時点で行われていたはずです。同じ動機、同じトリックで冤罪を着せたのでしょうから」


 二代前の捕まった管理人は最後まで無罪を主張していた。その主張は正しく、桃梨とうりに罪を着せられた被害者だったのだ。


「なら行方不明の先代管理人も冤罪を着せられたのか?」

「そちらは勤務歴が長いですから。私の予想ではおそらく共犯でしょうね。ただある日、罪の意識に耐えられなくなり、自首しようとしたのだと思われます」

「なるほど。だから遺書を偽装し、口封じのために行方不明という扱いで始末したのか」


 冤罪を着せて投獄させる方法では、宝物殿の秘密を暴露されてしまう。だからこそ先代の管理人は行方不明という形で処理したのだ。


桃梨とうり様、ここまで証拠が揃っているのです。罪を認めてくれませんか?」


 桃梨とうりは黙り込むばかりで反論しようとしない。琳華りんふぁはそんな彼女に自白を促すため、とっておきの切り札を提示する。


桃梨とうり様、この犯行はあなた一人ではできませんよね?」


 問いを受け、桃梨とうりに緊張が奔る。ガタガタと身体を震わせる彼女に、琳華りんふぁは話を続ける。


「宝物殿の品を盗んだとして、問題なのはその売却先です。国内で捌けば、足が付きますから。信頼できる商人に外国で販売させる必要があります」


 琳華りんふぁは真相へ近づいていく。そのたびに、桃梨とうりの震えは増していった。


「ただ外国との強い繋がりを持つ商人は多くありません。明軒めいけん様を国外脱出させるために手配した者と盗品を捌く商人は同一人物でしょう。ですが、これが仇となりましたね。明軒めいけん様は洗いざらいを白状しましたから」


 明軒めいけんは自己利益を優先する人間だ。保釈金を支払ってくれた恩人でも平気で裏切るため、減刑を餌に、どこで商人と落ち合う予定だったかを聞き出していたのだ。


 その場所に警吏が向かい、すでに捕まえている頃だろう。尋問を受ければ、桃梨とうりが仲間だったと自白するのも時間の問題だ。


「改めて聞きます。罪を認めてくれませんか?」


 琳華りんふぁが優しげに問いかけると、桃梨とうりは膝を折って涙を流す。自白したに等しい反応に、天翔たちは安堵する。


「これで琳華りんふぁが冤罪だったと証明できるね」

「天翔様たちに助けて頂いたおかげです」


 仲間の協力があったからこそ、謎が解けたのだ。改めて心のなかで皆に感謝を伝えるのだった。

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