1時間前に起きたことーお酒のツマミ

MERO

3人の受難

「かんぱーい」

 おっさん四人でお互いの缶ビールを盛大に当てて乾杯の音頭を取った。


「福島さん、山口さん、この一杯、美味しいですね」

 白髪交じりの熊本は二人に声をかけた。

 呼ばれた二人はお互いを見合って一口飲んで言った。


「生き返るな」


 ほんの1時間前までいがみ合っていたのに、今、三人は幸せに浸っている。


 ◇ ◇ ◇


 今日、とある山奥の作家の家に行く予定で集まった出版社の編集者の山口と、イラストレーターの福島、そして車の運転手の熊本は熊本自身が運転する軽自動車に乗って作家の家を目指していた。


「とにかく辺鄙な所に住んでる作家さんで性格も偏屈で、困りますね」


 そう言ったのは出版社の編集である山口だ。

 

「確かにこんな山の上に住んでいるとは思いもよりませんでしたよ……」

 

 大柄ですぐに汗が出る福島は額の汗を取りながら答えた。


「いやもう僕、実は閉所高所恐怖症で早く到着してほしいです」


「そんな身体で子供みたいなこと言われても……。熊本さん、あとどれくらいで着きます?」


 山口は前の席にでんと座る福島を見ながら、運転席の熊本に話しかけた。


「そうですね――車はないですけど、こんな道ですしね……」


 道行く道は山道の崖でガードレールがない。ひたすら車はそんな道を上っていくが、熊本はスピードを出さずに慎重に車を運転しているようだった。


「それで山口さんはその作家さんに会うのは初めてなんですか?」

 運転しながら熊本が細身の山口に声をかけた。


「そうなんですよ――。今までは電話とFAXのやりとりをしてたんですがね、新作がなかなか上がらなくてどうにもお願いしますと言ったら、会いにこいって」


「イラストレーターの方は何で来たのですか?」


「それも作家さんからの意向でして……。なんといっても相手は部数が万超える作家さんなんでこちらもそれなりの対応をしろって上がいうんで……」


「ほんとこんな場所だって知ってたら来ませんでしたよ……」


「私だってそうですよ。だから二人には言わずに来てもらったんです」


「それ、騙してるじゃないですか? 車自体が狭くて息苦しい上に、窓を見るのも嫌なんですけど……」

「しかも山を上る仕様の車じゃないですよね……」


 福島、山口は口々に愚痴り合った。


 ――俺だって、場所を聞いていたらレンタカーの車種変えたんだがな。

 1人、熊本は心の中で毒づいた。

 

「まぁ、でも熊本さんが福島さんを知っているとは……。案外に福島さんも売れ始めました?」


 山口は聞いた。聞かれた福島はちょっとにやりとしながら言った。


「ええ、そうなんですと言いたい所なんですが、実は……親戚なんです」


 山口はびっくりして声を上げた。

「そうなんですか! すごい偶然ですね」


「いやーほんとに僕もびっくりしましたよ。山口さんは学生時代の友人でしたっけ?」


「そうなんですよ。仕事ないというから勝手に僕のポケットマネーで運転手やってもらってます、な、くま」


「今は熊本、で。いちおう仕事とそれ以外の区別したいから」


「はいはい、わかりましたよ。それにしても、ちょっとした小旅行になったから親戚でほんとよかったです」


「どうなんでしょうかね。熊本さんと会ったの子供の頃の記憶しかありません。熊本さんは覚えてます?」


 熊本はまだ毒づいた。

 ――優等生で表裏が激しい福島と、出来損ないの実直な俺。親戚の家で一緒にイタズラしたのに怒られたは俺だけだったな……。


「福島さんは頭がよかったですよね、成績がオール優じゃなかったですか?」

 

 山口は熊本の言葉を聞いて、少し驚いた様子であごに手を置いて小さく「へぇー」と言った。


「ええ、学生時代の勉強はね。今はしがないイラストレーター」


 福島はまたニヤリと笑って言った。

 その上に、山口が被せて話す。


「先生からのご指名ですから、そんなことないですよ」


「いえいえ、それにしても時期的にもう少し早くお願いしてほしかったんですけどねー」

 

「すみません、イラストレーターの交代がありましてね」


 山口は福島に謝った。

 そこから福島は山口の話に食いついて、2人は交互に話し出した。

 

「な、なんですか? その話?」


「いやーあの、まぁまぁ……その話はいいんですよ」


「よくないでしょう? 山口さん、さっきご指名と言ってましたけど、前の人と何か揉めたんじゃないんですか?」


「あっ……単に絵を先生が気に入らなかっただけで数枚書き換えていただければいいんです」 


「す、数枚っ!? なんか約束と違くないですか?」


「話は違うかもしれませんけど、支払う予定の金額は変わりませんから!」


 車内の前後で二人の声が大きくなっていき、熊本が声を出した。

 

「ちょっと!」


 しかし、そんな言葉に対して福島がぐいっと身を乗り出して「ほんとに支払われるんでしょうね?」と強く抗議した。


「動かないで!」 


 熊本の声は福島に届かないと思った所で、前からちょうどバイクらしきものが反対車線にすごい勢いで飛び込んできた。

 瞬間、運転席の熊本はハンドルを反対側に切り、さらに急ブレーキを踏む。


「うわっっっ」

「なんだぁ」

 

 その瞬間、車は宙に浮き、前のめりに一回転した。


 ◇ ◇ ◇


「いてぇ」


 ゆっくりと熊本は目を開いた。

 そこには後ろに福島、前に山口の順で熊本はシートベルトが外れて前の座席と座席の間に挟まっていた。

 福島も起きたらしく、少し体を起こそうとすると、車はガタッと大きく傾いた。


「なんなんだ?……!?」


 小柄な山口はそっと周りを素早く確認し、「これは……ヤバイ」と小さく呟いた。

 その言葉を受けて熊本もおそるおそる周りを確認した。

 熊本の顔色は一瞬で白くなった。そこでさっと動こうとする福島に手をあてて動くなと制止した。

 

「熊本……さん?」


「福島さん……いいですか、とりあえず動かないでください。……落ち着いて聞いてください。この車、崖に落ちそうになってます……」 


「え”」


「我々は一歩間違ったら崖から落ちるんだよ」


 急に冷静で静かに、ただ現実的な言葉を放った山口に、福島が上半身だけを山口のいる方向に動こうとした。


「福島さん! 動かないでくれないか!!」


 山口が悲痛な声を上げる。


「おいっ、山口。お前がここに連れてこなければ、こんなことになってない」


「何言ってんだよ! 福島さんがイラストの話で動いたから、こんなことになったんじゃないのか」


 山口と福島の二人の口論を熊本は冷や汗をかきながら見ていた。

 というかこの車は三人が絶妙なバランスを取って崖にむけて傾きを抑えているような状態になっていて、真ん中の熊本が車体のぐらつきを感で察知して調整してなんとか今の状態を保っていたから、彼は話半分で聞いていた。


「あのなぁーーー、山口、ふざけんなよっ。金額だけで受けたわけじゃないっ。納期も厳しいのに、受けたのはな、久々に名前が世に出る作品書きたいっていう夢をさっ、叶えたくてこっちはOKしたんだぞっ」


「そんなのあなたの自分勝手な理由じゃないですか! こっちだってね、久々に先生に新作書いてもらおうと必死にやってるんだよ」


 2人ともがお互いの事情を勢いよく説明し始めた。


「自分勝手だと、お前だって自分勝手じゃないか。熊本、こんな口の悪い奴の運転手してて大変だなっ」


「なんですって? 熊本さん、あなた血縁なんですよね? この状況で文句言う血があなたにも流れているっていうのどうなんですか?」


 ――こんな所でケンカするなよ。はっきり言って、2人ともどっちもどっちだよ。人を巻き込まないでくれ。俺だって言いたいことはあるがな、今はそれ所じゃないだろ?


 車体は少しずつ傾いている。

 熊本はその些細な感触から、背中に一筋の汗が流れた。

 その時、フロントに打ち上げられた福島の平たいバックからキラッとスマホが熊本の目に入った。

 

 ――まだ崖に落ちたわけじゃない。あのスマホがあれば……。でもこの状態だとあと少し動けば三人一緒に崖下だ。この二人のささくれてる感情をどうにか……しなければ……。


 熊本は山口に声をかけた。


「あ…の、山口さん。こんな所で話す話じゃないですけど、この準備で確か1年ぐらいかかってましたよね? すごい作家の担当になったって喜んでましたよね? ここ出て成功させましょうよ、本の出版!」


 山口は熊本の言葉に頭上に「?」を浮かべたが、崖から落ちるイメージしか持ってなかった自分を振り返り、まだ崖から落ちてないと我に返った。


「お、そ、そうなんだよ」


「福島……さんはイラストレーターで食べていくって厳しいの知っててこの世界入りましたよね? 親戚として夢持って生きてるのすごいと思ってましたよ。あの、ここ出て叶えましょうよ、その夢。この先にそれが待ってるんじゃないですか? 先生に言いましょう!」 


 福島は自分がさっき話した夢を今、まさに叶える一歩手前にいることを思い出した。


 そんな2人の様子を見て、熊本は安堵した。とすれば、やることは1つだ。


 ◇ ◇ ◇


「それで助けが来るまで耐えたってドラマみたいな話が出来上がったと」

 作家がふむふむと頷いて、ビールを飲みながら三人に言った。


「先生、先生の作品はすごいと思いますけどね、現実は小説より奇なりって思いましたよ」

 山口はそう言い、続けて福島が「生きてればイラストいくらでもかけるなって、俺も思いました」と体を大きく張って答えた。


「私が一番気になってるのは、熊本さんの心情ですけどねぇ」

 作家は静かに言った。


 三人が熊本を凝視した。

 熊本は周りの視線を気にせずに、ひたすらビールを飲みながら心の中で呟いた。


 ――大それた考えは何もないよ。こうやって一杯飲めれば俺は何でもいいよ。

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