第31話 王立絶版魔導書復刻印刷局


 トポル局長が言っていたとおり、印刷局の再稼働にはさまざまな条件が課せられた。

 事故防止のために定期的に調査官の監査を受け、材料の管理状況は狂いなく魔術局に都度報告、一冊の魔導書を刷る前には事前に入念な想定を立てた上で、その過程を書面化して王宮に提出し……そのほかにも細かい注文を色々と付けられてしまった。

 それでも、働ける場所を残してもらえたのはありがたい。価値を認めてもらえたということだから。

 そして、印刷局には徐々に変化が訪れた。

「ディム! そのインクだなんて言ってないだろう!」

「あっ、間違ってる! すみません」

「すみませんなんて言ってる暇があるならさっさと戻す! 正しいものを持ってくる!」

「は、はい……」

 ランツからどやされているのは、魔術局から派遣されてきた、若手魔術師のディムだ。

 トポル局長の計らいで、以前よりもやや円滑な関係を魔術局と築けるようになった印刷局は、交流職員として魔術師を受け入れることになったのだ。

 ディムは魔術局では優秀な魔術師らしいが、ブロックへの知見は深いものの、基礎的な魔術についての理解は不十分だった。初めて御影の魔導書の原本を見せたとき、「えー、こんなわかりやすい本があったんですかぁ。いいっすねこれ」と驚いていたくらいだ。

 基礎的な部分が分からない魔術師は、考えていたよりも多いらしい。

 そして、魔術局からの協力とディムの助けもあり、先日になってやっと、完全な状態で御影の魔導書の復刻が成功した。

 喜びも束の間、その魔導書は魔術局へと納品され「この品質のものをじゃんじゃん作ってほしい」との要請があった。

 手間と作業の複雑さを考えれば、容易ではない申し出だった。しかしランツは「やっと分かったか愚か者どもめ」と息荒く言い捨て、情熱を燃やした。

 それからは、俺とディムはひたすら馬車馬のようにこき使われている。

 一方、ルベルとの約束通り、俺は王宮には客として時折顔を出すようにしているが、この前も旧知のメイドに「痩せましたねぇ」と心配された。

 イェルターは「精悍な顔つきになったじゃないか」なんて言って笑っていた。

 俺がランツという相手を得たと知ったルベルは、しきりに「会わせろ」と迫ってくるが断っている。

 ランツはルベルに遠慮なくずけずけと失礼なことを言いそうな気がして。

「エルは? なにしてるの」

「働いてるよ」

「あっそう。さぼらないでね」

 ランツの指示が、こちらにも飛び火してきた。俺は大人しく輪転部の点検に取り掛かり、異常がないのを確認して、印刷機から離れた。

 トポル局長は最近、「ディムくんが来たから僕ものんびりできるなぁ」と言って作業場へ出てくることすらない。

 もしかしたら、ディムが派遣されてきたのも、局長の思惑によるものなのかもしれない。

「ディム!」

「はい!」

「まだかかりそうなの? 終業までにはできるよね」

「あ、さすがにそれは、できます……!」

「それはよかった」

「はい……」

 印刷機の上から降ってくる指示は、なおも鋭く厳しい。

 この前魔術局の局長が遊びに来たときは、局長同士で「新しく教本的な魔導書を作ってもいいかもねー!」と軽いノリで話していた。

 聞かなかったことにしたものの、そのうち勢いだけで実現しそうな気もする。

 ただ復刻するだけではなく、今この時代に見合った、新しいかたちの魔導書を作る。

 それはそれで苦労するだろうが、楽しそうだ。ディムが胃を痛めそうではあるが。

 そんなディムはインク棚へ向かいながら、弱々しく呟く。

「ランツさんって、こう、言い方が、ちょっと……」

 そこまで言いかけて、ディムは傍らに立っていた俺に気がつき、はたと言葉を止めた。

「あ、すみません」

「いや、いい。事実だから」

「ですよね」

 俺の同意を得られたディムは、真剣な顔で深く頷く。誰がどう見ても、ランツは口が悪いのだから仕方がない。しかも本人には自覚がないからタチが悪い。

 印刷機は、巨大な身を震わせて用紙を飲み込んでいく。

 テーブルの上には、保管庫から引っ張り出された魔導書が積まれていた。

 はじめのうちは魔導書を小馬鹿にする様子もあったディムも、今では遅くまで作業場に残り、一冊ずつ読み込むようになった。

「古いし、ぼろいし、変な匂いもしますけど……面白いです。知らないことがたくさん書いてあって」

 古い書が独特な匂いが放つのは、用紙に含まれた種々の物質が、光や熱、そして空気に触れて性質を変えるからだ。

 どんなものも、時を経て変わっていく。

 良い方にも、もちろん悪い方にも。

 ずっと同じではいられない。

 だから、俺はその変化を楽しんで受け入れたいと思う。

「エル! 次の作業に移るよ!」

 梯子から素早く降りたランツが、真剣な顔をして俺に駆け寄ってくる。今朝撫でつけてやったばかりなのに、また頭の天辺で髪の束が跳ねていた。

 思わず手を伸ばそうとすると、ランツはぎょっと目を瞠り頭を押さえた。

「仕事中!」

「はいはい」

「ほんとにもう……」

 ぶつくさ口のなかで文句を言いながら、ランツは落ち着かない様子で前髪に触れた。

 そこもまた、ぴょんと跳ねている。

 胸のなかがくすぐられる感覚に負けて、多分怒られるだろうなと思いつつ、俺は手を伸ばしてランツの前髪をすくった。

「あとは帰ってからにする」

 ランツは呆気に取られて口を開いたが、次の瞬間一気に耳まで真っ赤になった。

 こいつは、とことん不意打ちに弱い。

 そこがかわいくて良い、と俺は思う。

 不満げに額をごしごし拭きつつ、ランツは唸った。

「エルは最悪だ。もう口きかないから」

「無視は禁止だと約束しただろう」

「仕事中に触らないっていう約束もした!」

 肩への強い打撃は、甘んじて受け入れた。

 作業場のなかに、唸るような機械音が響いている。

 用紙が擦れ合う音、そして初めてここへ来たときには、鼻について仕方がなかった、独特なインクと機械油の匂い。

 それらの香りを甘く感じるのは、きっと俺の心が、この男のせいで変わったからだ。




 終









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王立絶版魔導書復刻印刷局 サブロー @saburo_moon

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