第30話 シュテーデル


 その後の俺の周りの変化は、めまぐるしいものだった。

 イェルターの発言を受け、審議会は議長の判断により急遽中断された。

 印刷局の閉鎖を公的に進めようとしていたところを、突然話が第三王子の王族権威剥奪へ移ってしまったのだから、当然といえば当然だろう。

 混乱のなか、俺とランツ、そしてトポル局長は議会から追い出されてしまったわけだが、外へ出た瞬間ランツに「この大馬鹿やろう」と怒鳴られ、道行く人々の注目を集めることになった。

「やりたいことを、やったんだ」

「は?」

「お前だってそうしろと言ったはずだ」

「人のせいにしないでよ! 王族から下りるだなんて、どうするんだよこれから!」

 殴りかかろうとするランツを「流血沙汰は困るよお」と抑えてくれたのも局長だ。

 けれどランツはすっかり臍を曲げて、それから三日は俺と一切口をきこうとはしなかった。

 腹が立ったからといって俺を無視するな、とは前に言ったはずだったが。

 議会からの帰り際、勢いに任せて俺が「この状態で王宮に戻るわけにはいかないから、しばらくお前の家に泊めてくれ」と提案したのも、よくなかったのかもしれない。

 結局、その日からしばらく、印刷局の事務室が俺の寝床となった。

 審議会で大きなことを言ったからといって、すべてが要望通りに動いたわけではない。

 まず、王宮の命に背いたとして、印刷局には無期限の稼働停止が言い渡された。

 怒り狂ったランツは、俺を酒場へ連れて行き「世の中狂ってやがる」と一晩中暴れた。

 そして、稼働が停止したものの、印刷局そのものは閉鎖しれなかった。

 二回目以降に開かれた審議会には、トポル局長だけが出席した。俺とランツは出席を控えるよう要請があったからだ。誰とはいわないが、とある出席者から強い苦情が出たのだという。

 これと並行して、俺の方もなかなか骨の折れる日々を送ることとなった。

 審議会の数日後、王宮からわざわざを使いを出され渋々訪ねると、久々に会った父からこっぴどく叱られた。温厚な父を怒らせたのは初めてだった。

 父の怒りももっともだ。

 すべての手順をすっ飛ばして、国の幹部の前で突飛なことを口にしたのだから。

 今や国中が王族内の確執に関する噂で持ちきりだ。王位継承権をきっかけに王子たちの仲がこじれ、次期国王が第三王子を市井に下ろした、と。

 噂というものは表面的な部分だけをさらっていく。代々受け継がれてきた清廉な王族の印象を守り続けてきた、父からしてみれば胃が痛いだろう。

 続いて母からもちくちくと嫌みを言われ、その傍らではルベルが「なんであんなこと言ったんだよう」と目を真っ赤にして泣いていた。同時に、イェルターが腹を抱えて笑ったのを見たのは、随分久しぶりだったように思う。

 結果として、俺の家族は寛大だった。

 半日かけて想いのたけをぶつけたあとは、俺の主張に耳を傾けてくれた。

 王族を抜けてひとりの国民となること。

 俺に掛けられるはずだった国の予算を、印刷局へ……もしくは別の機関へ回してほしいこと。

 俺が第三王子だからこそ口に出せるわがままだ。誰からも期待されない立場だから、その席を空けることができる。

 もちろん、すでに組まれた予算がそう簡単に動かせるものではないと知っている。王族を抜けるために、数多の手続きを経る必要があることも。

 でも、不可能でもない。膨大な労力が掛かり、多くの人々の手を煩わせることにはなるが、俺に退くつもりはなかった。

「仕方ない、愚弟よ。兄がひと肌脱いでやろう」

 鼻をすすりながらも、手を挙げてくれたのはルベルだった。かつて財務局に勤めたこともある次兄は、「ただしこまめに元気であることを俺に報告するように」という条件をくり返しながら、予算部門へ掛け合うことを約束してくれた。俺は甘やかされている。

 街に出れば容赦のない誹りが聞こえてくる。

 俺の顔は広く知れ渡っているわけではないが、父や兄へのあからさまな雑言は、さすがに堪えた。悪意の火種は、正しい人のところまで手を伸ばす。

 そんな俺の隣で、ランツは背中を伸ばして言った。

「自分で決めて選んだことなんだから、君は胸を張るべきだ」

 その厳しさを改めて尊敬した。

 審議会の数が五回目を超えたころ、トポル局長は疲れ切った顔で印刷局へ戻り、長椅子に腰掛けると同時に、深いため息をついた。

 黙り込んだ俺とランツに、局長は表情を緩める。

「色々と、注文はつけられたけど……印刷局、続けてもいいんだって」

 がんばったでしょ、と鼻を鳴らすトポル局長を、ランツは大袈裟なくらいに褒め称えた。

 そして俺は、局長がいやというほど大量の焼菓子を買い込んだ。

 もちろん、俺の自腹で。



 ◆◆◆



「はー、疲れた」


 どすん、と勢いよくランツが寝台へと倒れ込む。

 まだ荷ほどきも終わっていないというのに、これ以上働くつもりはないらしい。

 真新しい窓から外を見てみれば、陽はほとんど姿を隠し、周りの家々に明かりが灯っていくのが見えた。

「ランツ」

「別に今日はそのままでいいじゃないか。明日やれることは明日やる」

「そんなこと言って全部俺にやらせるつもりだろう」

「珍しく鋭いね」

 寝転んだまま視線をこちらに向け、ランツは嬉しそうに目を細めた。

 不意に手が伸びて、俺の手首を掴んだ……と思った途端、強く引かれてそのまま寝台へと倒れ込む。驚いて「うお」と声を上げた俺に、ランツがけらけらと声を上げて笑った。

「いいじゃないか、休もうよ」

「いいか、明日はきちんと片付けをするんだぞ」

「はいはい」

 くそ真面目、と呟いて、ランツは指の背で俺の頬を擦った。わずかにずれた眼鏡の向こうで、焦げ茶色の瞳が温かな光を放っている。

「おめでとう、って言っていいのかな」

「いいと思う」

「じゃあ、おめでとう」

 あの審議会から季節は二つ巡った。

 そして今日、俺は正式に王族から下りた。

 ザーロイスの姓を捨てて、ただのエルフリートになったのだ。

 そしてここで、ともに暮らし始める。

 俺たちが、ふたりで決めたことだ。

 ランツは眼鏡を外すと、得意げに口の端を引き上げた。

「そんなエルフリート君には、お祝いにシュテーデルの姓をあげよう」

「それは光栄だな」

「うれしい?」

「それなりに」

「失礼だな。一流の魔術師を輩出した家なのに」

 顔を近づけて、ランツがくすくすと笑う。

 出会ったころとは比べようにならないほど、表情が柔らかくなった。

 印刷局の稼働再開は三日後だ。

 トポル局長が言っていたとおり、さまざまな条件を付けられたが、ひとつずつやり遂げていけばいい。

 稼働停止の間も、ランツは一日たりとも印刷機の手入れを怠らなかった。

 もう少しだから、と優しく彼らに語りかけながら。

「ランツ」

 指先で前髪をかき上げて、愛しい名を呼ぶ。ゆっくりと距離を縮めれば、きらめいていた瞳はまぶたの奥に隠れた。

 俺たちはふたりで生きていくと決めた。

 どれほど衝突しようと、肩を並べて進んでいこうと。ひとりとひとりの人間として、この道を選んだ。

「触れてもいいか?」

 親指で頬を撫でて尋ねた。

 ランツが笑う。それだけで幸せだと思う。

「仕事中じゃないからね」

 再び重ねた唇の柔らかさを感じながら、俺は華奢な肩を引き寄せた。





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