第28話 審議会

 

 召喚状に記されたとおり、十日後に審議会は開かれた。

 局長とランツとは、議会場前で待ち合わせることにしていたが、場をわきまえて真新しい上着を羽織ってきたトポル局長はよかったものの、ランツはなんと作業着でやってきた。

「新しいやつをおろしてきたよ」と得意げに眼鏡を押し上げたランツに呆れてしまう。

「お前はなにを考えてるんだ。公式の場だぞ」

「だってこれしかないし。エルもそのヒラヒラ好きだね。相変わらず変だけど」

「あのな……」

 俺は一体、何度この男に服装を馬鹿にされるのだろうか。

 けれどこんな日だというのに、いつも通りのランツの態度が頼もしかった。その両手には紫の布に包まれた塊が抱えられている。

 局長はちらりと塊に目をやってから、心配そうに眉をひそめて俺とランツの顔を見比べた。

「それより、二人とも大丈夫? すごい隈だけど」

「大丈夫です」

「これが終わったら寝ます」

 即座に答えた俺たちに、局長はますます不安げになる。

 確かに眠い。これまで生きてきたなかで一番寝不足で、昨晩の記憶すら曖昧だ。ランツだってそうだろう。

 しかし仕方がない。十日間でやり遂げるにはあまりにも無茶なことをやったのだから。

 睡眠をできるだけ削り、なんとか間に合わせることができた。

 ランツは充血した目を瞬かせながら、局長に顔を向ける。

「局長の方は?」

「魔術局の局長とは話をできたけど、どうかなあ。あ、彼は僕の後輩なんだけど」

「後輩が魔術局の局長を? 随分差をつけられましたね」

「おい」

 やめろ、と軽く頭をはたくと、「なにさ」と噛みつかんばかりに詰め寄られた。

 寝不足でいつもよりもさらに火がつきやすいらしい。そんな俺たちを見て、トポル局長は肩を震わせて笑っている。今から真剣な話し合いへ行くとは思えない気安さだった。

 議会場の前を守る警備兵が不審げにこちらを見つめていた。

 それはそうだろう。こんな物々しい場所で交わす会話じゃない。でも、俺たちにはこれくらいがちょうどいいのかもしれない。

 行こうか、というトポル局長に続いて、俺は議会場へ足を向けた。

 そんな俺の背中を、ぽんと軽くランツが肘で叩く。

「頼りにしてるから」

 眼鏡越しに緩んだ瞳に、俺は微笑みで返してやった。



 ◆◆◆



 通された議会場には、予想していたよりも多くの人間が集まっていた。

 普段王政について話し合われる議会場と比べれば小さな規模の部屋だが、それでもすでに五十名あまりが着席していた。

 皆、ランツの服装を一目見ると、あからさまに苦笑してみせる。

「この人たち、暇なのかな」

「静かにしろ」

 苛々と呟くランツを小突き、俺たちも用意された席に着く。俺たち三人の周りを、ぐるりと国の人間たちが囲っている格好だ。

 議会に出たことがないからよく分からないが、まるで断罪されるかのような配置に少しだけ尻込みしそうになる。

 周りに視線を這わせてみれば、憎たらしいあの調査官を始め、国の予算を担当する財政局の職員や、魔術局の人間、そして国の運営を担う総務局の幹部の顔もある。

 幹部の隣からは、次兄ルベルがちらちらとこちらを窺っていた。なにを面倒を起こしているんだ、と言わんばかりの視線が痛い。

 そして奥には国王の代理として、次期国王のイェルターも控えている。ルベルとは違い、イェルターはこちらに目を向けることすらしない。今は俺の兄としてではなく、王政を担う一員としてここにいるのだ。

「それでは皆さま、ご起立願います」

 議長らしき年配の男性の恭しい声で、すべての人間が立ち上がる。

 ザーロイス王室に敬意を、という言葉が復唱された。

 空虚な響きに、このなかに真の意味で王室に忠誠を誓っている人間はどれだけいるのだろう、とひねくれた考えが浮かぶ。

「本日お集まりいただきましたのは、ご承知のとおり、王立絶版魔導書印刷局の存続可否の審議のためであります」

 着席を促されて腰を下ろすと、議長は手元の紙をつまらなそうに読み上げていく。

 俺たちにとって大事なことが、周囲にとっても大事だとは限らない。

「設立から約五十年が経過した王立の機関ではありますが、近年のブロックの発展と活用をみるに、もはや魔導書の復刻に意義を感じられない、というのが先の議会での内容となります。年々規模は縮小しておりましたが、この度局内で事故が発生したことにより、局自体を閉鎖すべきとの意見が多く見られております」

 続いて調査官からの報告です、との言葉とともに、髭の男が前へと進み出た。

 横に座るランツが「転んじまえ」と小さく囁く。しかし願いは通じず、調査官は周囲に語りかけるように、朗々と声を張った。

「先日印刷局への調査へ入らせていただきましたが……そもそも管理体制がずさんと言わざるを得ない状態でした」

 ランツがわざとらしくため息を吐いた。

 気持ちは分かるが、ここは抑えてほしい。

「機械自体が古いのもありますが、管理は印刷技師ひとりで行っています。そして今回魔術局の十分な材料の支援を受けていたにも関わらず、想定が足りずに事故を引き起こしてしまった。現在いる印刷技師では管理しきれていないわけです。しかも怪我をされたのは第三王子であらせられるエルフリート殿下です」

 議会内の視線がこちらへ向く。

 心配していただかなくても結構、と言いたいところだったが、調査官の言葉はなおも続いた。

「このまま稼働させれば、いずれまた事故が起きるでしょう。だからといって増員なんてことも不可能です。なり手もおりませんしね。ですから、このまま閉鎖というかたちを取るのが一番かと」

 以上です、と話を締めて、調査官は席へ戻っていく。

 その後財政局からは予算の無駄だとの意見が、魔術局からは魔導書の材料生産にかかる負担だとの苦情、総務局からは完全な過去の遺物だとの指摘が次々こぼれでた。

 そして誰もが納得したように頷いてみせる。

 ここは審議の場ではないのだ。

 それぞれが印刷局が不要だという意見の上に立ち、正当性を盾に決まり切った結論へと持って行こうとしているだけだ。

 議長は半ば眠ったような顔で頷きながら紙に視線を落とし、ランツへと顔を向けた。

「続いて、ランツ・シュテーデル氏。これまでの意見に対して発言を」

 待ちくたびれた、と小さく笑ってから、ランツは紫の塊を手に持ち、席を立った。

 これだけの人数の前に、怯む様子はみじんもない。

「ランツ・シュテーデルです。この国一番の印刷技師です」

 ざわつく議会の空気に、俺は思わず頭を抱えた。トポル局長は「さすがだねえ」と楽しそうに笑っている。

 周囲の誹りを気に留めず、ランツは指で眼鏡を押し上げて、そのまま言葉を紡ぐ。

「皆さんの意見を聞くに、おそらく印刷局を閉鎖したいんだろうというお気持ちはひしひしと伝わってきました。ただ、僕個人の意見としていえば、それはあまり良い選択とは思えません」

「なぜそう思うのです」

 議長がすかさず尋ねた。

 眠り掛けているかと思ったが、どうやら話は聞いてくれているらしい。

 ランツは不敵に微笑み続ける。

「有用性という点では、確かに魔導書は時代遅れでしょう。実物を見たことがないという人だってたくさんいる。けれど僕たちが作っているのは、ただの有用な道具ではない」

 紫の包みをほどいて、ランツは中身を取り出した。

 濡羽色の革表紙を纏った魔導書だ。

 ここにいる人間には、これがなにか分からないだろう。

「これは御影の書です。シュテーデル家の初代が作り上げた、すべての魔術の基礎となるものです」

 十日の間にすべての行程を見直し、できるだけ成分の酷似した材料をかき集めて復刻した。

 当然、当初の計画よりも品質は落ちるから、とても完璧とは言えない。

 けれど俺たちで、このときのために作り上げた。この書の価値を知らしめるために。

 調査官はランツの言葉を聞くと、身を乗り出して声を上げた。

「稼働は禁止していたはずだ!」

「ええ、おっしゃるとおりです。お咎めは受けましょう。ただ、今発言を許されているのは僕です」

 つれなく制したランツを、調査官はきつく睨みつける。

 遠くから青ざめたルベルが、口の動きで「ばかやろう」と言ったのが分かった。

 俺たちは王宮の命を破ったことになる。

 けれどどうしても、御影の書を作りたかった。この書にはそれほどの価値があるのだから。

「印刷局が携わっているのは、この国の文化の継承です。魔導書は記された内容はもちろん、印刷の技術の粋が詰まった書物です。かつて生きた人間が遺したものを引き継ぐことが、それほど悪いことだとは僕には思えません。それに、文化を重んじない国は滅ぶといいます」

 ランツはざわめく議会の中心へ出ると、そのまま真っ直ぐに魔術局の職員たちが座る席へと真っ直ぐに向かっていった。

 そして魔術局の局長らしき老年の男に、魔導書を突き出す。

「僕には魔力がありません」

 ランツは力強い声で続けた。

 ほかの雑音などどうでもいいと背中が告げている。

「魔力がない僕でも価値が分かる書です。あなた方に分からないはずがない」

 魔術師の家に生まれながら魔力がないことを恥じた男は、もうそこにはいなかった。




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