第26話 調査の答え
俺の右手の怪我は大したものではなかった。
歯車が深く食い込み裂傷にはなっていたが、骨も無事で、なによりランツの言うとおり、指は五本ついたままだ。
包帯でやり過ぎなほど右手をぐるぐる巻きにされ、医者に診てもらったあと王宮へと戻ったときは、それはそれでメイドたちが大騒ぎしたのだけれど。
怪我そのものの程度よりも重大だったのは、印刷局が国の金を潤沢に使った印刷に手を掛けている途中に、怪我人の出る事故を起こしてしまった、という事実だった。
事故だなんて大袈裟な、と笑い飛ばしたいところだったが、事態は俺が思うよりも深刻だった。
第三者の目から見れば、確かにそれは事故なのだから。
そしてさらに悪いことに、怪我をしたのが俺……つまり第三王子だというのが良くなかった。
時代遅れの印刷局が、王族に怪我をさせた。
思い切り意地の悪い言い方をすればそうなる。つまり存続に反対する者たちからすれば、格好の材料が勝手に転がりこんできたわけだ。
ここまでお膳立てをしてもらっていた恩があるだけに、イェルターには合わせる顔がなかった。
御影の魔導書の復刻した翌日には、一切の稼働を停止するように命が下った。
そしてその翌日には、王宮から使わされた調査官が印刷局を訪れた。
「詳細を明らかにする必要があります。こちらの機械の管理をされている方は?」
「……僕ですけど。ここの印刷技師をやっています」
「分かりました。事故を起こした機械はどちらですか」
丁寧に整えられた顎髭を持つ中年男は、二人の部下を引き連れずかずかと作業場に入ってくるやいなや、その場にいたランツに当時の説明を求めた。それはもう偉そうな態度で。
ランツの一番嫌う種類の人間だ。
早々に不快げに眉根を寄せたランツがその場で怒り狂わないか、俺は隣で気が気ではなかったが、さすがに自分を押し殺したらしい。
トポル局長が「責任者は私です」と名乗りを上げたものの、ランツが視線でそれを制した。印刷機について的確に説明できるのはランツだけなのだ。
ランツは毛を逆立てた猫にも似た警戒心を見せながらも、調査官を二号機の前まで連れて行き、無愛想に「こちらです」と告げた。
顎髭を撫でながら、男はしげしげと巨大な機械を見上げる。
印刷機になどまるで興味がないのだ、という表情が見てとれた。
「なるほど、こちらが問題の印刷機ですか」
「……機械自体に問題はありませんでした。ただ、輪転部の回転数目測が甘かったので、用紙の巻き込みに不具合が起こってしまった。その結果一部の用紙が内部に溜まり、取り除こうとしたところで事故が起きました」
「では、機械の調整具合を見誤ったあなたの落ち度ですか」
調査官は鋭く言うと、ランツを視線を移した。
ランツは眼鏡のブリッジを押し上げ、平然と答える。
「そうなりますね。機械の調整の一切を担当していたのは僕ですから」
「ランツ! それは」
「エルは黙ってて」
言葉を挟もうとしたところで、冷たくあしらわれた。
自分の右手に巻かれた包帯が忌々しい。
調査官は俺を一瞥し微笑んだあと、再びランツに向かって言う。
「この機械を扱い始めてどれくらいですか」
「七年近くになります」
「七年携わっていても、まだこの機械の癖や特性を理解できていない?」
「そう言われても仕方がありません」
「なるほど、なるほど」
満足げに頷き、男は部下から渡された用箋に何やら書き留め始めた。
わざとらしく手元を隠しているあたりがいやらしい。ランツは不躾な質問にじっと堪えているようだった。
顔を上げ、調査官はなおも続ける。
「これから機械を詳しく見せていただきますが……。結論から言いましょう。今回の件は、『機械管理が杜撰だったために起こった』と国へ報告することになります」
「その言い方はおかしいでしょう」
ランツの睨みを無視して、俺は再び口を出した。
こんな風に、一方的な質問をぶつけるだけで出される結論に、文句を言わないわけにはいかない。
「本来は、私がランツに指示を仰ぐべきだったんです。それを怠って機械に手を突っ込んだから、機械が驚いて」
「機械が驚く?」
男は目を瞠ったあと、部下二人と目配せをして口を覆った。
彼らは俺の発言がおかしくてたまらないようだった。すぐ傍でランツが、小さく「ばか」と呟く。
「楽しい冗談をおっしゃいますね、エルフリート殿下」
「……笑っていただいても構いません。けれど、長年魔力を込められたものは、無機物であろうと意思を持ちます」
「私も祖母にそう言われて育ちましたよ。殿下がおっしゃるまでは忘れていましたが」
「この場で『殿下』はやめていただきたい。今はただの印刷局職員です」
「いいえ、エルフリート殿下。どこへ所属しようと、あなたが第三王子である事実は決して動かせません。職員であるまえに、あなたは王族なのです」
調査官の男はきっぱりと言い切ると、ランツに顔を向けた。
どこか責めるような目の向け方に、歯がゆくなる。
「気の合うお相手と仲良く仕事をなさる分には一向に構いません。けれど近ごろは、殿下が公私を混同されているのでは、という噂も耳にします」
「単なる噂でしょう」
「もちろんです」
男は作業場を見渡し、細くため息を吐いた。
静まりかえった広い空間には、その音がやけに響く。そしてまた、視線は俺の方へ向けられた。
「私たちも意地悪をしたくて来ているわけではありません。そして長らく見過ごされてきたとはいえ、印刷局は技師の経験則だけをもとに機械を動かしてきた。これは事実です。まあ、職人というものは往々にしてそうですが」
「…………」
「経験と勘に頼ってきた結果、個人の裁量に委ねる部分が多すぎるのです。国からの後ろ盾を受けて印刷局は特別な復刻印刷を行おうとしていた。しかし作業にあたって、個人の判断で機械を管理し、個人の判断で作業を進め、その結果王族たる殿下が怪我をした。これがすべてです」
有無を言わせぬ口調だった。
ここを訪れる前から、この調査の結論は決まっていたのだろう。どれだけ俺たちが主張したところで、王宮へと持ち帰られる答えは変わらない。
俺の隣で、同じくこの「調査」の意味を理解したランツが俯いていた。
身体の横に垂れた手に触れたいと思ったが、拳を作って耐えた。
「印刷局の責任者は私です」
傍らに現れたトポル局長が、俺の前に立つように身体を滑り込ませて言った。
いつになく落ち着いた声に、俺もランツも顔を上げる。調査官は訝しげに局長を見た。
「それでは、あなたが責任を?」
「年長者の役割なんてそれくらいでしょう」
穏やかな言い方だったが、男はかえってそれが気に食わなかったらしい。
部下に用箋を押し付けると、嫌味なほどの静かな声で、局長に告げる。
「今回の件を受けて、王宮側としては審議会を開くことになっています。当然、当事者たる皆さんにもご出席いただきます」
「審議会?」
首を傾げた局長に、調査官は得意げに続けた。
「そこで、この場所の存続の如何を正式に決定するのです」
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