第23話 証明


 長兄のイェルターが自室を訪ねてきたとき、俺はてっきり自分の浮かれ具合を叱責されるのかと身をかたくした。

 王族の名を使い魔術局で無理を通し、いさめられたばかりだったというのに、ランツとの一件でご機嫌な男になりつつある自覚は十二分にあったからだ。

 しかし、そんな俺を見るやいなや、兄は困ったように「そうかたくなるな」と破顔してみせたのだ。

 机に向かいランツとのやり取りを反芻していた俺は、できる限り表情を引き締めてイェルターに椅子を勧める。

 相も変わらず優雅な動作で腰掛けると、イェルターは脚を組み、静かに口を開いた。

「今日は別に叱りに来たわけじゃない」

「そうか」

「にやにやしているところを邪魔して申し訳なかったが」

「う」

 激しい羞恥に襲われたが、俺はなおも表情を引き締めていた。やはり俺はにやけていたのか。しかしランツとの「練習」と、その後の赤くなった顔を思い出して、にやけるなという方が無理なのだ。

 かわいかった。

 本人に伝えるとまた頬を張られそうだったからぐっと堪えたが、今日のランツは間違いなくかわいかった。

 同じ年の男の反応にそんな感想を抱いた自分に驚いたが、よく考えてみれば、一房跳ねる髪の癖や、しょっちゅう顔を汚すところだってかわいい。

 練習と称して唇を重ねたとき、身体を一瞬震わせたのも、帰り際に小さく「また明日」と視線を逸らして言ったのも。

 心臓が良い具合にぎゅう、と苦しくなって、つい手を伸ばしたくなる。

 もしかしたら俺は、なかなかに危ない男なのかもしれない。

「またにやけてるぞ」

「……そんなことは」

「ランツ・シュテーデルといったかな」

 ごまかそうとした瞬間兄の唇からその名が零れ、思わず俺は目を瞠った。

 印刷局の数少ない働き手なのだから、イェルターがランツの名を知っていることは何ら不思議ではない。

 しかし、俺がにやけていることと、ランツを結びつけられるとは。イェルターは楽しげに目を細めたあと、少し身を乗り出して囁いた。

「『考えが真逆の人間』と随分仲良くなったみたいでよかったよ」

「イェルター」

「誤解するな、エルフリート。君たちの仲を反対するわけじゃない」

 顔を強張らせた俺にゆるく首を振り、兄は続けた。

「兄として、君のことはよく見ているつもりだ。働き始めてからの君は本当に生き生きしている。自覚はないだろうが」

「それは……」

「怒ってみたり朝帰りをしてみたり、はたまた顔を腫らして帰ってきたり。そうかと思えば名を使って無理を通して、今はそうやってだらしない顔で悶々としている」

「悶々とはしていない」

「今度から机の上に鏡を置いておくんだな」

 くすくすと笑ってから、イェルターは膝の上でなめらかな指を組んだ。

 王たる者にふさわしい、傷ひとつない指先が目につく。

「君の成長はもちろん嬉しい。でも君は腐ってもザーロイスの血を引く王族だ。外の世界を知ったからといって羽根を伸ばしすぎたんじゃないかと少し心配になってね」

 手の空いている者に少しだけ協力してもらった、と兄は言う。

 つまりは、遠巻きに俺の様子を窺っていたのだろう。一体いつから、どこまで見られていたのかはあまり考えたくない。

「結果として、君は職場と王宮の往復ばかりで、どこぞの令嬢や世間をよく知る友人との付き合いができたようにも見えなかった」

「寂しいことに交友関係が狭いからな」

「慎重で思慮深いということにしておこう」

 過保護なうえに慈悲深いときたもんだ。

 軽くひと睨みしてみたが、イェルターは悠然とした表情のままだった。

「とにかく、その交友関係から考えるに、君がそこまで影響を受ける相手となるとひとりしかいない。働き始めたころの話から聞いてみても、良い刺激になっていたようだったしな」

「……なにが言いたい?」

「おいおい、兄弟の語らいくらい楽しませてくれよ。君たちの仲に口を挟もうというわけじゃないんだ。そんなに怖い顔をするな、エルフリート」

 いくら睨んだところで、イェルターが怯むはずもない。

 兄はそういう男だ。

 生まれながらに王として素質を備えている人間。

 事実だけを正確に見極める能力に長けている。弟の機嫌如何など、兄の心を揺らすものにはならないだろう。

 俺と同じ翠の瞳が、意思をもって強く光った。

「立場をわきまえろ、と何度も言ってきただろう」

「……そうだな」

「君は第三王子だ。だから君が子を残す義務はない」

「…………」

「でもだからといって、君が王族であるという事実も変えられない」

 第三王子としての立場。

 ときに重く、ときには軽く扱われるもの。

 この国では、同性同士の関係はさほど問題にはならないが、表立って祝福されるものでもない。

 金の睫毛に飾られたイェルターの瞳は、なおも俺に向けられていた。

 俺が心の奥底で燻らせていたわずかな不安を見透かすように。

「ランツという子は、シュテーデル家の者だと聞いている。かつて偉大な魔術師を輩出した家だが、今は王都では見かけない。だからといって、国に貢献したという事実も変わらない」

「生まれがどこであろうと、今は優秀な印刷技師だ」

「そう、生まれはさほど関係ない。彼の場合は」

 イェルターのことだ、ランツについてあらかた調べはついているのだろう。

 すべて分かった上で、俺のもとへ訪れた。

 俺が浮かれてうやむやにしている恐れを、ひとつずつ並べ、自覚させるために来た。

 わずかに抑えた声で、イェルターは告げる。

「印刷局を閉鎖すべきだという意見が出ている」

「どういうことだ?」

 思わず身を乗り出して聞き返すと、視線でたしなめられた。

 問いただしたい気持ちを堪えて、俺は椅子へ戻る。

ブロックが生活を支えている以上、わざわざ国の後ろ盾を受けてまで魔導書の復刻を続ける必要があるのか、というのが議会での主張だ」

「必要な人が少しでもいるのならば、意味はあるはずだ」

「『少しの人間』のために予算を割き続けるのは、無駄だとみなされる」

「それは……」

「印刷局の存続については、ここ数年ずっと論じられていたことだ。これまでは父上が先代の意向を酌んで主張を退けてきたが、君が印刷局に入ってからはますます『王族の娯楽』と囁く声が大きくなっている。」

 イェルターはあくまでも淡々と続けた。

 王国の運営を考えれば、文化的な遺物にいつまでもかまけていられない、という意見は理解できる。

 古いものは時とともに失われていく。

 それは当然のことで、俺ひとりがなにか反論をしたところで抗えるものでもない。

 魔術局で易々と自らの名を使ったときのことが頭をよぎり、俺は唇を噛んだ。

「君が印刷局に入ったのは、それまでの魔導書研究が認められたからだ。それは保証しよう。だが反対する者たちからみれば、その事実は意味をもたない」

 そのうえ第三王子は印刷技師に熱を上げている、と分かれば、議会は大いに盛り上がるだろう。「王族の娯楽」で続けられる機関のなかで、俺がどれほど厄介な存在となっているのか。

 内側からは見えていなかった現実的な状況が、じわじわと胸を重くする。

「若者の仲に水を差したくて言っているわけじゃない。ただ、君たちの置かれている状況は決して良くないということは理解しなければいけない」

 イェルターに微塵も悪意がないことは分かる。

 俺を想って忠告してくれているのだ。

 けれど俺の耳の奥では、すっかり馴染んでしまった機械音が響き始めていた。天窓から差し込む光と、鼻をつく独特の匂い。

 一度は失われてしまった魔導書を、再びかたちを持つ姿に甦らせる瞬間の喜び。

「……とりあえず、分かった」

 ひとつ深呼吸をして、俺はイェルターを見据えた。

「イェルター、俺はなにをしたらいい?」

 この悪い状況を生み出したのが自分だと思い知り、苦しくないといえば嘘になる。

 でも、なにか打開策はあるはずだ。

 答えを持っているからこそ、イェルターはここへ来た。

 英明な兄は、満足げに唇をゆるめて答えてみせた。

「結果を出してもらおうか。エルフリート」



 ◆



「……それで御影の魔導書の復刻を?」

 翌日の夕方、事の経緯を話してみると、印刷機に立てかけられた梯子の上で作業をしていたランツはやけに大きな声で答えた。

 俺の言葉が飲み込めないというより、今したばかりの説明……つまりはイェルターが提示した条件にいまいち納得できない様子だった。

「エルが単純にやりたいからって嘘ついてるんじゃないよね?」

「そんな卑怯な真似をするか」

「でもアレに随分とご執心だし」

「お前に嘘をついてまでやることじゃない」

「それはどうも」

 満足げに笑ってから、ランツは手袋を机の上に放り投げた。座りなよ、と俺に椅子を勧め、自らもどっかりと腰を下ろして引き締めた表情を作る。

「いずれここを潰すという話は出てくるだろうとは思っていたけど、まさか次期国王の御慈悲を受けられるなんてね」

「無条件で協力してもらえるわけじゃない。御影の魔導書の復刻の結果次第だ」

「なるほど。それにしたって、なぜあの魔導書の復刻が印刷局の存続に繋がるのさ。たかが一冊で反対派の意見が覆るとは思えないけれど」

 ランツの意見ももっともだった。そしてそれは、俺がイェルターにぶつけた質問でもある。聡明さが滲む眼差しを気圧されそうになりながら、俺は言葉を続けた。

「これまで復刻してきた魔導書は、市井の人々に向けた単純な内容のものが多かった。生活の知恵や、日常における簡素なまじないを記した書だ」

「作業効率を考えればそうなる。この人数でこの規模だからね。でもたとえ単純なものでも、数を重ねていけばその分だけ実績になるから」

「そうだ。でも言い方が悪いが、簡単なものを作り続けても理解は得られない」

 元々、この場所は「失われゆく魔導書という文化を国で保護する」という目的のもと設立されている。

 ただ、そこに意味を見出せるのは魔導書に魅せられている人間だけなのだ。王族の娯楽だと言われても反論はできない。数だけを量産しても、印刷局の存続を反対する者たちからすれば「これだけ作ったのなら役割は果たせたはずだ」と主張されて終わる。

 古びた文化を認めさせるためには、別の方法を取らなければいけない。

「本当の意味で、価値のあるものを作り出すんだ」

「どういうこと?」

 ランツが眉根を寄せ、首を傾げる。これもまた、イェルターと話したときの俺と同じ反応だ。

「御影の魔導書は、突き詰めればすべてのブロックの大元となる知識が記されているわけだろう? しかもそれまで専門的で難解だった魔術というものを、庶民にも理解できるよう噛み砕かれている」

「まあ、好意的にみたらそうだね」

「客観的にみてもそうだ。皆、完全な状態での御影の魔導書を目にしたことがないから、その価値に気づいていないだけなんだ」

「…………」

「魔術師というものは往々にして論理主義だ。だから根拠を求める。ブロックの原理がひとつの形として存在するのだと理解されれば、自ずと彼らが書に価値を与えてくれる」

 ランツは唇をひん曲げ、数度まばたきをする。渦中の魔導書を生み出したのが自分の血縁だから、半信半疑になっているのだ。

 けれど、御影の魔導書がすべての魔術の大元となる書なのだと、そして印刷局の技術でその書が復刻できるのだと示してみせれば、周囲の目は変わる。

「そんなにうまくいくかな」

「どうだろう。でも……これはイェルターからの受け売りになるが、今の魔術師たちはブロックの調整に追われて、魔術の原理を見失いかけている」

「どうりで僕に冷たいわけだ」

「それはお前の態度のせいだ。……とにかく、魔術の原理に立ち返ろうとしたとき、復刻された御影の魔導書があれば、見方は変わる」

 印刷局が価値あるものを生み出しているのだと、証明してみせること。それがイェルターの提案であり、存続の条件でもあった。

「材料は当時使われていたものと同等品を用意してもらう」

「また魔術局に無茶をいうわけ?」

「その代わり、機会は一度だけだ」

「今度は僕に無茶を言うわけだね」

 ランツはため息をついて首を振る。一度きりの印刷で完璧に復刻できると言い切れないほど、御影の魔導書に使われている技術が複雑だということは、俺にも理解できる。

 その上、すべての予算が国から出ている以上、完璧に復刻できるまで何度も試す、なんてことは許されない。

 ランツは机に頬杖をつくと、ぶすっとした表情のまま床を睨みつけ始めた。頭のなかで今の話を細かに整理しているのが分かる。

 しばらく黙り込んだあと、ランツはエル、と唇を動かした。

「前に、内容の解読はほとんど済んでるって言ってたよね」

「そうだ。それにお前が持っている原本がある」

 ランツは眼鏡を外しため息を吐くと、両手で顔を覆い天を仰いだ。低い唸り声のあと、勢いよく身体を戻し、再び眼鏡をかける。

「やらない理由がないね」

 焦げ茶色の瞳がきらりと光り、俺は頬を緩めた。自信に満ちた表情のランツに、あえて尋ねてみせる。

「印刷方法については問題ないのか?」

「誰にものを言ってるんだ。僕は国一番の印刷技師だよ」

「そうだったな」

 ランツは悪戯っぽく笑うと、腕を組んで俺を見据えた。鼻の頭が汚れていたが、今は手を伸ばさないでおく。

「正直言って、魔導書ひとつでそこまで状況が変わるとは思えない。けれど次期国王がお膳立てしてくれるなら話は別だ」

 腕が鳴るよ、と不敵に言ってのけるあたりがランツらしい。瞳の輝きを見れば、期待に胸を膨らませているのはすぐ分かる。

「明日トポル局長にも話をしようと思う」

「分かった。まあ、本来なら先にそっちに言ってほしいところだけど」

「一番にランツに話したかった」

「……ふうん」

 ランツは最近よく見せる、不機嫌なような笑いを堪えるような妙な表情を作った。しかし次の瞬間には調子を取り戻し、そうと決まればとばかりにランツは立ち上がり、机に積んでいた書を忙しなく広げ始める。

 すると突然、頁をめくる手がぴたりと止まり、顔がこちらに向いた。また変な顔をしている。

「どうした?」

「御影の魔導書の話で、つい流しかけたけど」

「ああ」

「僕とエルは、次期国王公認の仲ってわけだ」

「……まあ、広い意味でいえば」

 そういうことになってしまうのかもしれない。イェルターの楽しげな微笑みが頭をよぎる。

 ランツは視線を彷徨わせてから、にっと歯を見せて笑った。

「悪い気はしないね」

 その笑顔を見た途端、胸の奥に熱が灯る。

 立ち上がり、ランツの隣に並んだ。真剣な横顔を覗き込み、そっと顔を近づければ、ランツは弾かれたように身体を離した。

「なに」

 思いきり不審げな目を向けられた。……そんな反応はないだろう。挫けた気持ちを隠しながら、俺はぼそぼそと答える。

「顔を見たくて」

「そう。でもごめんね。今はそれどころじゃない」

「…………」

「エルも集中して中身見直したら? そんなに時間もかけてられないんだから」

 ばっさりと切り捨てられて、今度こそ俺の気持ちは挫けた。そうだ、こいつはそういう奴だ。印刷技師としての自分を最優先している。

「ぶ」

「鼻、汚れてる」

 腹いせに乱暴に汚れを拭ってやれば、ランツは不満げに唇を尖らせ、それから軽く俺の肩を殴った。 




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