第23話 証明



「……それで御影の魔導書の復刻を?」


 翌日の夕方、事の経緯を話してみると、印刷機に立てかけられた梯子の上で作業をしていたランツはやけに大きな声で答えた。

 俺の言葉が飲み込めないというより、今したばかりの説明……つまりはイェルターが提示した条件にいまいち納得できない様子だった。


「エルが単純にやりたいからって嘘ついてるんじゃないよね?」

「そんな卑怯な真似をするか」

「でもアレに随分とご執心だし」

「お前に嘘をついてまでやることじゃない」

「それはどうも」


 満足げに笑ってから、ランツは手袋を机の上に放り投げた。座りなよ、と俺に椅子を勧め、自らもどっかりと腰を下ろして引き締めた表情を作る。


「いずれここを潰すという話は出てくるだろうとは思っていたけど、まさか次期国王の御慈悲を受けられるなんてね」

「無条件で協力してもらえるわけじゃない。御影の魔導書の復刻の結果次第だ」

「なるほど。それにしたって、なぜあの魔導書の復刻が印刷局の存続に繋がるのさ。たかが一冊で反対派の意見が覆るとは思えないけれど」


 ランツの意見ももっともだった。そしてそれは、俺がイェルターにぶつけた質問でもある。聡明さが滲む眼差しを気圧されそうになりながら、俺は言葉を続けた。


「これまで復刻してきた魔導書は、市井の人々に向けた単純な内容のものが多かった。生活の知恵や、日常における簡素なまじないを記した書だ」

「作業効率を考えればそうなる。この人数でこの規模だからね。でもたとえ単純なものでも、数を重ねていけばその分だけ実績になるから」

「そうだ。でも言い方が悪いが、簡単なものを作り続けても理解は得られない」


 元々、この場所は「失われゆく魔導書という文化を国で保護する」という目的のもと設立されている。

 ただ、そこに意味を見出せるのは魔導書に魅せられている人間だけなのだ。王族の娯楽だと言われても反論はできない。数だけを量産しても、印刷局の存続を反対する者たちからすれば「これだけ作ったのなら役割は果たせたはずだ」と主張されて終わる。

 古びた文化を認めさせるためには、別の方法を取らなければいけない。


「本当の意味で、価値のあるものを作り出すんだ」

「どういうこと?」


 ランツが眉根を顰め、首を傾げる。これもまた、イェルターと話したときの俺と同じ反応だ。


「御影の魔導書は、突き詰めればすべてのブロックの大元となる知識が記されているわけだろう? しかもそれまで専門的で難解だった魔術というものを、庶民にも理解できるよう噛み砕かれている」

「まあ、好意的にみたらそうだね」

「客観的にみてもそうだ。皆、完全な状態での御影の魔導書を目にしたことがないから、その価値に気づいていないだけなんだ」

「…………」

「魔術師というものは往々にして論理主義だ。だから根拠を求める。ブロックの原理がひとつの形として存在するのだと理解されれば、自ずと彼らが書に価値を与えてくれる」


 ランツは唇をひん曲げ、数度まばたきをする。渦中の魔導書を生み出したのが自分の血縁だから、半信半疑になっているのだ。

 けれど、御影の魔導書がすべての魔術の大元となる書なのだと、そして印刷局の技術でその書が復刻できるのだと示してみせれば、周囲の目は変わる。


「そんなにうまくいくかな」

「どうだろう。でも……これはイェルターからの受け売りになるが、今の魔術師たちはブロックの調整に追われて、魔術の原理を見失いかけている」

「どうりで僕に冷たいわけだ」

「それはお前の態度のせいだ。……とにかく、魔術の原理に立ち返ろうとしたとき、復刻された御影の魔導書があれば、見方は変わる」


 印刷局が価値あるものを生み出しているのだと、証明してみせること。それがイェルターの提案であり、存続の条件でもあった。


「材料は当時使われていたものと同等品を用意してもらう」

「また魔術局に無茶をいうわけ?」

「その代わり、機会は一度だけだ」

「今度は僕に無茶をいうわけだね」


 ランツはため息をついて首を振る。一度きりの印刷で完璧に復刻できると言い切れないほど、御影の魔導書に使われている技術が複雑だということは、俺にも理解できる。

 その上、すべての予算が国から出ている以上、完璧に復刻できるまで何度も試す、なんてことは許されない。


 ランツは机に頬杖をつくと、ぶすっとした表情のまま床を睨みつけ始めた。頭のなかで今の話を細かに整理しているのが分かる。

 しばらく黙り込んだあと、ランツはエル、と唇を動かした。


「前に、内容の解読はほとんど済んでるって言ってたよね」

「そうだ。それにお前が持っている原本がある」


 ランツは眼鏡を外しため息を吐くと、両手で顔を覆い天を仰いだ。低い唸り声のあと、勢いよく身体を戻し、再び眼鏡をかける。


「やらない理由がないね」


 焦げ茶色の瞳がきらりと光り、俺は頬を緩めた。自信に満ちた表情のランツに、あえて尋ねてみせる。


「印刷方法については問題ないのか?」

「誰にものを言ってるんだ。僕は国一番の印刷技師だよ」

「そうだったな」


 ランツは悪戯っぽく笑うと、腕を組んで俺を見据えた。鼻の頭が汚れていたが、今は手を伸ばさないでおく。


「正直言って、魔導書ひとつでそこまで状況が変わるとは思えない。けれど次期国王がお膳立てしてくれるなら話は別だからね」


 腕が鳴るよ、と不敵に言ってのけるあたりがランツらしい。瞳の輝きを見れば、期待に胸を膨らませているのはすぐ分かる。


「明日トポル局長にも話をしようと思う」

「分かった。まあ、本来なら先にそっちに言ってほしいところだけど」

「一番にランツに話したかった」

「……ふうん」


 ランツは最近よく見せる、不機嫌なような笑いを堪えるような妙な表情を作った。しかし次の瞬間には調子を取り戻し、そうと決まればとばかりにランツは立ち上がり、机に積んでいた書を忙しなく広げ始める。

 すると突然、頁をめくる手がぴたりと止まり、顔がこちらに向いた。また変な顔をしている。


「どうした?」

「御影の魔導書の話で、つい流しかけたけど」

「ああ」

「僕とエルは、次期国王公認の仲ってわけだ」

「……まあ、広い意味でいえば」


 そういうことになってしまうのかもしれない。イェルターの楽しげな微笑みが頭をよぎる。

 ランツは視線を彷徨わせてから、にっと歯を見せて笑った。


「悪い気はしないね」


 その笑顔を見た途端、胸の奥に熱が灯る。

 立ち上がり、ランツの隣に並んだ。真剣な横顔を覗き込み、そっと顔を近づければ、ランツは弾かれたように身体を離した。


「なに」


 思いきり不審げな目を向けられた。……そんな反応はないだろう。挫けた気持ちを隠しながら、俺はぼそぼそと答える。


「顔を見たくて」

「そう。でもごめんね。今はそれどころじゃない」

「…………」

「エルも集中して中身見直したら? そんなに時間もかけてられないんだから」


 ばっさりと切り捨てられて、今度こそ俺の気持ちは挫けた。そうだ、こいつはそういう奴だ。印刷技師としての自分を最優先している。


「ぶ」

「鼻、汚れてる」


 腹いせに乱暴に汚れを拭ってやれば、ランツは不満げに唇を尖らせ、それから軽く俺の肩を殴った。 




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