第15話 事故のようなもの


 街に出る、といっても、若者らしい遊びを知らない俺たちは以前行った酒場へ向かうくらいしか能がなかった。


 他愛のない話をして、お互いの声が小さくても明瞭に聞き取れるのが不思議だったが、普段から機械音の喧騒の隙間で会話をするのに慣れているからかもしれないと思い至って、こそばゆい気分になる。


「エル、これいらないから食べて」

「自分で食え」

「嫌いなものを無理して食べる方が健康に悪いんだ」


 屁理屈をこねながら、ランツは目の前に出された皿から器用に赤豆だけを選り分けて俺に寄越してくる。まるで子どもだ。

 そして食が細い。もしくは単に、無頓着なのかもしれない。


「ランツ。お前、それで足りるのか?」

「足りるよ。僕は燃費が良いからね」


 得意げに微笑んでみせてから、ランツは杯を呷った。女将さんの目が光っているせいか、前回よりも進みは遅かった。

 小さな肉のかけらを口に放り込みながら、ランツは言う。


「でもさ、あれだね」

「あれってなんだよ」

「エルって本当に、庶民派っていうか、あんまり知名度ないんだね」


 こいつの失礼具合はどうにかならないものか。しかし、たしかに俺の王族としての知名度は低い。

 長兄のイェルターは次期国王として頻繁に公務に就くし、次兄のルベルも仕事柄内政に関わることが多いから、イェルターほどではないにしろ、王宮施設関係者には広く顔が知られている。

 長らくぷらぷらと自由な生活をしていた俺だけが、内外ともに気楽な立場にいるのだ。

 

「エルって友だちいなそう」

「お前が言うな」

「僕の場合は、周りの同年代が僕に付いてこれなかったのさ」

「どうだか……」

「本当だよ。魔力がないぶん、僕だって頑張ったんだから」


 明るく告げられたが、俺の方は動揺してむせそうになった。一方のランツは何も気にしていない様子で杯に口をつける。


 魔術師の家に生まれながら、魔力を持たない。


 その事実は子どもたちの間で、格好の餌食になったのかもしれない。でも、ランツはそれ以上語らない。語らないから、俺も深く知ろうとは思わない。それでいいと思う。

 

「でも、王族のお仲間になりたい子には声を掛けられたんじゃない? エルは見た目だけはきちんと王子さまなわけだし」

「中身もきちんと王子だ」

「それは失礼」


 これはちっとも失礼だと思っていない顔だ。でもなぜか、いつものランツの眼差しとは種類が違う気がした。

 それがどう違うのかは分からなかったが、俺は軽く睨み返してから、ため息まじりに答える。


「あいにく、三番手は人気がないんだ。将来が期待できないだろ。俺は贅沢をするたちでもなかったからな」

「へぇ」


 自分で訊いてきたくせに、ランツは気の抜けた返事だけを返してきた。

 心なしか目元はさっきよりも少し緩んでいるように見える。


 その後も俺たちは、実にならない話と嫌味の応酬をくり返して……もちろんどちらも潰れることなく、店を後にした。



 ◆



「こんなに遅くなって、また王宮は騒ぎにならない?」

「朝帰りにならない限りは大丈夫だ」


 もう少しだけ話そう、と提案したのはランツだった。それならばお前の家まで、と歩いていくことに決めたのは俺だ。

 さすがに王宮まで、とは言えない。エルフリート殿下がご友人を、と別の意味でメイドたちが盛り上がってしまう。


 酒で火照った頬を夜風が撫で、身体の温度を冷やしていく。少し先を行くランツの頭からは、また一房髪が跳ねていて、俺はひっそりとそれを笑った。

 あと少しで着く、と呟いたランツは、不意に足を止めて俺の方へと向き直った。視線を泳がせて、なにか適切な言葉を空に求めているようだった。


「エル」

「なんだ」

「今回の王族の名を使って無茶やったのって、なにもお咎めなかったの?」


 張り詰めたその声に、ランツが俺を連れ出した本当の理由がここにあったと気づく。ごまかそうかとも思ったが、それは真摯ではない気がしてた。

 ひとつ深呼吸をして、答える。


「お咎めというほどではないが、兄からは……まあ、少し、言われたな」


 あの日、王宮へ帰ると、珍しく冷たい目をしたイェルターが俺を待っていた。

 兄は口うるさく俺を叱責したりはしなかった。元々怒りを外に出さない人だ。その代わりに、「すべきでないことくらいわきまえるんだな」という一言を与えられた。失望の眼差しとともに。


「やっぱり」

「それはこれから挽回していくから、いいんだ」


 兄の指摘は当然のことだった。王族は国民の存在によって保たれている。イェルターは権威や力をひけらかすことを最も嫌っている。王族だからといって魔術局に便宜をはからせるなど、兄は絶対に許さない。けれど後悔はしていない。

 ランツは少しうつむき唇を軽く噛んだあと、また顔を上げて俺を見た。  


「ごめん、っていうのは多分違うと思うから、謝らないけど」


 ランツは続けた。顔を上げて、とても真剣に、言葉をひとつずつ確かめながら。


「僕には、あの場所しかないから。印刷技師としてほかの作業場に移る手だってあるけど、僕にとって大事なのはあそこだから。たとえ求められなかったとしても、あの場所で魔導書を作れなくなると困るんだ」


 握られた手には力が入っている。

 ランツは昔はもう少し素直だった、というトポル局長の言葉をなぜか思い出した。


「だから、その」


 少し詰まってから、ランツは言う。


「あ、ありがとう」

「…………」

「言いそびれてたから、たぶん」


 声はか細くて、今にも消えそうだった。

 けれど、瞳はひたと俺を捉えたままで……真剣に言葉を紡いだのが分かる。

 足元をまた、葉が音も立てずに転がっていった。


 ——ああ、そうか。


 胸の奥で複雑に絡まり合っていたものが、するするとほどけていく感覚があった。


 俺はきっと、ランツに憧れていた。真っ直ぐに好きなことに向き合い、やりたいことに全力に尽くす情熱が眩しくて。

 あれこれ理由をつけてきた俺とは違う。自分と違うことが認めがたくて、妬ましかった。それでいて、強く惹きつけられた。


 ひっかかっていた部分を緩めた途端、驚くほど簡単に心のその正体が姿をあらわした。

 それはあたたかくて、衝動的で、自分の力ではどうにもできない感情だった。


「エル?」


 一歩距離を縮めて俺を、ランツは不思議そうに見上げた。細い肩に手を伸ばしてそっと置く。街灯の細い光がレンズに反射して、澄んだ焦茶色の瞳がよく見えないのが惜しい、と思った。


 ランツの唇が薄く開いた。

 どうした、と訊こうとしているのが分かったが、その言葉は外には出ることはなかった。


 声としてかたちになる前に、俺が唇で塞いだからだ。






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