第13話 白状と赤面


「……どういうこと?」

 魔術局と話をつけて印刷局へ戻ったあと、俺はトポル局長とランツに事情を説明した。

 局長は「すごいねぇ」とだけ言い、ランツは「なにそれ」と吐き捨てると、すぐさま俺を作業場へ引きずりこんだ。

 壁際までじりじりと追い詰められて、複雑な気分になってしまう。正対して見下ろした先にある表情には、隠しきれない喜びがあったが、それ以上に戸惑いと驚きが大きいようだった。

「ねえ、エル」

 促す視線に負けて、目を逸らす。そんなに詰め寄られても困るのだ。衝動に任せてやったことなのだから、理由なんて説明のしようがない。

「だから、魔術局には方針を変えてもらった。必要なものは数日中に納入される予定だ」

「変えてもらった、って……」

「話し合いの成果だ」

 そう、俺は話し合いをしてきた。今までずっと避けてきた方法を使って、魔術局の意思を変えてきたのだ。

 ランツはまた一歩俺との距離を詰め、ほとんど睨むような視線を俺に向けてきた。窓から刺す光が、眼鏡のレンズに反射する。

「単なる話し合いであいつらが首を縦に振るとは思えないね」

「…………」

「なにか明確な理由がない限りは」

 目を細めるランツは、すべてを見通しているようだった。

 それはそうか。わざわざ公的な文書送ってきた魔術局が、ただで印刷局に協力するはずがないのだから。

「エル。君、自分が王族だって明かしたんだろう」

 確信した言い方だった。

 けれど責めるような口調ではなくて、俺はそれにほんの少しだけほっとする。

 真っ直ぐに向けられる視線が痛い。ほとんど同意に近い沈黙が走る。

 ランツが指摘した通りだ。俺は自らの身分を武器に交渉をしてきた。俺が身分を明かしたあとの魔術局の対応は早かった。

 はじめはさすがに疑われたが、程なくして「これは失礼いたしました」とへこへこと謝られた。一言名乗っただけで、対応は雲泥の差だった。かえって自分自身の力のなさが情けなかった。

 不自然なほどの静かさに耐えきれず、俺は言い訳がましく答える。

「……お前も、前に俺が王族だと言って魔術局を脅そうとしていただろ」

「人聞きが悪いな、脅すなんて!」

「でも言った」

「確かに言ったね。……でも」

 ランツはわずかに視線を床に外して、口ごもった。ぎゅっと眉間に皺が寄る。

 なんだ、と尋ねようとしたとき、薄い唇から小さな声が漏れた。

「……エルは、そういうの嫌だろうな、と思ったから言わなかった」

「え」

「特別扱いされるの、煩わしいのかなって」

「……それは」

「なんか、そう、勝手に思ったっていうか、嫌がることするのは、さすがにどうかな、みたいな……」

 ぽつぽつと言葉尻を小さくするランツを見ていたら、なんだか喉の奥がぎゅうと締まった。周りの空気でくびられたような気分だった。

 けれど苦しいのに、それを不快だとは感じない。やはり俺の調子はどうもおかしい。ランツは軽く唇を噛むと、背筋を伸ばしてまた強い視線を俺に向けてきた。

「まあ、仕事が進むならそれでいいけどね」

 半日前の憔悴はどこへやら、ランツはいつもの不敵な笑みを浮かべて言い切った。

 まあ、それはそれでいい。俺も気を緩めて笑って返す。

「そう言われる気がしてた」

「そりゃどうも。でも、エル。なんでわざわざ魔術局に殴り込みに行ったの?」

「殴り込みって、お前な」

「だってそうじゃないか」

 純粋にわからない、とでも言うように、ランツは首を右に傾けてみせた。

 なにかを考えるとき、ランツがする癖。ぼさぼさの髪が、ほんの少しランツの頬にかかって影を作る。

 これが、あまり良くない。なにが良くないのか自分でも分からないが、ざわざわするから良くない。

 謎の動揺を胸に、俺はつい伏せるべき本音を口からこぼしてしまった。

「お前が泣いていたから」

「ん?」

「な、泣いていただろう。魔術局からの書面を見て」

 ついつい焦って、ぶっきらぼうな言い方になってしまった。そんなつもりではなかった。

 ただ、目元を拭ったランツを見て、居ても立っても居られなくなったのは事実だ。

 しかし今のは違う、と弁明しようしたところで、俺は目の前の顔がじわじわと赤く染まっていく様子に気がついた。

 焦げ茶の瞳がはっきりと見えるほど目が見開かれたのに続いて、悲鳴のようなランツの叫びが作業場に響く。

「ぼ、ぼぼ僕が泣くわけないだろ!」

「いや、印刷機の間に挟まって泣いていたはずだ」

「泣いてないってば!」

 ランツは耳の先まで赤くなり、わなわなと唇を震わせていた。やはり、いきなりこんなことを言うのはまずかった。男に「泣いていただろう」なんて、自尊心を傷つけるだけだ。

 だがランツは自尊心云々よりも、羞恥やら混乱やらが頭を支配しているようだった。

「ランツ」

「見間違い! 断固見間違いだ!」

 腕をぶんぶん振って、ランツは抗議してきた。過去最高の混乱が目の前の男を襲っているようだった。悪かった、と口を挟む隙もなく、ランツは早口で言う。

「印刷機も用紙も水気に弱いんだ! だから職人たる僕が、な、泣くとか、そういう水分が出ることは絶対しない!」

「そ、そうだよな……」

「そうだよ!」

 妙な理論に気圧されて、俺は何度も頷いた。

 ランツはまだ落ち着かないようで、手の甲を頬に当てながら、ぶつぶつと口の中で言い訳をしていた。そして、はたと気づいたように俺を睨みつけてくる。

「絶対泣いてないけど……でも仮に、なんで僕が泣くと殴り込みに行くことになるわけ?」

「えっ」

 一番痛いところを突かれた。

 なぜ。冷静さを欠いてまで魔術局へ向かった理由。

 自分でも分からない。いや、本当は頭の隅で分かっている。しかしその理由とやらを、言葉として正しく形作るのがどうも難しい。

 難しくて説明できないからこそ、またもや俺はそのままの考えを口から放ってしまった。

「お前が……ランツが、楽しそうに仕事をできなくなるのは、嫌だな、と」

「は?」

「いや、なんとなく、そう思ったりして……」

「…………」

「楽しそうにしてるの、大事だろ」

 しどろもどろの俺に、ランツは小さく「なにそれ」と呟いた。

 俺も同じく「なんだそれは」と自分に問うたが、一度外に出してしまった言葉が戻るはずもない。

 ランツはからかって笑うのだろうと思ったが、冷めかけた肌が再び赤くなっていくのが見てとれた。こいつは案外血行がいい、なんて間の抜けたことを考える。

 再び「なにそれ」と漏らしたかすかな声に、なぜか無性に落ち着かない気分になり……気づけば俺は、ランツの手首を掴んでいた。

 骨まで細っこくて頼りない。少し高めの体温に、掌から汗が滲むのが分かる。

「な、なに」

 ランツが上擦った声で言う。

 なぜ俺は手首を掴んだのか。やはり分からない。分からないことが多すぎる。

 ばちりと視線が合って、戸惑うようなランツの瞳が揺れた。喉の奥で、得体の知れない言葉が渦を巻く。

 一体今度は、俺の口はなにを言うつもりなのか。

 意味を持った空気の塊を、身体が勝手に吐き出そうとしていた。

「ねぇねぇ、お祝いのお茶休憩しようよ〜」

 しかしそのとき、事務所の方から、トポル局長の声がかかった。

 反射的に俺は手を離し、ランツと同時にばっと身体を離す。

「…………」

「…………」

 ランツはなんとも言えない顔をしていた。

 おそらく、俺も。

「あ、ごめんねぇ。なにか話してた?」

「いいえ! 全くなにも!」

 とことこと現れた局長に大声で返事をして、ランツはそそくさと事務所へと駆けていく。

「…………」

 掌に残った熱で、俺の調子はまたおかしくなりそうだった。


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