第11話 秘密


 魔術局への発注は難航していた。

 

 午後の休憩に顔を出したランツは、椅子に座り込み忌々しげに言った。


「もし在庫が底をついたら、僕は魔術局の前で座り込みの上断食をするね」

「やめてくれ」


 ランツは壊滅的に交渉が下手だ。というより、そもそも話し合いをしようとしない。

 一方的に要求を通そうと高圧的な態度を取って、取り返しがつかなくなるほどその場を拗らせてしまう。


「聞きたいんだが、今までどうやって発注を掛けていたんだ?」

「そりゃもう粘り強くやるんだよ。相手が『うん』と言うまでその場から動かないとか」

「……悪質だな」

「ひどい言い草だね」


 しかしランツは、本気でその方法が一番良いと考えているようだった。

 魔術局へ行くのに何度か同行したが、とにかくごねて、ごねまくる。隣にいるのが恥ずかしくなるほどの屁理屈が、次から次へと口から出てくるのだ。


 それでも魔術局は応じない。むしろ回数を重ねるごとに状況は悪くなっているように思える。


 トポル局長はランツの発言にもにこにこと微笑むだけだ。おそらく「なんとかなるんじゃないかなぁ」くらいに考えているのだろう。


「普通に話を持ちかけたところで、聞いてくれやしないんだから」


 不満げに唇を尖らせて、ランツは苛々と続ける。


「魔術局は僕が一人になってからずーっとあんな感じだよ。本当に意地が悪い」

「一人になってから? 他にも印刷技師がいたのか?」

「当たり前だろ。僕がここに入ったころはあと二人いたんだ」

「ああ、懐かしいねぇ」


 トポル局長はどこか遠くを見ながら、焼菓子を口に放り込む。


「来たばかりのランツくん、とっても素直でかわいらしくてねぇ」

「ランツが素直でかわいらしい?」

「文句あるの」

「いや」


 眼鏡越しの瞳がきらりと光ったのを見て、俺は顔を逸らした。

 ランツの素直なころがあったなんて、まったく想像がつかない。トポル局長が笑って言った。


「ランツくんの他にも、熟練の印刷技師さんが二人いたんだよ。でもねぇ、二人とも随分高齢だったから」

「僕が一人前になったとみるや、二人とも辞めちゃったんだ」


 それが三年前、とランツはつまらなさそうに呟く。


 なるほど、若手一人だけが残り、魔術局もそれまで払っていた敬意を向けなくなってしまったというわけか。

 そしてランツなりの奮闘の結果が、あれ。

 なんと言っていいのか困るところだ。


「もうね、ランツくん。みるみる強く頼もしくなっちゃって」

「照れますね。ありがとうございます」


 その頼もしさはだいぶ間違った方向に転がってしまったように思えるが、そんな経緯があるのなら、頭ごなしに否定するのも良くない。しかし、このまま材料を用意できないのも困る。


 ランツはずるずると椅子に身体を沈ませながら呻いた。


「あいつら、早く印刷局がなくなればいいと思ってるんだ」

「それは言いすぎだろう」

「言いすぎなもんか。あーあ、かつては魔術師と印刷技師は手を取り合って魔導書を作ってたっていうのに、不義理なもんだ」


 文句を言いながら丁寧に指を拭くと、ランツは脇に積んでいた魔導書を一冊手に取った。「犀利の書」と題された淡黄のそれは、主に刃物の手入れに関する魔術をまとめた書だ。なんだかむず痒い気分になる。


 犀利の書は、「どうせ作業速度が落ちるなら」と俺とランツで話し合い、工程をあれこれ試して作った魔導書だ。初めて俺が自主的に作ることを許された一冊。

 横からランツが「エルフリート殿下、本当にそれでいいの?」と何度も聞いてくるのには参ったが、あまりに楽しそうにからかってくるものだから、邪険にもできなかった。


 トポル局長の力を借りて文字を版に落としたあとは、ランツが首を捻りながら、印刷機を回していた。

 いつもとは違うことをやりたい、とちょこまかと歯車や部品を調整していたけれど、俺には何が違うのかよく分からなかった。


 それでも、インクに塗れたランツが稼働音のなかで楽しそうにしていると、なんとなく「まあいいか」と思えてくる。

 ここで働き始めてから、俺は少し寛大になったのかもしれない。


「良い出来だよねぇ、その魔導書」


 トポル局長がにっこりと笑って言う。

 戸惑う俺が口を開く前に、ランツが顔を起こして眼鏡を押し上げた。


「僕が刷ったんですから、当然です」

「そうだよねぇ〜」

「…………」


 この二人の話に、口は挟むまい。

 ほのかな喜びをそっと胸に隠しつつ、俺はカップへと指を伸ばし、そっと笑った。




 ◆





 普段より穏やかな進度で印刷を終えてから、ランツはゆっくりと印刷機の歯車を止めた。

 巨大な機体は軋みながらも、眠りにつくかのようにその動きを緩め、やがて静かになった。


 これまでは、俺がいる間にランツが機械を止めることはなかったが、最近はトポル局長が帰って少しすると、ランツはこうして作業を終えることが多くなった。

 俺が長々と印刷局に居残るようになったせいもあるだろうが、ランツは「急いでも仕方ないからね」なんて、らしくないことを言ってみせる。


 ここで働き始めて三月。

 ランツの言う通り、魔力を宿す機械そのものがある種の意思を持っていることは、俺も少しずつ理解している。

 ランツが部品を調整するときは機械も規則的に稼働音を鳴らしているが、下手に俺が手を出せば、ガシャガシャと耳障りな音を立てるのだ。

 まるで、俺に手を出されることが不満だ、とでも言うように。


「エル、また見てるの?」

「ああ」

「よく飽きないね」


 手の甲で鼻を擦りながら、ランツが脇から俺の手元を覗き込んでいる。

 視線の先には、御影の魔導書。ランツには自由に見ていいと言われているから、こうして仕事終わりにじっくりと眺めることができる。


「いいだろう。何度見ても興味深いんだ」

「別に責めてるわけじゃないけど?」


 にやにやと笑いながら、ランツは椅子を引き、俺の隣に座った。そして手袋を外して頁を摘み、その手触りを確かめる。


「やっぱりこの用紙を使うなら押圧式の方がいいのかな。輪転式でも原本に近づけられなくはないけど」

「随分やる気だな」


 真剣な口ぶりについ驚いて言うと、ランツは一瞬目を見開き、それが決まりが悪そうに手袋を弄んでみせた。


「……言ってみただけだよ」

「別に責めてるわけじゃない」


 からかうような笑みを向ければ、ランツは「やな感じ」と返す。けれど表情は少しだけ緩んだ。


「大分暗くなってきたね」

「ああ」

「エル、これ点けて」


 押しつけられたランタンを受け取り、俺はランツを見返した。期待に満ちた眼差しに、ため息をつきながら頁をめくる。

 もう何度かくり返した指の動きのあと、「灯せ」と呟き、ランタンに火を入れる。ランツはそれを、飽きもせず眺める。


「お前こそ、飽きないな」

「だって不思議じゃないか。僕にはできないし」


 そう言い切る口調は楽観的だ。御影の魔導書に複雑な思いを抱いていたであろうランツが、魔術の生みだす奇跡に惹かれている。

 俺はほんの少しだけ、ランツの心に引っかかっていたものを外す手助けができたのかもしれない。

 ランツがぽつりと呟く。


「エルはさ。何か秘密はないの」

「秘密?」


 ランツは顔をこちらに向けた。

 今度は子どものような悪戯っぽい笑みだった。


「そう。僕だって秘密を言ったんだから、公平にいこうよ」

「公平って……」

「あ、王族のドロドロの色恋沙汰とかは要らないからね」

「元々そんなものはない」

「なんだ、残念。じゃあエルの恥ずかしい話でもいいよ」


 背もたれに体重をかけてランツはテーブルの上で指を組んだ。完全に面白がっている。


「秘密……」


 なぜわざわざそんなことをこいつに、と思いながら、俺は指先を口元に当てて、揺れる火を見つめた。橙がすっと天まで伸び、空気の端を焦がしている。


 秘密。恥ずかしいこと。


 ふと遠いある日のことがぼんやりと浮かび、気づけば俺は口を開いていた。


「……俺が十六のとき、一番上の兄に男の子が生まれた」

「うん」

「兄も義姉も、もちろん他の家族もとても喜んでいて、国を挙げての祝事も盛大に執り行われて……」

「そういえばそんなこともあったかも」


 俺は何を話そうとしているのだろう。

 自分でも話の行き着く先が分からぬまま、衝動に任せて続ける。


「自分に甥ができると思ったら嬉しくて、もちろん生まれたての赤ん坊は柔らかくて、かわいくて……でも」

「でも?」

「がっかりしたんだ」


 当時、漠然と感じた落胆だ。その不謹慎な想いは誰かに言えるはずもなく、胸の奥底にしまいこんでなかったことにしていた。

 それが突然、浮かび上がってきた。


「自分でも驚いた。王位なんて興味がなかったはずなのに」


 素直に喜べない自分が恥ずかしかった。

 尊敬する兄の祝い事だというのに、仄暗い感情を持った自分の人間性を疑った。


「でも生まれたての赤ん坊の顔を見て、ああ、これで俺は本当にただの三番目の王子として終わるんだな、と思って、がっかりした」


 本当に、王位が欲しいわけではないのだ。

 でもきっと俺は、自分でも気付かないほどの、わずかな期待を抱いていた。

 例えば兄たちが何らかの理由で父の跡を継げなくなってしまったら。

 そうしたら、もしかしたら、俺が。


 そんな浅ましい欲があった。そして目の前に現れた無垢な存在に、俺の浅ましさは暴かれてしまった。

 第三王子としての立場に甘んじるふりをしながら、俺は贅沢にも、与えられた身分にひそかな不満を抱いていたのだ。

 不満を抱くこと自体が、間違っているというのに。王となるべき覚悟も資質もないというのに。


「……恥ずかしい話だ」


 そしてランツにとっては聞きづらい話だっただろう。

 期待されていたものとは違うことを口走ってしまった自分に嫌気が差した。

 ごまかすように立ち上がろうとしたとき、ランツの手が伸びて俺の手首を掴んだ。驚いて顔を見れば、思いのほか真剣な表情がそこにあった。


「話としては面白くなかったけど」

「……悪かったな」

「でも、恥ずかしい話でもないと思う」


 ランツは一瞬目を宙に逸らした後、再び俺の顔を捉える。


「たとえ期待していなかったとしても、可能性があったものが無くなったら、誰だってがっかりするさ」


 言葉をひとつひとつ選ぶような口調だった。でも、その場限りのごまかしを差し出そうとしているわけではなかった。


 可能性があったものが無くなる瞬間。

 ランツにもそれが分かるのだ。


 普段は思ったことをそのまま吐き出すランツが、今持ち得るなかで、一番良い言葉を選ぼうとしていた。


「それは多分、悪いことじゃない」

「…………」

「悪いことでも、恥ずかしいことでもないよ」


 手首を握り直して、ランツは言う。

 ランタンの火が小さく揺れて、作業場の床に二人分の影を落としていた。


 その火に呼応するように、胸の奥がざわりと揺らめく。正体の分からない揺らぎに押し出されるように、俺は目の前の男の名を呼んでいた。


「ランツ」


 丸い目がゆっくりと瞬く。

 俺はその動きからも目を逸らせずにいた。


「お前、案外いいところあるんだな……」


 ランツはそれを聞いて、呆れたように笑う。


 笑った顔に、俺の胸はまた揺らめいた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る