第9話 変なかお

 


「ランツ。ここは別な用紙に変えるか、新たにインクを足したほうがいいんじゃないか? 光沢の入り方が元のものより弱い気がする」


 仕上がった用紙を一枚透かして声を掛ければ、印刷機の上からするするとランツが降りてきた。そして「ちょっと見せて」と俺の手から用紙を受け取り、顎に手をかける。


「たしかにそうかもしれない。でもこれくらいなら、素材を変えなくても輪転部分の圧を強めるだけでいいかも」

「調整だけでいけるものなのか?」

「どうかな。やってみないと」


 にっ、と笑ってみせるランツは楽しげだ。

 一応の和解を見せてからというもの、作業効率はぐっと向上したように思う。

 とはいっても実働三人……そのうち一人は無理のできない年齢だ。それでも仲違いをしていたときと比べて、作業場の空気も、交わされる会話の温度も段違いに良い。


「いやぁ、仲良しに戻ってよかったねぇ〜」

「局長」


 事務所から顔を出した局長が、陽気な声でそんなことを言ってくる。

 沈黙する俺の横から、ランツが顔を出して憮然と答えた。


「局長。そもそも元から仲良しだったことはないですし、今も仲良しではないです」

「そうなの?」

「僕の面倒見が良いのでそう見えるのかもしれませんね」

「お前な」


 一体どの口がそんなことを言うのか。

 口出ししようとしたところで、ランツは「あ」と口を開き、そのままインクの並ぶ棚へと駆けて行った。

 遠くからガチャガチャとなにかをひっくり返す音が聞こえたあと、澱んだ目のランツが肩を落として戻ってきた。


「今日は、いま機械に掛けてる分で終了だ」

「どうかしたのか?」

「僕としたことが、インクの追加発注を忘れてた」


 そう言われてみれば、棚は随分寂しくなった。足りなくなると、都度ランツが保管庫から補充していたが、その補充すらなくなったということだろう。

 この場合、どうすればよいのか。

 俺が尋ねようとする前に、小柄な身体は印刷機二号と三号の間に入り込んでしまう。

 そのあとを追ってみれば、ランツは器用に身体を折り曲げ、じっと用紙がはけていく様子を見張っていた。


 その日の湿度によって、用紙を巻き込む輪転部分の調子は変わる。ランツは少しでも部品の異変を感じると、動いたままの機械の隙間に手を突っ込み、素早く不具合を修正する。

 歯車が稼働しているなかに手を差し込むさまは、側から見ていてもハラハラするが、ランツは「僕はこいつらと信頼関係ができてるから大丈夫」などとのたまう。


 ある程度刷り終えたところで、ランツは二号の稼働を止めた。そして腰に差した工具をテーブルの上に並べ、事務室に向かって声を投げかける。


「トポル局長。少し外します」

「はぁい」


 どうやらどこかへ出かけるらしい。

 眼鏡を外して拭き始めたランツの肩を叩いて、俺は尋ねた。


「ランツ、どこへ行くんだ?」

「魔術局だよ」


 魔術局、とは国の魔術師が集まる王立機関だ。

 人々の生活を支えるブロックの研究と製造を一任されていることもあり、当然ながらこことは比べものにならないほど規模が大きい。

 魔導書のインクには魔術が込められている。となると、頼るべきは魔術局となるわけか。

 ランツが吐き捨てるように続ける。


「頭のかたい連中からあれこれぶん取ってこないと」


 その顔は、過去最高に不機嫌そうに歪んでいた。



 ◆



 あれこれぶん取る、と意気込んでいたランツだったが、結果は惨敗だった。


「信じらんない! なにさあのジジイ! 話もろくに聞かないで!」

「……ランツ、飲みすぎだぞ」

「なにが『そんなもの後にしろ』だよ! どうせ自分はやることもなくて茶すすってるだけのくせに!」


 俺とランツは街中の酒場にいた。

 外はすっかり暗くなって、店の中は俺たちを含めた仕事終わりの労働者たちで賑わっている。

 ランツは「きいい!」と金切り声を上げると、もはや何杯目かわからない杯を煽った。

 何度目かわからないため息が出てしまう。


 何事も経験、と思いランツへ付いて魔術局を訪れたはいいものの、受付にいた中年の男に声を掛けると、やる気のない返事をされた。

 そして男はランツの顔を認めるやいなや「今日は忙しいから発注は聞かないよ」と言ってのけたのだ。俺はそこで敗北を確信していた。


 しかしランツは黙っていなかった。

 事前にしたためてきた発注票を受付に叩きつけ「いいからこれをちょうだい」と告げたのだ。それはもう高圧的に。


 こうして平行線のまま言い合いは続き、ランツが俺を指して「こいつが誰か知らないのか!?」なんてやり出したあたりで、無理やり撤収してきたのだ。

 魔術局で王族が無茶苦茶な騒ぎを起こしたなんて噂が立ったら、家族に顔向けできない。


「ちくしょう、明日こそは発注を受けさせてやる」

「時期を改めた方がいいんじゃないか?」

「甘いね、エル。あいつらはいつ行っても『そんなものに割く労力はない』なんて言うのさ。だから! 戦わないとだめなんだ! エル、君も男だろ! なぜ戦わなかったんだ!」

「あー、分かった分かった」


 絡んでくるランツを押しとどめながら、俺はこっそり息を吐いた。

 それにしても、うすうす予想していたとはいえ、魔導書の素材ひとつ用意するのにも骨が折れる。おそらくランツは……方法や手段はどうあれ、毎回苦労して復刻印刷をしてきたのだろう。


 以前局長がランツを「もうちょっと人当たりの柔らかい子だった」と評していた理由がなんとなく理解できた気がした。

 発注ひとつするにも戦わなくてはいけないという状況が、この馬鹿の性格をどんどんひん曲げていったのかもしれない。


 シュテーデルの家を出たとき、ランツは十四だったという。

 魔術とは関係のない道を、と印刷技師を志したものの、結局は魔導書に惹かれて印刷局へ足を踏み入れた。

 密かに俺が同情していると、突然ランツの動きがぴたりと止まった。


「ランツ?」

「ねむい」

「え? う、わっ!?」


 ぽつりと呟いた瞬間、ランツは突然倒れるようにテーブルに頭から突っ伏した。

 ゴツ、と鈍い音にひやりとして、恐る恐る前髪を寄せて見れば赤くなっているだけだ。右手にはしっかりと杯を握りしめたまま。


「ランツ、おい」


 腕を伸ばして肩を掴み揺さぶるが、ランツはむにゃむにゃと口を動かしてはみせるものの、まるで起きる様子がない。

 こいつ、いきなり酔いが回るのか。

 かなり強く身体を揺すっても、ランツはびくともしない。前に寝込んでいたところを起こそうとしたときもこうだった。普段ちょこまかと忙しなく動いている分、眠るとなると、機械を止めたように大人しくなる。


「お客さん! 寝込まれるのは困りますからね!」

「あ、はい」


 ランツの様子に気付いたのだろう、勘定台の方から、女将さんの張った声が飛んできた。それにもランツは「ぐう」と答える。

 致し方ない、と俺は腹を括ってランツの後ろへ回り込む。


「……ランツ!」


 テーブルにへばりついた身体を引き起こすが、首がぐわんとのけぞっただけだった。

 かえって俺が重心を崩して倒れ込みそうになったものの、なんとか耐えてぐにゃぐにゃに脱力したランツの身体を支える。


「あー、もうだめだねぇ! それは」


 隣のテーブルの酔っ払いがにやにやと声を掛けてくる。だめなのは俺だって分かっている。ただ、この軟体動物をここに置いていくわけにもいかない。


「起きろ! 寝るな!」


 結局俺は、ランツをずるずると引きずっていく羽目になった。

 なんとか女将さんにお代を手渡し、店先まで出ようとしたところで、周りの客たちに「家まで引きずっていく気かい!」と囃し立てられる。


「せめておぶってやりなよ、兄ちゃん!」

「え」

「いいからいいから」


 あれよあれよという間に、周りの手を借りてランツは俺の背中へと収まった。


「兄ちゃん、人を背負うの慣れてないなぁ〜」

「…………」

「眼鏡の兄ちゃんを落とすなよ!」

「……はい」


 慣れていないどころか初めてだ。だてにぬくぬくと温室育ちで来ているわけじゃない。

 俺とランツ、というかランツを背に乗せた俺はよろよろと店を出た。

 ランツは驚くほど軽かった。しかしいくら軽いといえど、ランツには力が入っていないから、油断するとすぐにずり落ちてしまう。


「はあ」


 夜道を少し歩いては、下がってくる身体を背負い直して、また歩き出す。腰がじわじわと痛む。なんという不毛な旅路。店から出たはいいものの、ランツの家がどこにあるのかは、全く分からなかった。


「ランツ、お前の家はどこだ」

「んー」

「んーじゃないだろ」

「ぐぅ」


 ……こいつ。

 話にならないとはこのことだ。時折肩口でランツが不気味に笑うたび、強い酒の匂いが鼻をつく。

 家が分からないとなると、ランツを連れて行く先の候補は二択が考えられる。

 ひとつは印刷局。もうひとつは宮殿だが、これはナシだ。服を汚したどころの話ではなくなってしまう。「まあ、エルフリート殿下がご友人を連れていらしたわ!」などと大騒ぎになる。メイドたちに揉まれて、これ以上疲弊するのは避けたい。


 というわけで、俺は仕方なく印刷局へ向かった。

 ランツを背中から下ろして上着のポケットを探ると、見覚えのある鍵が出てきたから、それでドアを開ける。

 事務室にある大きめの長椅子は書類やら荷物で隠れていたから、乱暴に退けてランツを無理やり寝かせた。ぼすんと身体を埋めたランツは、その衝撃も気にならないようで、くうくうと規則的な吐息をくり返している。


 ここまでこなしたところで、もう俺は汗だくだった。長椅子の傍らに座り込んで、上がった呼吸を整える。


 男一人を運ぶのがここまで重労働だとは知らなかった。これはたぶん、知らなくてもいい知識だ。


「おい」


 この野郎、とランツの額を小突いてやる。

 あれだけ普段文句を言っておいて、俺にここまで世話を焼かせるとは。

 ひとつため息を吐こうとしたとき、眼鏡の奥の目蓋がびくりと震え、ゆっくりと開かれた。焦げ茶の瞳が俺を映し、小さな唇が音を紡ぐ。


「……エル?」


 咄嗟に反応するのを忘れるくらい、幼い口調だった。嫌味や刺々しさをすべて削ぎ落とした、飾り気のない声だ。

 俺は驚いて、戸惑って、どんな風に答えればいいのか分からなくなった。

 ランツはそんな俺を見て、これまた無邪気にへにゃりと頬を緩める。


「変なかお」


 なんだと、と返してやりたかった。

 でも、なぜかできなかった。

 ランツは口の中で「ふふ」と小さく笑い、そのまま目蓋を閉じた。口元は緩んだままで、俺はなんとも形容しがたいむず痒さが、胸に広がっていくのを感じていた。


「……変なのは、お前だろ」


 またしても眠りかけたランツに言ってみるが、反応はない。眼鏡が邪魔そうに見えて、俺は無意識に手を伸ばし、取ってやる。

 外した瞬間、指先がランツの肌に触れた。

 ほんの少しだけだ。でもその感触が、いやに指先に残る。


「ん〜」


 ランツはわずかにみじろぎをした。

 そのうち手足を縮こめて、小さく身体を丸め、安心したように息を吐く。

 このまま寝かせておきたいような、今すぐ起こしてしまいたいような。

 自分でもよく分からない葛藤が生まれ、戸惑った。


 そして傍らのランタンの火が落ちるころ、俺の意識もまた、闇に溶けていったのだった。





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