第5話 手強い技術者

 

 俺がやりたいことは、何なのか。

 自分なりに考えてみた結果、自分の中で答えは出た。しかしそれは俺一人の力では到底実現できない。魔導書に詳しい者の力を借りる必要があった。

 だから俺は、その頼みを真摯な気持ちで口にしたつもりだった。

 同じく魔導書に携わる者として、ランツの仕事への情熱に敬意を払った上で、協力してもらいたいと思ったのだ。

 しかし悲しいかな、相手が悪かった。

「いやだ」

「ん?」

「君の相談は聞かない」

 にべもなくランツは、そう断った。

 そりゃもうバッサリと。何のためらいもなく。

 ぐ、と悔しさで喉の奥が詰まったが、俺は負けじと言葉を重ねる。

「相談の中身くらい聞こうと思わないのか」

「思わない。僕には僕の予定があるし。それにエルって、理屈っぽくて話が長そうだし」

「…………」

「作業予定を遅らせるわけにはいかないんだよ。うちは常に人材不足だからね」

 ランツは素っ気なく言い放つと、「仕事仕事」と呟きながら腕まくりをしながら印刷機の隙間へと身体を滑り込ませていった。

 間もなくしてカチャカチャと部品をいじる音がする。

 俺の言葉はランツの頭からは霧散してしまったようだった。

 そうだった。こいつは、こういう奴だった。

 昨晩兄に諭されて、なんとなくランツへ向けていた薄暗い気持ちが晴れたような気になっていたけれど、あれは気のせいだった。

 そもそも他人に興味がない男だ。俺と考えが違う、以前に考えの重なるところがほとんどないと言っていい。

 しかし俺はめげなかった。ランツを真似て印刷機の間に半身をねじ込み、そこにしゃがみ込んでいる小柄な男に声を掛ける。

「ランツ。少しくらい聞けよ」

「君もしつこいな」

「話を聞くくらい良いだろう」

「良くない。集中したいから」

 そしてまたお得意の手をひらひら攻撃。

 あっちへ行け、の合図だ。こちらに視線を向けようともしない。

 それでも俺は退かなかった。ランツには、たかがひと月しか働いていない奴が何を、という気持ちもあるのだろう。ただ、意見すら聞かないという態度には腹が立った。

 ということで、忙しなく手を動かすランツを相手に、俺は勝手に「相談」の内容を話すことにした。

「『御影の魔導書』の復刻をしたい」

 その名を出した途端、ランツの手がぴたりと止まった。

 ゆっくりと首が動き、焦げ茶の瞳が俺を見据える。

 その顔には表情がなかった。

 普段浮かべている嫌味な笑みが消えたことにわずかに違和感を覚えながらも、俺は構わず続ける。

「お前が知ってるかどうかは分からないが、魔導書が製作され始めた黎明期に生まれたものだ」

 魔術師が術式を記し始めたころの魔導書は、当然のことながらまだ中身が薄かった。

 魔術師にも得意不得意があるから、それぞれ得意な術式を別個に書の形にしていたのだ。

 それを全て一冊の形にまとめ、なおかつ庶民が簡単に扱えるよう詳細な解説を加えたものが「御影の魔導書」だ。

 この書が作られたことにより、当時魔術師の手慰みとして見なされていた魔導書は庶民にも受け入れられ、国内全体の魔術の素養の底上げにも繋がったとも言われている。

 さらに、その後生まれた魔導書は、すべて「御影の魔導書」を手本として作られている、というのが定説だ。

 つまり、「御影の魔導書」こそが、魔導書の大元であり基礎だったのだ。

 俺はその書に、ずっと強い憧れを抱いてきた。「御影の魔導書」の復刻をしたくて、印刷局での勤務を希望し続けてきたともいえる。

 ひとつの文化を生み出した、はじまりの魔導書。

 だが、「御影の魔導書」が生まれたのは約三百年前。魔導書愛好家のなかでは有名なそれも、一般的にはほとんど忘れ去られた存在となった。今に至るまでに当時の資料は散逸し、その内容はわずかな手がかりから大まかに窺い知れるだけだ。

 しかし俺は学生時代から、ひそかに「御影の魔導書」の内容を再現する作業を続けてきた。

 中身はあと少しで完成する。ただ、「そんなつまらないことを」と馬鹿にされるのを恐れて、誰にも言い出せなかっただけで。

 他の魔導書からも痕跡をかき集め、時間をかければ、きっと復刻できる。俺はそう確信していた。俺のもとにある資料と、局長の魔術と、そしてランツの印刷技術があれば。

「魔導書の中でも特に内容が優れている。歴史的価値もある。だから」

「絶対にやらない」

 俺の言葉を遮り、ランツは鋭く言った。

 先ほどまでのどこかふざけた色は消え失せ、温度のない声だった。

「あんなもの復刻しなくていい」

 あんなもの、という言い方にカチンと来たが、俺はそれ以上に驚きを感じていた。

 魔導書自体に興味がないランツが、さほど有名とはいえない書の存在をしっていたことに。

「ランツ、お前『御影の魔導書』を知ってるのか?」

「……知識としてね」

 ランツの表情は動かないままだった。これまでにはなかったことだ。魔導書の選定は局長が無造作に行い、ランツがそれに反対したのを見たことがない。

 保管庫から引っ張り出された書をめくり、「これは刷ったら楽しそうですね」と笑うだけだ。

 黙り込んだランツに、俺は戸惑いながらも言った。

「別に今すぐやりたいというわけじゃない。今の予定を崩さない程度に、いずれやりたいというだけで」

「何のために?」

「え?」

 ランツは音もなく立ち上がると、俺の目の前まで歩み寄ってきた。

 向けられた視線には、敵意にも似た感情が混じっている。

「それはエルフリート殿下からの、王族としての命令?」

「ランツ、それは違う」

「じゃあ印刷局の研究員としての意見だよね? じゃあ結果は決まってる。その書の復刻はしない」

「なぜだ?」

「僕がそう決めたから」

 なんだそれは。

 ランツは手袋をはめた手で拳を作ると、軽く俺の胸に当てる。顔に貼り付けた笑みは、自嘲しているようにも見えた。

「エル、この場所で変な期待を持ったらだめなんだよ」

「変な期待?」

「そう。僕らは王立の印刷局の職員で、絶版になり忘れ去られた魔導書を復刻をするのが仕事。それは間違いない」

 でも、とランツは続ける。

「誰からも必要とされない仕事だ」

「…………」

「王族のお情けで残されているだけさ。明日ここがなくなって、魔導書が一冊もなくなったとして、困る人間がこの国のどこにいる?」

 だから、変な期待や使命感なんて持たない方がいい。

 ランツは淡々と言うと、俺の胸から手を離した。

 現実を突きつけられ、俺はしばし呆然としていた。

 分かっていたことだ。

 ブロックという新たな技術が生まれた以上、魔導書の復刻は単なるひとつの文化の保全に過ぎない。

 それは幾度となく言われて、理解している。

 ただ、その作業にすべてを注ぐランツの口から「必要とされない仕事」だと吐き出されたのは衝撃だった。

 だが、俺はなおも食い下がった。

「それと『御影の魔導書』の復刻ができないことは関係ないだろう」

「関係ある。あんな古い時代のものを復刻するのは手間がかかる。インクも用紙もこれまで使っていたのとは全く違うものを発注しなきゃいけない」

「…………」

「予算が下りるはずがないんだよ」

 ランツの言うことはもっともだった。

 印刷局で復刻されるのは比較的時代が新しいものばかりだ。限られた時間の合間を縫って古いものに手を出すとなれば、負担は大きい。

 ただ、ランツが渋る理由は、それだけではない気がした。

 けれどその真意を探りきれず、俺は苦し紛れに負け惜しみのような言葉を口にしてしまった。

「……自信がないのか?」

「は?」

「黎明期の技術が必要だから、自分では復刻印刷はできないと思ってるんじゃないのか?」

 完全に言いがかりだった。

 子どもが駄々を捏ねるような浅はかさで、俺はランツに言い募る。

 ランツの顔には、明らかな憤りが見えた。

「そんなわけじゃない。僕ならできる」

「だったらやって見せろよ」

「僕の話を聞いてなかったの?」

「自信がないと言ってるように聞こえたな」

「エルの鼓膜には蜘蛛の巣でも張ってるんだろうね」

 よせばいいものの、俺は冷静に自分を制することができなかった。

 そしておそらく、ランツも。

「大体エルはまだ新入りのくせに生意気なんだよ。少しは働けるようになってから提案したら?」

「提案したところで意地の悪い印刷技師が却下するんだろうな」

「夢見がちな提案だったらもちろんそうするさ」

「どうせ俺が言うことは全部夢見がちだと言うんだろう」

「君はお花畑育ちだからね。現実を見れるか怪しいもんだ」

 俺たちはお互い急に話を進めすぎて、相手を言い負かすことにやっきになり始めていた。

「できないなら素直にそう言ったらどうだ」

「だからできないなんて言ってない!」

 話はまさに並行線を辿っていた。

 いつしか話は本筋を離れ、ただの白熱した言い合いと化していった。

「ああもう! 話すらまともにできないのか君は!」

「話に応じないのはそっちだろう!」

 そう言って、怒りに任せ俺が印刷機を軽く叩いた瞬間、ランツは目を剥き、力任せに俺の手を取った。

 その表情は昔母が飼っていた小型犬の威嚇に似ていた。

「何をするんだ君は!」

「軽く叩いただけだ!」

「もっと丁重に扱え! 君なんかよりもずっと価値のある機械なんだぞ!」

 今度は強く胸を叩かれた。

 俺はもう何に対して怒っているのかも分からないまま、「この野郎」とランツの胸ぐらを掴み返す。

 もちろんランツも一歩も退かなかった。

「この甘ったれ王子! 税金泥棒!」

「なんだと!」

「ちょっとこき使ったくらいで毎日ヘロヘロになりやがって! のろま! 軟弱野郎!」

「誰がのろまな軟弱だ!」

 もはや機械音が静かに思えるほどに、俺たちは互いを罵り合っていた。

 ひとつだけ幸いだったのが、俺もランツも、暴力に訴えるほどの度胸はなかったということだ。

「あらあら、けんかはよくないよぉ」

 結局、局長ののんびりした仲裁が入るまで、俺たちは無意味な口喧嘩を続けたのだった。

 そしてこの日を境に、俺とランツはほとんど口をきかなくなった。







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