10 完璧な幸福

 ――時は流れて、高校三年生の冬。


 わたしは両親の前で、自分の歩き方を披露していた。

 小靴をはいて、楚々として歩く。最初は慣れなかったけど、もう今ではすっかりお手の物だ。あんな大足でどたどた歩いていたなんて、自分の子どもっぽさが恥ずかしい。


「どう? なかなかでしょ。ねー、こんど新しい靴を買ってよ」

「おお、紅玉……」

 ママは急に、床にがばっとふせた。


「紅玉、ごめんなさい……あんなにひどいことばかりして。ママは、あなたが歩けなくなったらと思うと心配で……でも、もうあんなことしないわ。あなたは完璧な足になったわ……とっても素敵よ……さあ、ママを好きなだけぶってちょうだい!」


「ママ、顔をあげてよ」

 そりゃあ、最初はひどいことばっかりするって思ってた。でも纏足の後の歩行トレーニングがうまくいかないと、足がゆがんで歩けなくなるのは事実だ。


 ママは、わたしのためを思ってやってくれたんだ。それに、寝る時間も惜しんで、わたしの小靴をたくさん作ってくれたの知ってるよ。


「ママがわたしのためを思ってやってくれてたのはわかってる。ありがとう、ママ……」

「ああ、紅玉。愛してるわ!」


 抱き合うわたしとママを、パパは目に涙をにじませて「うん、うん」と見ていた。

 ……温かな家族愛。よき夫、よき妻、よき娘。わたしは美しく成長した……なにもかもこれでいいんだ。


 でも、わたしの心には、時折、仿蘭の顔がちらつく。


 仿蘭とは別の高校に別れてしまった。山岳部があるから、というのがその理由だった。もう連絡を取ることもなくなっちゃった……いやいや、だから何だっていうのよ。どうでもいいじゃない。

 とにかくわたしは、今は完璧に幸福なんだから。

 

 ――大学に入学したわたしは、モテまくった。


 男の子たちはみんなわたしにケーキをおごりたがったし、パパからも次々と見合い話が持ち込まれる。

「紅玉、この人の息子さんがどうしても会いたいんだって。すまないが、時間を取ってくれないかなあ」と。

 友達からも「やっぱ紅玉は素敵よねー。その足の小ささに勝てる人なんていないわ」といわれる。


 ――そりゃあ、気分はよかった。

 もう「大足女」なんていわれたわたしは、どこにもいない。


 いまやわたしは人生の勝利者。思うがまま。やっぱり、纏足は女の誇りよ。纏足はわたしを救ってくれた……。


 その日もわたしは得意の絶頂だった。お金持ちのボンボンたちが集まる、最高ランクのパーティー。男たちは、花束と自分の手作りケーキをわたしにもってくる。でも、わたしはそんなのに飽き飽きしていた。


「あーあ。みんなイケメンでみんなエリートでみんなやさしくて……何だかタイクツ」

「紅玉ったら、なに贅沢いってるのよ! そうだ、あの人はどう? 財閥の御曹司でめちゃかっこいいんだけど、変わり者って噂よ」


 晴瑛は、遠くにいたその人を指さした。


「変わり者?」

「小さい足が好きじゃないんだって」


 ――まさか。

 その男性は、わたしに目をとめるとこっちへやってきた。


「紅玉ちゃんだよね?」

「あ、あなたは……馬君武!」


 彼は、ママに連れられていった陳さんの庭で会った、おかしな男の子だった。

 ずいぶんと背が高くなって、顔もますますゴリラっぽくなって……わたしはスーツ姿の彼にドキドキした。


「ちょっと話しない?」

 わたしはみんなから離れて、君武と二人きりで向き合っていた。


「ひさしぶりっ、元気してた? 紅玉ちゃんもこのパーティーにきてたんだね」

「ま、まあね……」


 ボンボンばかりが集まるパーティーだから、この子がきててもおかしくないけど……なんだか、口を開くとガッカリするなあ。黙ってると、たくましくてとっても素敵なのに。


「あっ、どうしたの、その足! 纏足したの?」

 彼は、まるでわたしが足を骨折しているみたいにいった。


「ど、どうしちゃったのさ。まさか……無理やり纏足させられたとか?」

「は?」


「男の子を女の子として育てたかった親が、いやがる男の子を病院へ連れて行って、無理やり纏足させたって事件があったんだよ。そういうこと? でも、そんなのいけないよ。本人の意志がなにより大事で……」


「これは、わたしの意志でやったのよ」

 わたしはぴしゃりといった。


「わたしは主体的に纏足してるの。余計な心配しないでちょうだい」

「そ、そっか……」


「……あなた、纏足してる女が嫌いらしいけど、そうなの? だから?」

「いや、差別するつもりじゃないけど……痛々しいだろ。かわいそうで見てられなくって……」


「かわいそう、ですって?」

 なぜだかわたしは、急にむかむかしてきた。


「これはわたしの自己表現なのよ。わたしはわたしの足を誇りに思ってるわ」

「そ、そっか。ごめんなさい……」

 君武は、けっこう素直に謝った。


「わたし、もう行くわ。友達が待ってるから」

「紅玉ちゃん……きみ、変わったね」


 その言葉は、わたしの胸に鉛のように重くのしかかった。


 フン、あなたなんかに何がわかるっていうの。愛されるためなら、両足を捧げることくらいなんでもないわ――。

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