第5話 ちょっといま、これからほんとに

 久礼くれ菜恵なえは翌日の夜まで原稿を送って来なかった。

 書けなけくても日付変わるまでに連絡を入れます、と伝えてきていた。

 久礼菜恵でなければ、お題発表から一日と何時間かで二本も書くなんて、すごい、と感心しただろうけど。

 前の早業を見ているので、わたしは

「さすがの久礼菜恵もこの内容では苦しむのか!」

と、嫉妬と愉悦を感じて、待つ。

 心が不健全にねじ曲がった、法人勤務のさえない女性、笹川ささがわ律子りつこ

 わるいやつだ、と思って、ふふん、と得意げに笑ってみる。

 そして、またもコーヒーを入れたところに着信がある。

 今日は、帰ってすぐではなく、帰ってからご飯を作って、食べて、うたた寝して、というか寝落ちして、そのあと起きてからコーヒーを入れたのだけど。

 だから、時刻はずいぶん遅い。

 送信者が「くれなえ」であることを確認して、開く。

 さて……。

 「まず、災害のを送ります。こちらが著者ささっちゃんさんがいいと思います。大幅に改変してしまったので、もしだめということでしたらわたしが引き取ります」

 「こっちが、パリのミステリーのです。こっちも、殺人にすると大事で、どうしても長くなるので、たんに気を失っただけにしました。よかったら、こっちをわたしにいただけますか」

 今日は、前みたいな絵文字がない。

 「ちょっといま、これからほんとにバスに乗るところなので、ちょっとこれで失礼します」

 こんな時間にバスって、どこにいるのだろう?

 バスに乗るのがほんとかどうかはどうでもよく、バスに乗るまえじゃなくて、下りてから、家に帰って送ればいいのに。

 よほど、その今日の夜という刻限が気になったのだな。

 法人勤務のさえない女性笹川律子との約束の時間に束縛される、偏差値高めの大学の上辺じょうへん女子学生、久礼菜恵。

 あの、もっさりしていたり、年相応の若々しさを放ったりしている久礼菜恵を束縛するとしたら。

 やっぱり、年相応の若々しさを放っているほうを束縛したいな。

 束縛されても、苦しみを顔に出さないようにがんばって、でも、その苦しみが顔に出てしまう、そしてなぜ自分が束縛されているのかわからないでいる、若々しくて痛々しい久礼菜恵!

 ……などといういけない画像を思い浮かべるのではなく!

 さっそく、自分にくれるという、大災害の話を読んでみた。

 少し読み進めるだけで、忘れた。

 いけない画像はもちろん、自分がその上辺女子学生に嫉妬していたことも。


 ――あの日、小学生だった「私」は、あの災害のとき、ある小学校で、自分と同じ年代の小学生が巻きこまれてたくさん亡くなったニュースを目にした。目にしたことは覚えているけど、何を感じたか、まったく覚えていない。きっと、こんなにうんざりするニュースはさっさとやめてくれないかな、と思っただけだっただろう。

 大学生になり、何不自由なく暮らしている自分は、その日、自分がそう思ったことが。

 いま生きていれば、自分と同じような生活をしているはずのあの日の小学生が、そこで「一生」というものを、むりやり、突然に終わらされてしまったのに、それを「うんざりするニュース」としか思わなかったことが。

 心のなかに小さなささくれとなって残っているのに気づく。

 そして、あの日、ほんとうに何が起こったかを知ろうと、被災地へ、いまは廃校になっているその小学校の場所へと向かう。

 夜行バスに乗って――。


 そこで物語は終わっていた。

 文章は簡潔だったけど。

 なんか、刺さる。

 あのとき、そのニュースをやり過ごしてしまったことへの罪悪感。

 いまになって、その子たちに対して、時を超えて「もうすぐ災害が来るから早く逃げなさい」と語りかけることのできない無念さ。

 ことばにできない、心のなかに残る感覚。

 そんなものが、一度に、わたしの心へとどっと押し寄せてきた。

 そして、

「あ!」

と気づいた。

 「これからバスに乗る、って、それか!」

 こちらが、日々の仕事に疲れ、春色のセーターで若さを発散している清楚色白眼鏡っ子女の子上辺大学生を責める画像などを想像しているあいだに。

 その清楚な眼鏡っ子は、ほんとうに自分のなかの「ささくれ」を見つけて、その「ささくれ」をどうにかするために、そのできごとが起こった場所へと向かっている。

 久礼菜恵。

 なんという恐ろしい清楚眼鏡っ子大学生なのだろう!

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