第26話 橋 4

 沈黙を破ったのはラドゥだった。決して歯切れの良くない訥々とした声で。ラドゥが話出してから少しの間、誰も彼の方を見ようとはしなかった。

「オムー、おらはな……お前さんの言う事はよぉく分かる。だがな、ナティが言った事も、ちったあ考えてみねえか? もし、仮にもし王がおら達の敵じゃなくて味方だとしたら……カサン帝国への服従が見せかけのもんだとしたら、山が一気に動くかもしれねえ」

「期待するだけ無駄だ。貴族、役人、村長、こんな連中は皆我々の上でふんぞり返って私利私欲を貪るだけの人間だ。王ならなおさらだ」

「いんや。そうとも限らねえ」

 ラドゥはオムーの言葉に押し倒されそうになりながらも踏ん張った。ヤーシーン王の言葉は分かりやすく明るく正直で、自分達一人一人に語りかけてくるような響きがあった。あの王様は私利私欲だけに走るような方じゃない。ラドゥは直感的にそう思った。

「それにあの王様は苦労人だ。我々庶民の苦しみも知ってなさる」

「王の苦労など我々のそれに比べたらたかが知れてる。それに苦労人だからこそ、せっかく手中にした権力を思うままに使いたがるものだ」

「だがな」

 ラドゥは粘り強く言葉を重ねた。

「こんなくだけた物の言い方をする『偉い人』ってのをおらは知らねえ。変わった王様だから変わった考え方をするかもしんねえ。ちょっとでも可能性があるんなら、賭けてみてもいいんじゃねえか」

 オムーは少しの間むっつりと黙り込んだ後、尋ねた。

「お前に王の本心を知る策はあるのか」

 ラドゥの意見を取り入れた、というよりはラドゥのしつこさに抗うのが面倒になったのだろう。しかし、ラドゥには、激情型の天才オムーに地味だが粘り強い自分が意見する事でうまく行っていると自負していた。

「なんでも王様は、広く国民の声を聞く姿勢を取ってるって事じゃねえか。庶民に会って直接話を聞く事もあると。我々が反カサンゲリラだって事もスンバ村の出身だという事も隠して王様に陳述書を送ってみてはどうだろう」

「陳述書なんてのは燃やされるのがオチだ。民の話に耳を傾けるなど、見せかけに過ぎん」

「だが、打てる手は全て打たなきゃ我々は前に進めねえ」

「いい情報があるぜ」

 部屋の陰でだらしない格好で煙草を吸っていたニジャイが、不意に明かりに顔を寄せてニヤリと笑った。

「どうやら国王はとんでもねえ好色だって話だぜ。三千人の女を集めた後宮に毎日入り浸ってどんちゃん騒ぎだとよ」

「三千人!」

 皆がうめき声を上げたが、それは驚き、信じられない、という気持ち、それを面白がる気持ち、侮蔑など様々な感情が入り混じっていた。ピッポニアに親近感を抱いているシャク・ジーカのメンバーは、カサンの傀儡であるヤーシーン王に好意的な感情を持っていない。彼らの間にヤーシーン王を貶める情報が出回っているのだろう。

「その後宮にナティを送り込めばいい」

「なんで俺が!」

 ナティは素足を床に打ち付けた。

「クソッタレ!」 

 ヌンは忌々しげに言うと床に唾を吐いた。

「でもあたしは一人で十何人も猿みたいな男どもを相手にしたけど、それよりマシじゃない。三千人もいればなかなかお役が回って来ないから楽じゃん」

それを聞いてナティはくぐもった笑い声を立てた。

「三千人も女がいるんじゃ、ようやく王にお目にかかるって頃にはよぼよぼのばあさんになってるぜ」

「なあに、ナティ程の美人はめったにいねえから、すぐ王の目に留まらあ」

「うるせえ」

 ナティは軽口を叩いた部下を一喝した。

「なにも後宮入りするこたぁねえさ。女好きな王様なら女の話もよく聞くんじゃねえか? 相手がきれいな女ならなおさら」

 ナティは組んだ膝に顔を半分埋めたまま不機嫌に返した。

「女好きな男が女の話をよく聞くとは限らねえ」

「そうか? 王様が悪い女の話を聞き過ぎたせいで国が傾いたって話はよく聞くけどな」 

「女ってのはいつでも災いのもとって訳だよ」

 ナティはむっつりと黙り込み、顔にかかった髪を噛んでいた。

「ナティ、おめえがやりたくねえんならおらがやるさ」

「はあ? 何言ってんだよ! いくら何でもおめえが後宮入りだなんんてさすがに無茶だぜ……」

「そんな事は言ってねえ。変装をしようがそればっかりは無理だ。そうじゃなくて、王様に陳述書を書くって事だ。一回や二回じゃだめかもしれねえ。だがおらは諦めねえで何度でも書いて送ってみるとも。そのうち王様の目に止まるさ」

「そうだ! 分かったぞ!」

 ナティがいきなり頭を上げ、目を輝かせた」

「この村に、美人で周囲の村じゅうに知れ渡る有名な十人姉妹が住んでいるけれども毎年一人ずつ、八つの頭を持つ大蛇にさらわれて困っている、どうか助けてくれって書きゃいいんだ。好色な王様なら、評判の美人姉妹が蛇に奪われる位なら自分のものにしてえって思うに違いねえ!」

 ラドゥは「その話はマルが子どもの頃にしてくれたよな」、と言おうとして止めた。せっかくナティが乗り気になったところでマルの事を言うと、水を差す事になりかねない。

「ナティ、その話を書けるか? 作文に関してはおめえ、なかなか上手かったもんな」

「よし、書いてみるよ!」

 ランプの明かりに照らされたナティの顔は、いつの間にか上気したように赤みが差していた。

「三千人の後宮か。いい気なもんだ」

 オムーは陰鬱な表情のまま口を開いた。

「もし王が我々の敵だと分かったら、誰かが王の寝首を掻きに行かなくてはならん。その役割はお前にある。分かっているだろうな」

 ナティがほんの一瞬押し黙ったのにラドゥは気付いた。

「ああ、分かってるさ」

 ナティは重く息を吐くように言うと、ゆっくりと首を動かし、オムーの方を見た。

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