第23話 橋 1
激しく振り続いていた雨が小降りになった。
ラドゥは小屋の外に、顔がすっぽり隠れる程深い笠を被ったカッシの姿を目にし立ち上がった。ラドゥはこれからカッシの道案内で、シャク人の反カサンゲリラ団『シャク・ジーカ』の頭目に会いに行くのだ。ラドゥは葉っぱを重ね合わせた雨合羽を身に付け、外に出た。
「オムーが自分で行きゃいいのに。あいつは
人に頭を下げるのが苦手だからお前に行かせるんだ。オムーに使われてばっかりだな」
カッシはラドゥにそう言い、ニッと歯を見せた。
「おら達が行った方がいいだろう。シャク・ジーカにはニジャイがいるからな」
ニジャイはラドゥの顔見知りだ。彼もまた、かつてラドゥやカッシ共にオモ・ヒサリ先生の学校で共に学んだ。もっともニジャイは勉強熱心ではなく、途中から学校に来なくなったが。
「それだけじゃねえ。ラドゥ、おめえは我慢強いからいいんだ」
カッシは言った。ラドゥはしばらく黙ったまま、ぬかるみに一歩一歩自分の足跡を刻んでいた。しかしその足跡もたちまち激しい雨に溶けて消えてしまうだろう。
豪雨の中ラドゥを行かせる程、オムーは急いでいる。目的は『シャク・ジーカ』の持っている豊富な金と武器だ。シャク人はアジェンナがかつてピッポニアの支配下にあった時期に優遇されていた民族で、『シャク・ジーカ』は、カサンと敵対するピッポニアから秘かに支援を受けている。
「しかしナティはいい顔してねえな。シャク・ジーカと手を組むなどとんでもねえって思ってる」
「そうだろうよ。戦いのそもそもの目的はカサンやピッポニアの言いなりにならねえ国を作るって事だろ。だが戦いを続けるには金も人もいる。背に腹は代えられねえって訳だ」
「カッシ、お前はシャク・ジーカと手を組む事をどう思う?」
「俺は嫌だ」
カッシは思いがけない程はっきりと答えた。
「あいつらのヌンに対する仕打ちはあんまりだ。しかもヌンはニジャイの妹じゃねえか。妹が仲間にああいう事をされるのを黙って見てるなんて人間じゃねえ」
「それはそうだ。ところでおめえ達山のもんの間では、そういう類の話はさっぱり聞かねえな。おめえがしっかりしてるからだ」
「そういうわけじゃねえ。山のもんの間じゃ女に悪さした男は厳しい制裁を受けるってのが昔からの決まりだ」
「昔ながらのいい習慣を続けるのも規律を守るのも、簡単な事じゃねえ」
「おらだけじゃねえ。ヌンも二度とあいつらと関わりたくねえって思ってるよ」
「知ってる。だがな、相手は人間だ。言葉の分る人間なら必ず言葉で改心させられる。おらはそう思ってる」
「人は言葉で変われるってのは本当だ。言葉ってのは魔法みてえなもんだからな。だけど人を言葉で思い通りにしようったってそう簡単にはいかねえ。オモ先生はニジャイを改心させようと頑張ったけど出来なかったからな」
「諦めたくねえんだ。おら達農民は、諦めが悪い事に関しては誰にも負けねえからな」
シャク・ジーカ団はラハン団と同様、かつては森の入り口を拠点としてゲリラ活動をしていた。カサン軍が迫っているという情報を掴むや、ピッポニア軍の力を借りていち早く森を脱出した。しかし戦闘能力が低く組織力の弱い彼らはピッポニアから豊富に提供される資金や武器を有効活用出来ず、中には持ち逃げする仲間もいて徐々にピッポニア軍から見放されつつあると言われていた。これはカッシからもたらされた情報だった。シャク・ジーカ側も、恐らくラハン団の力を借りたいと切望しているに違い無い。
やがて、アジェンナの大地の守る天空霊が大きなナイフの先端でえぐり取ったかのような鋭い渓谷が見えて来た。その底に、どうどうと水がしぶきを上げて流れている。その谷に渡された、藤の吊り橋が見えた。
「橋は渡る度に点検してるから、落ちる事はねえ。大丈夫だ。だが下は見ねえ方がいいな」
揺れる橋を渡るのは初めてだった。足の遥か下にどうどうという水の音を聞きつつ、ラドゥは一歩ごと大量の汗が滴り落ちるのを感じた。しかし吹きだす物を拭うわけにはいかない。なぜならその両手は橋の手すりである藤の蔓につかまっていたから。その手は自分の体から滲み出る物としきりに降りつける雨粒の両方を握りしめていた。
「一体、こんな場所に誰が最初に橋を架けようとしたんだろう。おめえ達山のもんの先祖か?」
「多分そうだろうな」
「度胸があるな。怖くなかったんだろうか」
「そりゃ怖かったろうよ。でも思うんだ。橋を渡したもんは、向こう側によっぽど会いてえ人がいたんだろうなって」
カッシは軽々と橋を渡りつつ、クククッと笑い声を立てた。
橋を渡り終えると、ラドゥは安堵の余りその場にへたり込んでしまった。そのまましばらくの間立ち上がる事も出来なかった。濃い霧が辺りに立ち込め、ラドゥは霧を食べるかのように深く深く吸い込んでいた。
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