第20話 地獄の鍋 1
アジェンナ国首都のタガタイに所在するカサン帝国軍第320師団所属のザオ中佐は、部屋に入って来た色黒の男を上から下までじっくりと視線で嘗め回した。
(影のような奴だ)
これがザオ中佐の、男に対する第一印象であった。痩せ型でピンと背を伸ばして立っているためか、アジェンナ人にしてはかなり背が高く見えた。そしていくらかふてぶてしいようなまなざしでザオ中佐を見返している。幾多の戦場を潜り抜けてきた古参兵であるはずだが、どこか青年のような印象を与える男であった。同時に、何やら底知れない雰囲気を湛えていた。
(これが噂の……)
カサン帝国軍のアジェンナ人兵士の中でも、特に目覚ましい働きをする恐れ知らずの者達がいる、という噂は既に聞き及んでいた。しかし彼らがどういった人々なのかについては、アジェンナ人兵士達もなかなか口を割ろうとしなかった。何か、触れてはいけない事柄ででもあるように、人は彼らについて語ろうとしなかった。それは奇妙ですらあった。しばらくするうちに、彼らが「妖人」という特殊身分に属する者である事が分かってきた。しかしその「妖人」がどういう人々なのか、カサン軍の士官達にその実態は杳としてつかめないでいた。
ザオ中佐は今ここにようやく「妖人」と直接会う機会を得たのである。「卑しい仕事に就いている」「妖しげな術を使う」など、様々な噂を耳にしていた。しかし目の前に立つ男は、ザオ中佐が想像していたような粗野な男ではなかった。彼は短くぶっきら棒ながら洗練されたカサン語を話す。さらに。カサン語の読み書きも出来るというではないか。
「アン・メライと言ったな。君をここに呼んだ理由は想像がついていると思うが」
「もちろん。『地獄の鍋』の火を消し止める事が出来るのは我々しかいません」
『地獄の鍋』。それはカサン軍がありとあらゆる手を尽くしているにもかかわらず攻めあぐねている最大のゲリラの牙城である。南部のジャングルを拠点としたその地域は広大だった。カサン軍が散々手を尽くし、そこに至る道をしらみつぶしに探し、武器や食料の補給路を遮断しようと試みるも、一体どこをどうすり抜けるのか、「地獄の鍋」は、人も物資も戦闘意欲も全く衰える気配が無かった。カサン軍がいくら兵力を投入しても、鍋の底に溶けるかのように消えて行くのだった。「地獄の鍋」に向かうと言う事、それは「死」を意味するという事が、カサン軍兵士らの共通認識となりつつあった。
「我々は必ず『地獄の鍋』の火を消してみせます」
男は自信たっぷりに言った。ザオ中佐は、男が少しばかり震えているのに気が付いた。浅黒い顔の裂け目にくっきりと見える白い歯。男は笑っているのだ。恐怖ではなく、興奮で震えているのだ。
(何という恐れ知らずな奴だ……! いくら知性の衣をまとっていても、やはり蛮人の血がその体を流れている)
ザオ中佐は思った。
「お前がこれまでゲリラ組織との闘いにおいて数々の戦果を上げてきた事は承知している。しかしこの度お前が向かう事になる敵は、これまでの敵とは次元が違う。『地獄の鍋』に巣食う連中には、これまでの敵が共通して持っていた弱点や欠点が無い。理由は組織力の高さだ。我々の知るゲリラの連中は、部族や階層ごとの小さなまとまりに過ぎない。彼らは互いに反目し合い、小競り合いをしている。しかし、『地獄の鍋』の中枢部にはどうやら卓越した人物がいるという噂だ。その素性はよくわかっていない。ただ、ゲリラの間では「橋」と呼ばれているようだ」
「『橋』ですか」
男はそう言うなり、少しの間何か考え込むように沈黙した。
「分かっているのは、この『橋』と呼ばれる男がゲリラ組織の様々な利害を超越し、小規模なグループを繋ぎ合わせる事に成功した事だ。だからこれまでの敵には見られない広い組織力と結束力を持っている。奴らの牙城を崩すには、これまでやり方は通用しない」
「どのような敵でも、我々は必ず殲滅します」
男の声は低く、その声は揺ぎ無かった。
「一体、君のその自信はどこから来るのかね」
ザオ中佐は、思わずそう尋ねずにはいられなかった。いつもしまりのない笑みを顔に浮かべ、カサン人を前にすると常に視線を泳がせ俯きがちになるアジェンナ人兵士が多い中で、今目の前にしている男は明らかに異質な雰囲気をまとっている。
「アジェンナの民は皆、我々『妖人』を恐れます。なぜなら、我々『妖人』に殺された者は妖怪になって永遠に森の中をさまよう事になるからです」
「アジェンナの人間は皆それを信じているのか」
「はい。それは事実でありますから」
ザオ中佐は横を向き、男に気付かれないように顔を大きくゆがめて笑った。
(彼らはしょせん蛮族なのだ。どれ程知識があろうと、カサン語が話せようと組織力があろうと、結局のところ迷信に囚われた野蛮人なのだ。しかし我々が攻めあぐねていたゲリラの牙城がこのようなばかげた思い込みであっさり崩れるとしたら、こんな愉快な事は無い)
「君達には『地獄の鍋』攻略の先発隊になってもらいたい。君達は選ばれてこの地で神聖なカサン帝国軍に加わったのだ。もし成果を上げたなら、栄えある帝国臣民としての栄誉を勝ち取る事になるだろう」
男はやや俯いたまま黙っていた。その目は獲物を狙う蛇を思わせる薄暗い獰猛な光を放っていた。
(不気味な男だ……ゲリラが一掃された暁には、この男もこの世から消えてしまえばいい)
ザオ中佐はそう思いつつ男から視線を逸らし、壁に黒々とへばりついたヤモリをじっと見つめた。
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