第19話 森を抜ける 

 明け方近くに、ラドゥはようやく少しばかりまどろんだ。

 目覚めた時、森の木々を切り開いて作られた広場に大勢の人が集まっているのに気が付いた。彼らがみなカッシの連れて来た「山のもん」である事は、顔に入れた入墨や独特なかぶり物や刺繍の入った垢じみた服で分かった。この森のあちこちに「山の民」の集落があるはずだ。カッシはそこから仲間全員を連れ出して来たのだろう。彼らの中には相当に年老いた者や子どももいたが、皆一様に無表情だった。無表情ゆえにどこか泰然自若としているようにも見えた。彼らはみな感情を押し殺して生きてきた、という事に、ラドゥは今更ながら気付かされた。

 やがて、鋭い鳥の鳴き声のような響きと共に、山の民が皆一斉に立ち上がった。

(ああ、あれは鳥の鳴き声じゃねえ、カッシが草笛で合図したんだ)

 ラドゥは周りの仲間に、山の人々について行くよう声をかけた。そうするうちに、不意にカッシがラドゥの目の前に現れた。

「おら達山のもんは、森の抜け道を探りながら先に行く。お前さん達は後からついて来てくれ」

「お前が先頭に立って行くのか?」

 これから、誰一人足を踏み入れた事が無い森の奥へと入って行くのだ。その先頭に立って歩くのは極めて危険だ。いくらカッシが森に慣れているとはいえ、その危険をカッシ一人に負わせるのはラドゥにとって耐えがたい事だ。

「俺もおめえと一緒に先頭を行くよ」

 ラドゥよりも先にそう言ったのは、いつの間にかその場にやって来ていたナティだった。

「いや、おらが行く」

「いや、俺がカッシと一緒に先頭を行く。俺は妖怪ハンターだ。この先おっかねえ森の妖怪に出会っても、どう対処したらいいかお前よりちったあ分るからな。ラドゥは後方でみんなを守ってくれ」

「そうか……分った」

 ラドゥは頷いた。人はそれぞれ自分のなすべき役割というものがある。

 ラドゥは、延々と続く山の民の行列が、密林の中にゆっくりと吸い込まれて行く様を見詰めていた。この先、真昼の太陽の光も届かない森の心臓部に入って行く。どんな危険がこの先待ち受けているかも分からない。先を行く山の民は、まるで妖怪の腹の中に飲み込まれるように消えて行く。ラドゥは緊張を抱きつつも農民の仲間達に出立を促した。

 山の民の後を農民達が、その後を妖人達が隊列を組んで森の中へと進んで行く。

 歩き出して程なく、一人の年老いた山の民の女がひょいと振り返り、ラドゥに籠を渡した。その中にはたくさんの鈴と積み重ねられた大人の男の掌より一回り大きい葉っぱ。それを一つずつ取って皆に回せ、と言うのだ。一体何のためだろう? とラドゥはいぶかったが、間もなくその答えを知る事となった。

 瞬く間にまるで深い沼のような暗闇が一行を包んだ。前後どころか上下左右も分からない。太陽の位置がどこにあるのかすら分からない。農民達は恐怖の余り悲鳴を上げた。

「落ち着くんだ! 鈴の音が聞こえるだろう! みんな一つずつ鈴を持ってる。音を頼りに前の者について行くんだ!」

 さらに驚くべき事が明らかになった。山の民の女から渡された葉っぱの裏側が微かに光を放っている。そして葉を持つ手元、さらに低くすれば足元をぼんやりと照らしてくれる。ラドゥがその事を皆に知らせると、農民達はそれぞれ葉っぱの裏側が光る事を確かめ、落ち着きを取り戻し、再び黙々と歩き始めた。

 ラドゥの少し後ろで、ジュカとヤヤが並んで歩きながら歌っていた。

(昨日はあれだけ泣いてたくせに、なんと立ち直りの早い。それが若さってもんか。いや、そうじゃねえな、あいつらはあいつらなりに、ああやって恐れや悲しみを追い払おうとしてるんだろう……)

 二人は農民と妖人という身分の違いはあるが、同じ年頃の男の子同士、すっかり意気投合している。

「お前達、これからもずっと仲良くするんだぞ……」

 ラドゥは昨晩からずっと、学校で共に学んだ葬儀屋の息子メメの事を考えていた。ラドゥは彼を通じて、初めて妖人の仕事ぶりを本格的に目の当たりにしたのだ。まだ幼いにも関わらず、洪水で死んだ人々の恐ろしい腐乱死体を手際よく薪の上に寝かせて火葬に付し、祈りを捧げていた。その堂々とした仕事ぶりに、ラドゥはただただ驚嘆するばかりであった。妖人とは決して侮れない人達だという事を、ラドゥは子ども心に思い知ったものである。

 メメはカサンの軍隊に入ったと聞く。その軍隊が我々の生活を踏みにじっている事を、果たしてメメは知っているのか。またダビやトンニといった、とりわけ勉強の出来た級友達の事を思った。彼らはカサン人と共にアジェンナの貧しい民を苦しめる立場にいるのか?

(いいや、そんな事はあるめえ。もしそうだとしたらなんにも知らねえだけなんだ。かつての仲間がこんな有様だと知ったら、さすがにあいつらも黙ってカサン人に従ったりしねえさ……)

 人々の歩みと共に鳴る鈴の音と、手にした光る葉の明かりを頼りに一歩、また一歩と進んで行く。そこは死んでなお地上に引き止められた死者の霊が彷徨う場所だった。自分も知らないうちにとうの昔に死んでいるのではないかと思えてくる程だ。果たして自分達は再び明るい場所に出る事が出来るのか……? 一歩ごとに、足は闇に捕らえられそうになる。そのまま身体がずぶずぶと沈んで行くような気がした。ラドゥはしかし、どこかで安堵感も覚えていた。それは昨夜のカッシの言葉による所が大きかった。「妖怪よりおっかねえのは人間だ。だからおら達山のもんは森の中にいる。おら達をいじめる人間は森の中までめったに来ねえからな」。カッシはそう言ったのだ。 

(もし俺達がもういっぺん明るい所に出られたら、その時は虐げられた者同士、喧嘩せず、みんな協力し合っておら達の国をもっといい所にしなきゃいけねえんだ……)

 ラドゥはそう思いつつ、土を踏みしめる足にグッと力を込めた。

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