第9話 進むべき道

 ラドゥは、その日のうちに村人達を集めて緊急の会合を持った。 

 信じがたい出来事が次々起こる中、果たしてどうする事が正しいのか。何も分からない。まるで霧の中を進んで行くかのようだ。ただ何としても村人達の命を守らなくてはならない。そのためには果たして何が正解なのか。

 ラドゥは村人達に、ナティから聞いた事を伝えた。

「森に逃げてゲリラの連中に助けてもらうだと!? とんでもねえ! 妖怪の餌食になっちまう!」

 村人達は次々に言った。ラドゥが予測していた通りの反応だった。

「しかしあいつらは妖怪を手なずけているようだ。そして何年も森で暮らしているらしい」

「あんな穢れた連中の助けを求めるっていうのか!」

 こんな言葉もラドゥの予想通りであった。妖怪や妖獣と関わって暮らしてきた「妖人」に対する農民の差別は根強い。

「そんな事言うな! 昔、村に人面獅子が襲って来た時妖人らのお陰で助かったじゃねえか! 忘れたのか?」

「でも……」

 ラドゥは、自分にぴったりと寄り添うように座っているクーメイがひっそりと口を開いたのに気付いた。

「もしナティって人が言った事が本当なら恐ろしいわ。妖獣を操ってこんな残酷な事をするなんて。私は子供達をゲリラの仲間にはしたくない」

「それはそうだ」

 ラドゥは腕組みして黙り込む。ゲリラにかくまってもらうという事は、カサン帝国政府と敵対する事を意味する。それはつまり、常に追われる立場になるという事だ。

「俺らがカサン兵や警察を殺したって疑われるってんだろ? カサン人は人面獅子の存在を知らねえから。それなら熊にでもやられたって言えばいい。残った手足に噛み傷なんかが残ってるだろうから!」

「そうだな」

 ラドゥは頷いた。やはり、事件を捜査しにやって来た者に丁寧に説明し、村人達にかけられるであろう疑いを晴らすより他あるまい。

「あたしは森へ行きたいな」

 部屋の隅で退屈そうに爪をいじっていたヌンが、突然口を開いた。

「そうだろうな! おめえの兄貴のニジャイはゲリラの一味だっていうからな! おまけにお前はシャク人で、俺らアマン人の農民とは考えが違うんだ!」

 一人の男がこのいつも投げやりな態度の生意気な女を罵った。

「よせ!」

 ラドゥは鋭く声を張った。

「妖人がどうだのシャク人がどうだの、今そんな事言ってる場合じゃねえ!」

 ラドゥはヌンの眠たげな眼を覗き込んで問い質した。

「おめえ、またあの時みてえな自堕落な生活に戻りてえのか!?」

「兄さんのとこには戻らない。あそこは死んでも嫌。あたしが行くのはナティ達のとこよ」

「だったらおめえ一人でとっとと行っちまえ!」

「行くわよ。一人だって行くわよ! でもさ、あんた達バカじゃない? カサン人とその手下に申し開きして許してもらえるって本気で思ってんの? 警察はカサン人に媚び売って点数稼ぎしてる連中だから、何としてもあたし達に罪をなすり付けようとするはずよ。うちの糞親父がそうだった!」

「ああ成程! あんたの父親はあの卑怯なシャク人野郎のビンキャットだったね! さすがに血は争えない! このさぼってばかりの不良女!」

 今度は年老いた女がヌンを罵倒した。

「なによ、あんたが耄碌してて仕事がのろいだけじゃない。あたしは要領良くやってるだけよ!」

「おい! 今は喧嘩なんかしてる場合じゃねえぞ!」

 ラドゥは再びヌンに向き直った。

「ヌン、おめえ、本気か?」

 次の瞬間、ヌンはその場の空気を引き裂くかのように高らかに笑い出した。ラドゥはギョッとし、長い髪を揺すりながら笑う女から体を反らした。

「本気よ! だって、みんなそうでしょ? あの連中が人面獅子にやられる所見て、いい気味だって思ったでしょ!? 気持ちいいって思ったでしょ!? いい加減白状なさいよ!」

 ラドゥの胸から迸り出る思いはただ熱い息となって口に溜まってゆく。ヌンの言った事は真実だった。あの瞬間、間違いなく、自分にカジャリとアガを殺せと迫る警官やカサン兵をこの手で殺したいと思った。幼い頃から知っている仲間を自らの手で殺すなど、出来るはずがない。もしナティがあの場に現れなかったら、実際にそうしていたかもしれない。

「全く、カジャリとアガは一体どこに行った!? あいつらのせいで、とんだとばっちりだ!」

「森のゲリラのとこに行って仲間にしてもらってんでしょ」

 ヌンが言った。

「だって、そうするより他無いもん。だけどあたし達も同じようなもんよ。カサン人はきっとあたし達を疑う。そしたらどんなひどい事されるか分かんない。カサン人って残酷よ。シャク王国との軍事衝突の時も、女という女を強姦して妊婦の体内から赤ん坊を引きずり出したり、本当にひどい事をしたんだから」

 ラドゥは黙ってヌンの言葉を聞いていた。

ヌンはかつてシャク人の反カサンゲリラ組織にいた人間だ。兄貴に無理矢理引きずり込まれたとはいえ。彼女の言う事も周りの連中に吹き込まれた事だろう。鵜呑みには出来ない、しかしラドゥ自身、かつてのようにカサン人を理知的で文明的な人々だとは考えられなくなっていた。少年の頃はカサン人のオモ・ヒサリ先生が教えるカサン語学校に通った。オモ先生は間違いなく尊敬できる立派な先生だった。カサン語の本には実に多くの役立つ事が書かれており、カサン人からは学ぶべき所が多い。

 しかしそれは、カサン人全員が立派だという事を意味しない。殊にカサンの軍人は傲慢で野蛮で残酷だ。明らかにこの国の農民達を見下し、傍若無人に振る舞い、少しでも失礼な事があると平気で殴りつける輩だ。この度のカサン兵の謎の大量死に激高し、言いがかりをつけて我々に報復する事も無いとは言えない。

「あたしも、森へ行くべきだと思う!」

 スンニが不意に背伸びして言った。

「だってこのままの生活を続けたらどうなる? たとえカサン兵や警察に殺されなくても、飢え死によ!」

「そうだ!」

「その通りだ!」

 思いがけない事に、何人かがスンニに同調した。

「それに妖人は怖い人達じゃない。あたしはナティを信じる。だってあたし、よく覚えてるもん。子どもの頃、あのナティが勇敢に人面獅子に立ち向かったのを! あのお陰で村は救われたんだから!」

「妖人なんて、ガキでも当たりめえみたいに妖獣と戦うもんだ。なんせ連中には妖怪の血が流れていて気性が荒いからな!」

「おい、それは違うぞ!」

 ラドゥはとっさに声を上げた。しかしもはや誰もラドゥの言葉に耳を貸さず、「森に行くべきだ」「いや、とんでもない」と口々に言い合っている。ラドゥはしばらくの間、双方の言い合いをじっと黙って聞いていた。皆が言い合いに疲れてふと黙り込んだ時、ラドゥは徐に口を開いた。

「俺は森へ行ってみようと思う。ゲリラの連中が何を考えてるか、とりあえず話を聞いてみたい」

「あなた!」

 クーメイが悲鳴のような声を上げた。

「心配するな。何もゲリラの仲間になるって決めたわけじゃねえ。話を聞くだけだ。ちょっとでも俺らが生き延びる可能性を広げるためにな」

 ラドゥはそう言いながら、厚い掌でじっくりと妻の膝を撫でた。

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