第10話 森のアジト 1
ラドゥは翌朝、まだ日も明けきらないうちから出発して、橋の向こうの「森の際」地区へと向かった。
妹のスンニやヌンなど、森に行く事に賛同する仲間十数人が一緒だった。ゲリラの仲間に加わる、などという大それた気持ちではない。村の仲間達の逃げ場を探すのだ。何とか若者や老人達が安全に暮らせる場所を見つけてやらなくてはならない。
ラドゥがいくらか心動かされた理由の一つは、ナティが「そこには学校がある」と言った事だった。ラドゥには何が正しいのか分からなかった。ただし、子ども達に学びの場がある限り、彼らは正しい道を見出す事が出来るのではないか、という漠然とした思いをラドゥは抱いていた。
ラドゥは初めて妖人の暮らす「恐ろしい森の際地区」に足を踏み入れる仲間を気遣い、何度も彼らの方を振り返りつつ橋を渡った。それはラドゥ自身が子どもの頃、「森の際地区」の学校に通うために何度も渡った橋である。軽口でもたたいて仲間達の緊張をほぐしてやりたいと思ったが、生憎ラドゥはそういった事は得意ではなかった。
川べりには相変わらず、川の中に崩れ落ちそうな貧しい家々がずらりと並んでいる。かつてのように木の根っこの穴に住んでいる人々の姿も変わらず見受けられた。かと思うと少し離れた小高い場所にはレンガ造りの立派な建物が聳えている。あれはダビが経営している製靴工場に違い無かった。
「チッ、あいつら、カサン軍相手の商売でしこたま儲けやがって!」
仲間のうちの一人が声を上げた、ラドゥは、一瞬彼と同じ事を思ったが、すぐにその事を恥じた。ダビは一緒にオモ先生の学校で学んだ仲間だ。彼は向上心のある、努力を惜しまない男だ。富を得るに値する男だ。
「そんな事言うな。俺らの暮らしが大変なのは、何もあいつらがいい暮らしをしているからってわけじゃねえ」
しかし同時にラドゥの脳裏には、昨日見たカサン兵達の履いていた立派な靴がありありと蘇っていた。あの靴は妖人達が作った妖獣の皮の靴だ。あの靴でカサン兵は自分達農民の生活を踏みにじったのだ。その事をダビは知っているのだろうか? いいや知るまい。妖人と農民の間には深い溝がある。農民は妖人を「身も心も妖怪同然の汚らわしい輩」と見下す一方で、妖人は農民を憎んでいる。
以前と違うのは、工場周辺から橋に向かって立派な石畳の道が敷かれている事だった。道は、出来たばかりの靴を大量に移送するために敷かれたものに違い無い。
しかし石畳の道が尽きると、すぐまた足場の悪い泥道が続く。そして掘っ立て小屋の前で裸同然の人々がぽかんと農民達の一行を見ていた。ラドゥ達は泥道に足を取られつつ、時折仲間達の方を振り返りながら歩みを進めた。
(思えばここのもんは、ずっと昔から獣同然の暮らしをしてきたんだ。ここのもんにとって、これが当たり前になってるに違いねえ)
しかしここに来て、農民達の暮らしがますます苦境に陥り、貧しい妖人らの状態に近づくにつれ、彼らが昔からこんなひどい生活をしているのは彼ら自身の怠慢のせいではない事を思い知らされるのであった。
思えば自分がまだ子どもの頃、カサン人が「悪の帝国ピッポニア」を追い出し、ピッポニア人の代わりにカサン人がこの国の主人の座についた。ラドゥはカサン人のオモ・ヒサリ先生の学校に通う事が出来るようになり、色々と役に立つ事を教わった。カサン人が支配する世の中になって、自分達の生活は間違いなく良くなると信じた。
しかし、バニヤンの木の下の壁もない小さな学校から広がった夢や希望は、やがて無残に打ち砕かれた。カサン人はピッポニア人に劣らず……いや、それ以上に残酷だった。農民、妖人を問わず誰もが打ちひしがれ、諦め、この環境を受け入れているように見える。その中の一部の者がこの状態を脱するために武器を持って立ち上がるのも、無理も無い事のように思われた。
貧しい「森の際」地区の、人々が暮らす区域を通り抜け、やがて森の入り口までやって来た時、ひたすらお喋りを続けてきたスンニをはじめとする女達も、さすがに黙り込んだ。この先の森は、人間ではなく、恐ろしい妖怪が支配する世界だ。こんな所に本当に人が住んでいるのか。森にはとてつもない妖気が漂っている。その先には数えきれない程の恐ろしい妖怪が棲んでいると言われている。下手に足を踏み入れると、たちまち餌食になるだろう。仲間達の一部は、何か少しでも怪しい気配を感じたらただちに回れ右して逃げ帰ろう、と言わんばかりに足踏みしていた。
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