第7話 謎の女 3
その時だった。
ラドゥの全身に吹き付ける砂粒が、突如巨大な砂嵐に変わったのは。空気が真っ二つに裂けたかのようだった。
「きゃあああ!」
という村人達の悲鳴。視界はたちまちのうちに暗くなり、ラドゥの体はなぎ倒されそうになった。
(何だ!? 一体どういう事だ??)
ラドゥは突如起こった出来事の正体を確かめようとしたが、瞼に打ち付ける砂粒のせいで目を開ける事もままならない。手で顔を覆い、指の隙間からどうにか周囲を見渡す。細く開いたラドゥの目に映ったのは信じられない光景だった。
小屋一つ程の大きさの巨大な生き物が暴れ回っているのである。その背中には巨大な翼。その翼をびっしりと覆う鋼で出来たような羽の一枚一枚の下から砂粒がびゅうびゅう噴出している。槍を束ねたかのような尾は激しく動き、地面を抉るかのように打ち、その度に大地は抉られ、泥がザッと周囲に飛び散る。太い足は動く度に、地面を陥没させんばかりに沈める。さらに、
「ああー!!!」
「助けてくれ~!!!」
という男達の絶叫を圧殺していくグシャッ、グシャッという咀嚼音。それはラドゥに恐怖と共に、遠い一つの記憶を呼び起こした。
(人面獅子……!!)
それは、彼自身が少年の頃、村を襲った恐ろしい妖獣の記憶であった。
その日は今日のようなひどく蒸し暑い日だった。いつものように労働を終えて一息ついていた頃、そいつは突如村に現れて田んぼを荒らし出したのだ。 噂にだけ聞いていた世にも恐ろしく禍々しい怪物。飽くことなく人間の肉を欲する貪欲な獣。あの時は村人皆の協力で、どうにか一人の犠牲者も出さず仕留める事が出来た。
しかし、何と言う事だ! 今の今、まさかこんな風に、何の前触れも無く現れ、人々の襲い掛かるとは!
「逃げろ! 早く逃げるんだ!」
ラドゥは周囲に向かって声の限りに叫ぶ。それが精一杯だった。村人達が砂埃の中を逃げ去って行く。ラドゥは砂嵐に逆らってどうにか柵に縛られているカジャリとアガに近付き、懐に入れていたナイフでロープを切って解放した。しかし既に怪物の足に踏みつけられ、鋭い足の爪の間に挟まれ、巨大な歯に突き刺され、体をよじりのけ反り絶叫するカサン兵や警官達に対しては為す術も無い。ラドゥは信じられない光景を前に、ただ茫然と立ち尽くしていた。やがて、ようやく「自分も逃げなければ」との思いが浮かび、村人達が逃げ去った方向に向かって一歩一歩足を前に進めた。
その時だった。目の前の砂埃が、まるで箒で掃き清められるかのごとくあっさりと消えた。あっけにとられたラドゥの目に、砂埃と共に遠くに走り去って行く人面獅子の姿が映る。そして人面獅子が去った後には、強烈な日差しが惨劇の現場を照らし出していた。
「うっ……」
ラドゥは思わず口にたまった唾液を飲み干した。ちぎれた腕や脚、おびただしい血、そして銃。ほんの少し前までこの場で村人達を脅しつけていた者達は、一瞬の間に残骸だけを残して怪物の腹の中に姿を消した。
(何とむごい……)
しかしラドゥは、心のどこかで安堵している自分に気付いていた。あの恐ろしい人面獅子が、都合良く警官とカサン兵だけを襲って去って行くとは……! しかし、安心は出来ない。人面獅子がいつまた舞い戻って来るか分からない。
顔面にひっついた砂粒を汗と共に拭い去りながらそんな事を考えていたその時だった。シャリ、シャリ、と土を踏みしめる音を背後に聞き、ラドゥはハッと振り返った。
スラリとした体つきの、アマン人の女だった。血なまぐさい光景を目の当たりにしているはずなのに、臆する様子も無く落ち着き払ってこちらに向かって来る。
(何なんだ、この女は……)
裾の短い麻の服を身に着け、長さの違う二本の竹槍を腰に差している。その格好からすると「妖人」に違いない。女はやがて、はっきりと表情が分かる位置まで近付いた。目を覆うような出来事を恐れるどころか、どこか楽しんでいるかのように見えた。その瞳は一瞬で人の心を捕らえるような、生気に満ちた魅力があった。その眼差しは、どこかラドゥを挑発するかのようなキラキラした光を放っていた。ラドゥは事態をのみ込めず、困惑したまま女の顔を見返していた。
「そんな顔するなよ、ラドゥ、俺の顔を忘れたとは言わせねえぜ」
からかうような口調が、ラドゥの遠い記憶を呼び覚ました。次の瞬間、女の顔に、はっきりとラドゥの見覚えのあるいらずらっぽい表情が浮かんだ。
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