第2話 Nebb
ずっと、厭な動悸がしていた。
それは電車が駅を離れてからも暫くは
続いた。
車内は人で溢れている。下校途中の
学生たち、老人、ベビーカーに小さな
子供を乗せた若い女性、カップル。
スーツを着たサラリーマン。
駅のホームで見たものは、一体
何だったのだろう。
確かに 見た という確信はあった。
けれども、人身事故のニュースなど
何処にも出てはいないのだろう。
実際、携帯を駆使して探してみても
この時間どこの路線も特段の遅延は
認められなかった。
あれは一体、何だったのか。
諦念が暗い想像を生み、それが偶か
現実の風景を 侵食 してゆく。
そんな事はある訳がないと、わかって
いるのに。
もうこれ以上、考えた所で常識的な
解釈など出て来る筈もない。
そう思いながら、ぼんやりと窓の外を
眺めていた。
闇 へと移行して行く様を。
その司法書士は、自宅でもある古い
日本家屋に事務所を兼ねていた。
本来なら郵送かFAXでのやり取りで
事足りるが、どうしても超過できない
期限があった。しかも 手渡し が
必要な類の書類だ。
電車を降りたのは、出発駅からみて
環状路線の対の方角に位置している
無 人 の 駅
私鉄に乗り換えれば多少マシには
なるのだろうが、古い路線と寂れゆく
町の現状が、益々人を遠ざけている。
駅からの細い山道を二十分ほど。
薄暗い 切通し を通って漸く至る
その家は、既に全貌を闇の中に
呑まれかけていた。
古い、罅割れたインターホンを押す。
二度、三度目で、不安になる。
が。
「…どちら様ですか?」
漸く、誰何される。
こちらが名乗るとすぐに玄関の引戸が
がらがらと音を立てて開いた。
「お忙しい時間にすみません。至急で
追加の書類が必要だったもの…で。」
言って、息を呑む。
応対したのは司法書士の妻だろうか。
黒い厚手のカーディガンを羽織り
顔半分から首までを包帯で覆っていた。
酷い怪我でもしているのだろうか、
滲んだ血が包帯を 赫く 染めている。
「…あの、先生は…。」怪我について
言及するのは憚られた。
「……。」何も喋らない。いや、それ
自体が難しいのではないかと思うほど
顔を被う包帯は何重にも巻かれている。
何かを 隠蔽 するように。
その目が にゅう、と歪められる。
笑み を造ったのだろう。
瞬間、ぞっとした。
失礼に当たるのは承知の上だ。只、
本能 を騙空かす事が出来ず。
暫し、厭な沈黙が続く。
インターホンの声は男性だったか。
それとも、女性だったのか。
確かに声を聞いた筈なのに。
「…これを、お渡し下さい!」書類の
入った四ツ切りの大判封筒を半ば強引に
渡すと、逃げるように走り出す。
もう辺りはすっかり闇に呑まれていた。
又あの山の切通しを行くのは恐怖では
あったけれども
一刻も早く此処から離れたかった。
あれは一体、何だったのか。
本来ならば、司法書士 本人 に直接
手渡したい 書類 だった。
けれども今更もう、どうしようもない。
アレ が本当に細君だったのか、
それとも全く別の 何か だったのか。
確認しようにも術はなかった。
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